3. 兄との取引
無事に信頼できる使用人を見つけたアデリナは、馬車の手配と兄への言付けを頼み、居心地のいい女学校の寮へと戻った。
アデリナが言付けた使用人は速やかに兄に連絡をしてくれたらしい。翌日には女学校に連絡があり、王都にあるレストランで話をすることになった。
白を貴重とした内装に、一目で高級だとわかるテーブルと椅子。
防音設備もしっかりしているこの店の個室は、貴族が密談で使うことも多いらしい。店員もいろいろわきまえていて便利だと兄は言った。食事は後で注文することにして、紅茶を二つ頼む。
「――ということです」
アデリナの話を聞いて、兄のミラン・ブラムバーグはこめかみを揉んだ。
異母兄にあたるミランとはそれなりに血のつながりが感じられる。顔立ちはともかく、髪と目の色がそっくりなのだ。お互いに父譲りというだけだが。
そんなミランはブラムバーグ公爵家の異能――『防壁』を継ぐ次期公爵で、現在は王太子の側近として働いている。十分美男子と言える顔立ちなのに、喜怒哀楽の感情を表に出すのが下手くそなので、妹ながらもったいないと思う。
「あいつは何を考えているんだ」
その気持ちはアデリナもとってもよくわかる。
「そもそも王太子妃になれなかったのは自業自得だろう。いくら『器』でもわがままには限度がある。年も近い辺境伯との縁談は、今考え得る限りの最良の縁談だ。父上もそう言い渡しているはずだが」
「なので、お義母様の――ラシーヌの力を借りるそうです」
「好きにすればいい。これ以上、あいつの面倒を見る気はない。隣国に行ってくれるならそれはそれでかまわない。ついでにあの人も連れて行ってほしいくらいだ」
あの人、というのは義母のことだ。ミランもまた、後妻である義母や異母妹にあたるアドリーヌとの折り合いが良くない。
自分の家ながら、家族関係が複雑過ぎる。三人兄妹皆母親が違うのだ。
「でも、その場合縁談はどうするんですか?」
じっとミランがアデリナのことを見つめた。
なんだか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
「そうだな。――アディ。あいつの思惑通りになるのは癪だが、お前がアドリーヌとして辺境伯領へ行ってくれないか?」
「――は?」
アデリナの思考が固まった。
(お兄様だけはまともだと思っていたのだけれど)
もしかして違っていたのだろうか。
表情に出てしまったのか、兄が少しだけ顔をしかめたが、たぶんアデリナだからわかる程度だ。兄は淡々と続ける。
「辺境伯家からの申し出で、アドリーヌには婚約者として一年間辺境伯領で過ごしてもらう予定だった。その一年でどうしても無理だったら縁談は白紙、という約束もしている」
「でもそれって建前ですよね?」
辺境伯家は特家。そしてアドリーヌは『器』。アドリーヌが周囲を見下す程度には『器』は貴重なのだ。辺境伯が『器』の花嫁を逃がしてくれるかどうか。貴族なんて政略結婚上等のはずだし。
兄は否定も肯定もしなかった。
「この縁談には陛下も絡んでいるんだ。あいつが気に入らないからといってそう簡単に破談に出来るものじゃない。それを王族じゃないからなどという理由で断ったりしたら、うちの立場にも関わってくる。陛下の気遣いを無にするのと一緒だからな。だが、一年間過ごした上で、それでも合わないという結論が出れば、陛下も考えてくださるだろう。そのための約束だ」
やはり王命が絡んでいたか。
本当に自分のことしか考えていない姉の思考に、アデリナは頭痛がしてくる。
学校はとりあえず休学。一年後に復学すればいい、と兄は続ける。
「もちろん、ただとはいわない。アディ。もし、一年間で穏便にヨーステン辺境伯との縁談を破談にできたら、私はお前の進路に一切文句を言わない。父上の説得にも力を貸してやろう」
その言葉にアデリナははっと正面に座る兄の顔を見つめた。
(もしかして、お兄様、私が女学校を卒業しても公爵家に戻る気がさらさらないことに気づいていた?)
さあっとアデリナの顔から血の気が引いていく。
来春、アデリナは女学校を卒業する。貴族令嬢は実家に戻って花嫁修業をするのが一般的だが、そのつもりは全くなかった。いろいろそのために動いてもいた。
なにせ、家に帰ればあの義母と姉がいる。姉は結婚で出ていく可能性があるからマシだが、義母はそうもいかない。
かといって、良縁が見込めるとも思わない。
アデリナの『雷』という異能は、ありふれている上にあまり応用が利かないので、高位貴族の婚活市場では不人気なのだ。公爵家の後ろ盾があれば、縁談を見つけることは可能だろうが、義母がいる限りろくな縁談は望めない気がひしひしとする。
十一歳まで平民として過ごしたアデリナは、あまり貴族社会にこだわりがない。あの地獄のような公爵邸に戻るくらいなら、平民として自立した道を選んだ方が何倍もマシだ。
高位貴族でもないかぎり、またその異能がとてつもなく強力でもないかぎり、異能はただの個性でしかない。少なくとも平民の間では優劣がつくものではない。
「もし、断ったら?」
おそるおそるアデリナが尋ねると、兄はしれっと答えた。
「そうだな。ブラムバーグ公爵令嬢が消えたと派手に探すかもしれないな」
こんなの脅しだ、と文句を言いたいところだが、兄には返しきれないほどの恩がある。
「――すぐにばれて、辺境伯領を追い出されても知りませんよ?」
アデリナがそう言うと、兄はほんの少しだけ口元を緩めた。笑ったのだろう。たぶん。
「そのときはそのときだ。辺境伯は爵位を継いだときに一度王都に来たきりだ。アドリーヌの顔は知らないと踏んでいる。気づかれる可能性は低いだろう」
そうだといいな、とアデリナは思う。何せ全く似ていない姉妹なので。
「約束、忘れないでくださいね」
「もちろんだ。細かい条件はこのあと詰めていこう」
「それで出発はいつなんですか?」
兄が答えるまでほんの少し間があった。
「――三日後だ」
「はあ? 正気ですか?」
驚きのあまり大きな声を上げてしまったアデリナを許してほしい。
「父上はあいつに逃げられることを警戒していたのだろう」
公爵も、アドリーヌが王族以外の縁談を受け付ける気が全くないことに気づいていたのだ。第二王子は臣籍降下する予定だから、アドリーヌの眼中にはない。
「……」
そのせいでしわ寄せがこちらにきてるんですけども!
「安心しろ。手続きはすべて私の方で行っておく」
「いえ、そこは全く心配していないんですが……」
三日間で辺境伯に行く準備なんてできるのだろうか。いや、やらなければならない。
アデリナの未来の安寧のためにも。




