38. 本物になれない私
姉の勝手な言い草に、アデリナの心の奥底にどろりとしたものがたまる。
ライナートのいいところは、美貌じゃない。誰にでも優しくて、気遣いができて、真面目なところ。もちろん他にもたくさんある。容姿なんて彼を構成する一部分でしかない。何も知らないのに、偉そうに。
「ですが、ライナート様は私のことをお姉様だと思っています」
「あら。そんなの事実を告げればいいだけのことじゃない。ライナート様だってわたくしのような素晴らしい女性が婚約者だと知ったら、喜んですぐに結婚するはずよ。何せ、わたくしは元王太子候補だった『器』ですもの」
自信ありげにアドリーヌが微笑む。
そんなことはない。ライナートはアデリナのことを好きだと言ってくれた。
アドリーヌに心を動かされたりしない。
「あら、アデリナ。ものすごく反抗的な目ね。――もしかして、ライナート様に恋でもした? わたくしにライナート様を取られたくないと思っている?」
「!」
姉に見透かされて、アデリナは思わず息を呑んだ。
「あははははは。おっかしい。わたくしが取るも何も、ライナート様――ヨーステン辺境伯は最初からわたくしの婚約者でしょう? 取られるもなにも、たかが『雷』のあなたが結婚できるような相手ではないのよ」
固まるアデリナにアドリーヌがたたみかけるように嘲笑する。
「そもそも平民同然のあなたが辺境伯に嫁ごうだなんて身の程知らずにもほどがあるわ。わたくしのおかげで少しの間夢を見られただけでも感謝しなさい。ね?」
ここでぽっとアドリーヌが現れたところで、ライナートがすぐに態度を翻すとは思わない。信じている。でも、アデリナが彼と結婚できないことも事実なのだ。
(とにかく冷静になるのよ)
姉の前で立ちすくむ子どもの自分。アデリナはそんな自分を必死に励ます。
「お姉様もご存じの通り、ライナート様はしばらく不在です。とにかく今日は……」
「あら。泊めてくれないの?」
「え?」
「わたくしはこの屋敷の女主人になるのよ。当然じゃない? 大丈夫。ライナート様がいらっしゃるまでは、あなたの居場所を残しておいてあげるわ。戻ってきたらわからないけれど」
まるで自分がものすごく寛容な人間であるかのように、アドリーヌが微笑む。
「ですが……」
「あら。今すぐこの屋敷の皆にあなたの正体を教えて上げてもいいのよ?」
「わかり、ました……」
アデリナはそう答える道しか残されていなかった。
アドリーヌは「アデリナ・ブラムバーグ」として屋敷に滞在することになった。
最初から屋敷に泊まるつもりだったのだろう。屋敷を任されているディオに宿泊許可を取るなり、乗ってきた馬車から大量の荷物を部屋に運ぶように指示した。侍女もあらかじめ待機させていたらしい。荷物はアデリナが一年滞在するつもりで運んだ量より多かった。どれだけ滞在するつもりなのだろう。
アドリーヌが屋敷に滞在して三日。
「こういうことはあまり言いたくないですけど、本当にアデリナ様はアディ様と似ていらっしゃらないですね。本当、旦那様の婚約者としていらしたのがアディ様で良かったです」
アデリナの髪を整えながら、キーカがしみじみと言う。
鏡に映る自分を見ながら、アデリナは背中に嫌な汗が流れるのを感じていた。
姉の屋敷での評判は決して良いものではない。
使用人たちが急いで用意した部屋の内装が古くさいとまず文句。食事は食事で食材が安っぽいと文句。愛用の化粧水が街に置いていないことにさらに文句。文句ばかり。
そんなに文句ばかりなら出て行けばいいと思うのに、そのつもりはさらさらないらしく、ふらふらといろいろなところに入り込んでは、屋敷の「改善案」を作っているらしい。
屋敷の内装に口を出すのは女主人の仕事。姉がつれてきた侍女が申し訳ないと執事に謝っている。見たことがない顔だが、ころころ変わる姉の侍女にしては珍しくまともだ。
「ごめんなさい。私の方からいろいろ言って聞かせたのだけれど、まるで効果がなくて」
あまりにも態度が目に余るから、アデリナは昨日思い切ってアドリーヌの部屋を訪ねて苦言を呈した。自分を褒めて上げたくらいの勇気だったのだが、アデリナを馬鹿にしきっているアドリーヌの心に響くわけがない。
そもそも高貴な血筋を誇っている姉にとって、使用人など路傍の石と同じ。
屋敷で自分が気にするべきは、今不在のライナートだけだと考えている。自分の侍女の諫言ももちろん耳を素通りしていく。
『あら、わたくしは未来の辺境伯夫人として当然のことをしているまでよ。わたくしがすむんですもの。内装もふさわしいものに仕上げないと』
『ですがまだお姉様は女主人ではありません』
『遅かれ早かれわたくしが女主人になるのよ。ライナート様もきっとわたくしに感謝するわ。それよりも、交易の街なんていうから期待していたけれど、やはり田舎は田舎ね。結婚が決まったら王都から行商人を呼び寄せないと、まともなものが手に入らないわ』
全然人の話を聞かない。それどころか、アデリナを見て偉そうに告げてきた。
『あなたこそ偉そうにいいの? さっさと荷物をまとめておいた方がいいと思うけれど』
ライナートが縁談を断る可能性を全く考えていない。
実のところ、アドリーヌがライナートに受け入れられる可能性はゼロだと思っている。姉の言葉の端々から、ヨーステン辺境伯領にいてやっている、という恩着せがましさが抜けない。ゲルデを見てきた彼が、一番嫌うタイプだ。
ディオもここだけの話だ、と『妹さん、あの悪夢の前辺境伯夫人を連想するね』と苦笑しながら教えてくれたので、間違いないと思っている。
――でも、この婚約は王命だ。双方の合意でのみ一年の婚約期間後解消できる。姉が辺境伯夫人になるつもり満々の状態では、逃げられない可能性がある。
ぎりりとアデリナの胸が痛んだ。
そもそも、明日、姉はライナートに真実を話す気満々だ。そうすればアデリナが身代わりだったことが明るみに出てしまう。この屋敷に滞在することはできないだろう。
(こんなことなら、本当のことを打ち明けておくべきだった)
チャンスはいくらでもあったはずだ。けれど、言えなかった。後悔しても遅い。
「まあ、そんな感じの方に見えますから仕方ありませんよ。旦那様に会うのが目的なんですよね」
アデリナの髪を結び終えたキーカが苦笑する。
「ええ。そう言っているわ。ライナート様は明日には戻られるのよね?」
「はい。そう連絡を受けています」
つまり、明日、すべてが終わるのだろう。
「その話、『妹』には秘密にしておいてくれる?」
「はい。たぶん、ディオさんもそのつもりだと思いますよ」
(せめて、お姉様が言う前に、私がすべてをライナート様に伝えたい)
それが、今のアデリナにできる精一杯の誠意だ。




