36. 辺境伯様が甘い
(どうしよう)
翌朝。アデリナは布団の中にもぐりながら、ぐるぐるといろいろなことを考えていた。
ライナートに告白されてしまった。求婚もされてしまった。
ライナートはアデリナの涙に動揺していた様子だったが、嬉しかったのだ、と答えるとほっとしたようだった。本当はもっと別の理由でごまかすべきだとわかっていたけれど、彼をむやみに傷つけるようなことは言えなかった。
だって、アデリナが嬉しかったのは本当だから。
『気持ちが固まるまで待つ。ただ、気持ちを傾ける努力をすることを許してほしい』
そんなことを真摯な表情で言われてしまったら、アデリナは受け入れざるを得ない。
(――私はライナート様が好き)
心の奥底に沈めて見ないようにしていた感情だけれど、もう自分に嘘はつけない。
でも、アデリナはライナートからの求婚を受け入れるわけにはいかないのだ。
アデリナの異能は『雷』だ。
オーティスと同じ道を選べ、なんてライナートに言うことはできない。
ここは身を引くのが正しい。
幸い、彼と結んだ婚約解消同盟がある。アデリナが何らかの理由があって縁談を受け入れるわけにいかないことを彼は知っている。
だから、断らなくては。
頭ではそう理解しているのに、実際に行動するのはとても難しいとアデリナは痛感することになる。
二週間後。
「おはよう。――アディ」
朝食の席。アデリナに向けられる笑みは、恋人に向けられるように甘い。
「おはようございます」
アデリナに思いを打ち明けたあの日から、ライナートはアデリナへの気持ちを周囲に隠さなくなった。向けられる愛おしげなまなざしが、周囲にアデリナは特別なのだ、と主張している。
ディオも、キーカを始めとする屋敷の使用人たちも、主人の変化を歓迎していた。
食事に同席することが多かったディオも、最近は気を利かせてか別のところで食事を取るようになっている。つまり食事はライナートと二人きり。
食事中、視線が合うとライナートはにこりと微笑んでくる。そのたびにアデリナの鼓動は跳ね上がる。
意識しているのは、ライナートだけでなく使用人にも丸わかりだろう。
「今日も朝からあなたの顔を見ることができて嬉しかった」
新辺境伯であるライナートは多忙だ。アデリナが食事が終わるのを待つことなく立ち上がる。
「お仕事頑張ってください」
今までだったら意識せずにさらりと言えた言葉も、今は声に出すのにかなり勇気がいる。
「――ああ」
でも、こんな何気ない言葉だってライナートは本当に嬉しそうにしてくれるから、アデリナは言わずにはいられない。
(本当にだめね)
アデリナはライナートのいなくなった食卓で小さく息をつく。
こんな煮え切らない態度を取っていてはだめなのはわかっているのだ。余計な期待を抱かせるだけ。
一度、これではだめだとライナートに「あなたとは結婚できない」ときっぱり言おうとしたことがある。だが、何かを察した彼に先回りして止められてしまったのだ。
『もう少し努力させてほしい』
そんな風に懇願されてしまったら、アデリナは何も言えなくなる。
だって、アデリナだって彼のことを好きなのだから。
先日、新辺境伯就任を知ったオーティスから、ライナートの元に謝罪の手紙が来たらしい。それからさらに、ライナートは精力的に仕事をこなしている。
なのに、アデリナだけが何も変わらない。
うららかな午後。アデリナは図書室で本を読んでいた。
今はもっぱら夕食前しか図書室を利用していない。ライナートの訪れを避けるためだ。
彼は紳士なのでアデリナの部屋を訪れるような不躾なことはしない。ただ、図書室は別だ。夕食後、ライナートが訪れる形で、二人で語らっていた場所。
なので、確実に彼が仕事をしている時間にだけ、図書室を利用することにしたのだ。
「アディ。やっぱりここにいたか」
突然降ってきた声に、アデリナは驚いて顔を上げた。
「ライナート様」
「隣、いいか?」
アデリナの答えを待たずに彼が隣に座る。
告白された夜ほど近くはないけれど、でも、いつもよりは近い位置。
「お仕事はよろしいんですか?」
新辺境伯として仕事をする傍ら、各所への挨拶回りもしていたはず。
親戚の扱いについては、もう少し落ち着いたら考えるそうだ。
前辺境伯家だったケストナー家に引き取られていたライナートは、元々近隣地域の有力者と面識がある。引き継ぎはスムーズにいっているという話は聞いていた。
「ああ。ちょっとあなたに報告したいこともあって、時間を作った。最近、夜はここにいないようだから」
やはり、ライナートは図書室に足を運んでいたようだ。うっすらと避けているのはきっとばれている。けれど、彼の言葉にそれを責めるような響きはない。
「報告ですか?」
「ああ。ベルガー卿と前辺境伯夫人からの告発――裏にアビオン王国の第一王子がいたことが判明した」
さらりと出された言葉にアデリナはぽかんとした。
「アビオン王国の第一王子?」
「彼はどうしてもベルガー卿に辺境伯になってほしかったようだな。選定の前日に調査員の宿を襲わせたのも、第一王子の仕業らしい」
――よく考えてみたら、コーエンは自分の報告書の内容に満足していてライナートの報告書まであまり聞いていなかった気がする。自分が報告書の紛失に関わっていたら、何事もなく報告書が出てきたことに何かしら反応を示しそうなのに。
「ベルガー卿自身がどこまで気づいているかは知らないが、今回の告発劇の黒幕は第一王子だった」
たまたま町でカーロにいるはずの息子を見かけたゲルデ。だが辺境伯の交代について聞こえていない。つまり何者かが息子の身代わりをしている、とゲルデは気づいた。それを愛人に話し、ベルガー卿に伝わった。二人を結びつけたのはゲルデの愛人だったのだ。
その愛人の正体を追ったところ、アビオン王国に行き着いたという。もともと辺境伯領の情報を狙って、愛人はゲルデに近づいていた。
「でも、どうしてそんなことを?」
「『結界』がある限り、奇襲が成功する確率は低い。その点、ベルガー卿の異能である『大盾』は、属性魔法の攻撃に弱い。第一王子の複合属性魔法相手なら特に。おそらく辺境伯交代で混乱しているところを狙って攻め落とすつもりだったんだろう。軍と辺境伯の信頼関係ができていなければ、その分隙も大きくなる」
相手の思惑に乗るような事態にならなくてよかった、とライナートは続ける。
第一王子が違法薬物の取引を行っていたことも明るみに出て、アビオン王国は大騒ぎだという。王位継承者の候補からはもちろん外れた。それどころか罪人として王籍を剥奪されるだろうと見られている。
「とにかく、まだ完全に大丈夫とは言えないが危険は減ったと言えるだろう。武力行使を狙っていたのは第一王子だけだから」
「よかった……」
アデリナはほっと胸をなで下ろす。
「それで、俺は王都に行くことになった」
「――え?」
「陛下に爵位継承の報告をする必要がある。本当はあなたも誘いたかったんだが、あまり辺境伯領を不在にするわけにもいかない。女性には酷な日程になりそうだから、俺一人で行くことにした。すまない」
「いえ。それはかまいません」
アデリナは首を振った。下手に一緒に王宮になど行こうものなら、アドリーヌでないことがばれてしまう可能性が高い。
(そういえば、王太子殿下は何も言わなかった……)
王太子は確実にアドリーヌの顔を知っている。
(あ。そうか。王太子殿下はお姉様の顔を知っていても、私の顔は知らないわ)
アデリナとライナートの婚約者が結びつかなかったのだろう。
「アディ?」
ライナートが、黙り込むアデリナの顔を覗き込んでくる。
「な、何でもありません」
至近距離で見るライナートの顔はとても心臓に悪い。
「そ、それで、いつ出立されるのですか?」
「明後日だ」
「急ですね」
「なるべく早いほうがいいと言われてな」
おかげで準備にてんてこ舞いだ、とライナートが大げさに嘆く。その気持ち、よくわかる。アデリナも辺境伯領に来るとき、急な話過ぎて準備が大変だった。
思わず笑ってしまうと、急にライナートに名前を呼ばれた。
「アディ」
じっとライナートがアデリナの瞳を見つめている。
「俺は……」
何かを言いかけて、ゆっくりと首を振った。
「王都に行くのはかまわないが、あなたの顔を見ることができないのは辛いな」
少しだけ、と言ってライナートはアデリナを引き寄せた。
ライナートの胸にこつんとアデリナの額がぶつかる。
「なるべく早く帰ってくるから」
つむじに優しい感触がした。唇を落とされたのだ、と気づいたのは、ライナートの身体が離れてからだった。
二日後。ライナートは宣言通り王都へ出発した。単騎での移動でも王都までは四日ほどかかるという。帰ってくるのは二週間になるということだった。




