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27. アディ

 ライナートの口調が戻って、アデリナはほっとする。


「それで、今日は何故あなたが? ディオが来るんじゃなかったのか?」

「今日は最初から私が訪ねる予定でしたよ」


 アデリナが首をかしげるとライナートが小さく舌打ちをした。だましたな、と呟いている。


「もしかして、私では不都合なことがありましたか?」


 アデリナがおずおずと尋ねると、ライナートは慌てて首を振った。


「そんなことはない。顔を見れて嬉しい。ただ、ちょっと驚いているだけで……。てっきりあなたは王都に帰ってしまったものだと思っていたから」

「何故?」

「婚約相手であるヨーステン辺境伯がこんなことになったんだ。王命も無効だろう」


 全然気づかなかった。言われてみればそういう理屈が使えたかもしれない。


「今気づいたって顔をしているな。だったら今からでも遅くない」

「その発想はありませんでした。第一、ライナート様がこんな状況に置かれているのに、それを放って王都に戻れるわけがないじゃないですか。見捨てたみたいで後味が悪すぎます」


 心外だとアデリナが力を込めると、ライナートはぽかんとした顔をする。


「それはそうかもしれないが。そうか、後味が悪い、か」


 ライナートの口元がわずかに緩んだ。その表情は捕まる前と変わっておらず、アデリナはほっとする。


「ライナート様」


 アデリナが改めて名前を呼ぶと、ライナートは少し目を見開いた。


「話を聞かせてくれますか? さっきも言いましたが、ライナート様の事情はディオさんから一通り聞きました。でも、ライナート様の口からも聞きたいです」

「面白くない話だと思うが」

「でも、ライナート様から話が聞きたいです」


 ライナートはじっと翡翠の瞳をこちらに向けて、息を吐き出した。

「わかった」 ライナートは淡々と語り出す。ディオの話と概ね違いはなかった。ただ、オーティスがライナートに後継問題を任せようとした話はさすがに口にしなかった。

 ライナートは悪く言わなかったけれど、それでもやはりオーティスは勝手な人間だと思う。それに確執を知りながら、全てを押しつけようとする周囲もひどい。


「最初から潔く断絶にしてしまえばよかったのに!」


 思わず本音がこぼれてしまう。


「いや、そうだな。それが正解だったと今になって思うよ。そもそも、辺境伯領のためとはいえ、身代わりなんて引き受けるべきじゃなかったんだ」


 ライナートは静かな口調で肯定する。


「一年の約束で身代わりを引き受けたが、オーティスが帰ってこない気はなんとなくしていた。そもそも帰ってくる気だったら、駆け落ちなんかしない」

「むしろ、失敗して帰ってきたら叩き出してやればいいんですよ。ライナート様のモヤモヤは当然だと思います」


 アデリナが憤慨すると、ライナートが笑う。


「叩き出す、か。そうだな。もっとも、身代わりがばれた以上、むしろ俺が叩き出される側になりそうだが」


 最後は少し自嘲気味だった。アデリナはぶんぶんと首をふる。


「それはありません! ライナート様以外にヨーステン辺境伯にふさわしい方はいらっしゃらないと私は思います。もちろん、適当な励ましじゃありませんよ。きちんと調べたんです」

「調べた……?」


「そうです。ライナート様が捕まってから、私、辺境伯領の領民のみなさんに話を聞いたんです。皆、辺境伯様の領地運営に感謝していました。カーロの店の家賃減免制度。そのおかげで街に新しい店が出来て活気が出来たって言う話がありました」


「それは俺が考えたことじゃない。前辺境伯からの計画だ」

「でも、それを実行したのはライナート様ですよね。考えることは難しいですけど、それを実現することも難しいですよ」

「……」

「あと、領民のみなさんから一人の補佐官への感謝の言葉がいっぱい出てきました。親身になって話を聞いてもらったって。黒髪に翡翠の瞳を持つ補佐官。えらく男前。冷たそうだけど優しい。ライナート様のことですよね? そんなことする領主様、そうそういないですよ」


 アデリナは一生懸命にたたみかける。

 とにかく、アデリナの気持ちをわかってほしかった。

 それが励ましになるのかはわからないけれど。


「別に全員の話を聞いたわけじゃない。俺が気づいた範囲だけだ。それにこれは、俺が仕えていた伯爵が実際にやっていたことだ。褒められることじゃない」

「たとえ他の人の真似でも、そうやっていいところを取り入れられるところが素晴らしいんです。本当は領民の皆さんに聞いたことを一生懸命まとめて一冊に綴じたんですが、持ち込み禁止で。心底残念です。私の思いの丈があふれていたはずなのに!」


 身を乗り出して熱弁を振るうアデリナに、ライナートはこれ以上ないくらい翡翠の目を大きくした。


「だから……」

「ありがとう。あなたの気持ちは十分に伝わった。あなたがまとめたという資料は、屋敷に戻ってから是非見せてもらいたい」

「はい。もちろんです。毎日夜なべして作った力作ですから」


 柔らかい笑みを浮かべていたライナートだが、ふと真面目な顔になる。


「だが、実際問題、俺は辺境伯を詐称した身だ。おそらく、正式な辺境伯にはなれないと思う」

「でも、それは領地のことを考えたゆえですよね。ディオさんが言ってました。今ライナート様にかかっている疑いさえ晴れれば、次期ヨーステン辺境伯の候補に選ばれるんじゃないかって。今までの実績はアドバンテージともいってましたよ」

「……」

「私も選ばれると信じています。疑いの件はディオさんが自信ありげでしたし」

「そうか」


 そう言ってライナートは何かをかみしめるように目を閉じた。穏やかな表情。


「状況は最悪だが、俺はこうなってよかったと思う。たぶん、誰にもばれないまま期間がきて、辺境伯になったとしても、オーティスへのモヤモヤは消えなかっただろうから」


 にっこりと笑ったライナートはすっきりとした顔をしていた。翡翠の目に力が宿っているのがわかる。


「ありがとう。アドリーヌ。どうなるかわからないけれど、俺は俺で最善をつくす。あなたに約束しよう」


 あ。また名前で呼ばれた。けれど、それはアデリナのものではない。

 アデリナが身代わりであることを突きつけられる。しかも、ライナートとは違い、決して本物になることができない存在。


「その……アディって呼んでもらえますか? キーカにもそう呼んでもらっているので」

「いいのか? ――アディ」


 微笑みと共にライナートに呼ばれた愛称はなんだかとても甘く聞こえた。


「キーカがあなたをそう呼んでいるのを聞いて、俺もそう呼んでみたかったんだ」


 照れくさそうに言う。

 嬉しくて、アデリナは思わず笑みを浮かべた。今だけは余計なことを考えないで、その響きに浸っていたかった。

 大丈夫。彼が辺境伯になったとしても、婚約解消同盟は生きているのだから。

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