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39. 今日で最後だから

 ライナートが帰ってくる日。

 アデリナはキーカの提案でいつもより気合いを入れた格好をしていた。金色のまっすぐな髪は三つ編みを施したハーフアップにしている。ドレスの色が翡翠なのは、明らかにライナートの目の色を意識したものだろう。


(今日で最後だから)


 アデリナは楽しそうなキーカを受け入れることにした。

 ライナートが帰ってくる予定時間の少し前。支度を終えたアデリナは玄関ホールに向かった。

 主人を迎えるために、ディオや使用人たちが集まっている。その中に姉の姿はなくて、アデリナはほっとした。姉が出迎えに気づかないことを祈るしかない。


「きれいだね。ライナートも喜ぶよ」


 アデリナの格好を見て、ディオはにっこりと笑った。


「たぶん、ライナートはきみに一番会いたいと思ってるはずだから。出かけるときもずいぶん渋ったし。本当、ああいうやつが見られる日が来るとは思わなかった」


 ディオはとても嬉しそうだ。ライナートは育ちのせいか、あまり自分の意思を主張しないところがあったらしい。そんな彼がアデリナに対して自ら積極的に動いているのがとても嬉しいのだという。


「そうだといいんですが……」


 ディオはおそらくアデリナとライナートが結婚すると疑っていない。


「ブラムバーグ公爵令嬢。僕は、きみこそが辺境伯夫人……いや、ライナートにふさわしいと思ってるよ。きみがどう思っていようが、ね」


 アデリナは小さく息を呑んだ。


「……帰ってきたみたいだね」


 はっと扉の方に目をやると、ゆっくりと扉があくところだった。

 姿を現したライナートがアデリナを見て、ぱっと顔を輝かせる。


「アディ!」

「お帰りなさい。ライナー……」


 全て言えなかったのは、ライナートにぎゅっと抱きしめられたからだ。


「アディ。会いたかった」、


 ライナートの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。全てを忘れてこの温もりに身を委ねてしまいたかった。

 でも。そういうわけにはいかない。


(――というか、これって普通に人前では?)


 玄関ホール。出迎えに屋敷の使用人の多くが集まっていたはずで。


「アディ。顔を見せてくれないか」


 そんなことはお構いなしに、ライナートがアデリナの顔を覗き込んでくる。


「ちょ、ちょっと待ってください! ここは人前です」


 アデリナはライナートの胸を押して、ようやく離れることができた。

 危ない。流されるところだった。ふうと一息つく。

 恐る恐る周りを見てみれば、使用人たちが生温かい目でアデリナたちを見守っている。


「ライナート。再会が嬉しいのはわかるけど、ちょっとやり過ぎじゃないか」

「ディオか。十分節度を持っている方だと思うが。抱きしめるしかしていない」


 平然とライナートが答えているけれど、少しキャラが変わっていないだろうか。


「王都はどうだった?」

「つつがなく終わった。久しぶりに訪ねたが……あまり何度も行きたい場所ではないな」


 ライナートが苦い顔をしている。


「今日はどうする?」

「最低限の仕事はするつもりだが、とりあえずは休みたい」

「ライナート様」


 アデリナは勇気を持ってライナートの名前を呼んだ。


「アディ。何かあったのか?」


 いつもと様子が違うことに気づいたのか、ライナートがわずかに眉をひそめる。


「その――」


 話があるんです。そうアデリナが口にしようとしたときだった。


「ライナート様! お帰りになったのね」


 階段の上から華やかな女性の声がした。s

 どきり、とアデリナの心臓が嫌な音を立てる。

 姉だった。黄色みの強い金髪を複雑な形に編み込み、目が覚めるような青色のドレスを着ている。その場に現れて一言発するだけで、全体の雰囲気を支配してしまう。そんな力が姉にはあった。

 堂々とした姿勢で、姉は階段を下りてくる。使用人たちがわずかに眉をひそめた。


「あなたは一体誰だ?」


 急に現れた見知らぬ女性にライナートが警戒する。

 ライナートの正面に立つと、姉が艶然と微笑んだ。


「わたくしは、アドリーヌ・ブラムバーグ。あなたの婚約者ですわ」

「俺の婚約者なら今、隣にいるが」


 ライナートが怪訝な顔をする。

 どくん。どくん。アデリナは、やけに心臓の鼓動を大きく感じていた。

 遅かった。せめて、自分で打ち明けたいと思っていたのに。


「彼女はアデリナ。わたくしの妹です。わたくしと違って妹は『雷』なんて平凡な異能持ちですの」


 アデリナの身体が震える。

 ――アデリナもまた身代わりだったと知られてしまった。

 姉は呆然とする妹を一瞥すると、ライナートに微笑みかけた。


「『器』であるわたくしと違って『雷』ではよい縁談が望めないでしょう? わたくしに来た縁談がうらやましくて、わたくしに成り代わろうとしたみたいね」


 違う。全然違う。

 身代わりを最初に提案したのは姉だ。好きで身代わりの道を選んだわけではない。

 アデリナは必死になって首を振る。ライナートの反応が怖くて仕方なかった。


「妹のしでかしたことは姉のわたくしがお詫びいたしますわ」

「アディ。彼女の言っていることは……」


 困惑した様子でライナートが隣にいたアデリナに尋ねてくる。


「ごめんなさい。ライナート様!」


 アデリナはそう叫ぶと屋敷の外に飛び出した。


「アディ!」


 アデリナは全速力で走った。どんな顔でライナートに会えばいいのかがわからなかった。ライナートだけじゃない。屋敷のみんなとも会わせる顔がない。とにかく一人になって頭を冷やしたかった。

 玄関ホールにいたのは、ライナートの他にも、ディオやキーカ、執事や使用人みんながいた。そのみんなに、アデリナが偽者だということがばれてしまったのだ。


(もう、屋敷にはいられない……)


 まっすぐひたすら門を出ることを目指す。

 誰も追ってくる気配はない。この期に及んで引き留められることを考えてしまった自分を嗤う。

 誰にも咎められることなく門を出たアデリナは、とぼとぼと歩き始める。

 王都と違い、カーロの街外れにある辺境伯の屋敷周辺には、他の建物はない。

 歩いているのはアデリナだけで本当にひとりぼっちになった気分だった。


(勢いで出てきてしまったけれど、さすがにだめよね。少し歩いて頭が冷えたら屋敷に戻ろう……)


 前のように歓迎はされないかもしれない。でも、辺境伯の屋敷のひとたちは優しいから、嫌がらせのようなことはしないはずだ。

 そして、ライナートに謝ろう。好きだったと伝えたいけれど、それは図々しすぎるから、ずっと胸に秘めておくことにしよう。

 気持ちが暗いので、視線は下にいってしまう。


「――ブラムバーグ公爵令嬢」


 ふいに女性に声をかけられてアデリナは驚いた。今まで人の気配など一切したことがなかったのに。


「……!」


 何か言葉にする間もなかった。きつい刺激臭のする布を鼻から下を覆うように突きつけられる。


(これ、絶対嗅いじゃだめなやつだわ……)


 アデリナの意識は遠のいた。

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