37. 「妹」襲来
「アディ様。何かありましたか?」
午前中。いつものようにカーロ刺繍をしていると、キーカが尋ねてきた。
「うかない顔をされていますが」
「そんなに?」
全然自覚がなかった。
「旦那様が王都に行かれてさみしい……わけではなさそうですね」
アデリナがうかない顔をしているとしたら、心当たりはひとつ。
これから、どうすればいいのか。
おそらく一年後やっぱり無理でしたと辺境伯領を去ったとしても、ライナートは何も言わないだろう。
でも、それで本当にいいのだろうか。
新辺境伯であるライナートに後継者はいない。傍系にも他に『結界』を持つ人間はいないという。つまり、ライナートには早急に後継者を作ることが求められる。
婚約は継続という話だけれど、この話を引っ張っていいのだろうか。
だって、この婚約に未来はない。
アデリナが『器』だったらよかったのにと贅沢は言わない。せめて父から『防壁』を継いでいれば。そうすれば、まだ同じ防御系の異能の持ち主として、ライナートの妻になれる可能性はあった。
母親から継いだこの異能について、どうこう思ったことはなかった。むしろ平民に溶けこみやすくてありがたいとすら思っていたのに。こんな自分が嫌で仕方ない。
「アディ様。私はいつでもアディ様の味方ですよ」
キーカがじっとアデリナの顔を見つめながら言う。
「ありがとう。キーカ」
――アデリナが偽者だと知ったら、彼女はどんな反応を示すのだろう。
周囲をだましていることが辛い。
でも、真実を打ち明ける勇気もなかった。
ブラムバーグ公爵家に迷惑をかけるから、だけじゃない。
単純に周囲の反応が怖いのだ。
が、そんな風に悩んでいられなくなるような出来事が起こる。
それは、ライナートが家を空けてから十日後のことだった。
「ブラムバーグ公爵令嬢!」
午前中。キーカと共に刺繍をしていたアデリナの元へ、血相を変えたディオがやってくる。真っ先に頭をよぎったのは、ライナートに関するよくない知らせだった。
が、ディオの告げた内容はアデリナの予想の上をいっていた。
「その、きみの妹を名乗る令嬢が訪ねてきているんだ」
「――は?」
その言葉を呑み込むのに時間がかかった。
心当たりなど一人しかいない。
ライナートの本物の婚約者である姉のアドリーヌ・ブラムバーグ。
(どうしてお姉様が?)
「ただ、正直……あまり似ていないものだから、対応に困っていて」
「よく言われるんです。一応確認しますけど、どんな風貌ですか?」
平静を装うが心臓が嫌な音を立てている。
ディオから聞いた特徴は、アドリーヌのそれと一致していた。
「妹で間違いないです。私が対応します」
そう答えたアデリナの声はわずかに震えていた。
「……一人で大丈夫? 本当はライナートがいればよかったんだけど、あいつはまだ王都だから……」
「大丈夫です。妹ですよ?」
アデリナは笑ってみせる。だが、うまく笑えていたかは自信がない。
突然の姉の襲来。理由が読めないだけに正直とても怖かった。
「……わかった」
「アディ様。大丈夫ですか?」
キーカが不安そうな表情で尋ねてくるが、アデリナはええ、と力強くうなずいた。
来客は応接室に通しているらしい。
服装に一瞬悩んだが、待たせることは得策ではないとそのままにする。来客なんて想定していなかったから、いつも屋敷の中で着ている深緑色のワンピースだが仕方ない。
「あら。遅かったじゃない。わたくしを待たせるなんて何様なの?」
数ヶ月ぶりに会う姉は相変わらず輝いていた。豪奢な金色の髪。襟元が詰まった深紅のドレス。これぞ公爵令嬢というオーラを発している。アデリナとは全然違う。ディオが血縁を疑うのも無理はない。
すくみそうになる自分を叱咤して、アデリナは姉の向かい側に座った。
お茶を淹れてくれたメイドに、しばらく応接室に人を近づかせないよう告げる。メイドは戸惑った様子を見せたものの、最終的にはうなずいてくれた。
人の気配がしなくなったことを確認して、アデリナは切り出した。
「それでお姉様。一体、何の用ですか? お姉様はラシーヌにいらっしゃるはずでは?」
「あら自分の婚約者に会いに来てはだめなの?」
アドリーヌが小首をかしげる。え? とアデリナは息を呑んだ。
「本当はライナート様にお会いできればよかったのだけれど、王都へ出ているんですってね。タイミングが悪くて残念だわ」
姉が何かを言っているが、頭の中が真っ白になったアデリナには聞こえない。
(ちょっとまって。お姉様はライナート様と結婚するためにここまで来たというの?)
「お姉様は、ラシーヌで縁談を探すのではなかったのですか?」
アドリーヌの意思は強固だった。だからこそ、ミランもアデリナを身代わりとして派遣したというのに。
「気が変わったのよ。新しい辺境伯のライナート様は美貌で有名らしいじゃない。地位は物足りないけれど、そこは妥協してあげようと思って」




