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20. ライナートの覚悟

「なるほど。やっぱり気づいていたんだね」


 夜も遅い時間。辺境伯の執務室。

 ライナートは、ディオに今日アドリーヌがコーエンから聞いた話を伝えていた。


「あんまり驚いた様子じゃないな」


 執務机の前に立つディオは、平然と答える。


「自分が次期辺境伯だって言い出すくらいだ。ケストナー家を追い落とせる何かを見つけたとしか思えないでしょう。アビオン王国という不安要素はあるけれど、ヨーステン地方自体は領地運営も安定している。弱みになりそうなことって、これくらいしかないし。作戦としては、ヨーステン辺境伯が身代わりだとオーティスの不在を告発して断絶に持っていく……ってところかな」


 昨日、コーエンが屋敷を訪れたときから嫌な予感はしていたのだが、本当に厄介なことになったと頭を抱えたくなった。


「どうする。ライナート。さすがに、あの男に辺境伯の地位は渡せない」


 ディオの言ったことをライナートも理解している。

 コーエンは、寄宿学校でライナートたちの二つ上の学年に在籍していた。次期ヨーステン辺境伯であるオーティスに『本当だったら次期辺境伯は自分だったのに』と絡んできたから、彼の人となりを調べたことがある。

 成績は下位あたりをうろうろしている。交友関係は派手。領地を田舎だときらって寄り付きもしない。辺境伯どころか、普通の領主にも向かない男だ。

 おそらく、卒業から時間が経った今もあまり変わっていないだろう。


 さすがにコーエンが辺境伯に選ばれることはないと思うが、もう一人、対抗馬になりそうな人間は高齢だ。


(さすがに、覚悟を決めないといけないな)


 正直、まだもやもやしたものは残っている。

 でも、領民の平穏な暮らしの前では些細なものだと考えないといけないのだろう。


「わかった。前向きに検討する」


 姿勢を正したライナートがそう告げると、意図が伝わったのだろう、ディオが目を丸くした。

 ずっとライナートに覚悟を決めろと言っていたのはディオだ。

 もっと喜ぶと思ったのだが、意外な反応だった。


「ごめん。ライナート。ありがとう」

「いや、俺の方こそ変な意地を張っていた」


 ライナートはゆっくりと首を振った。ディオは複雑な顔をしている。その顔に喜びはない。

 部屋の雰囲気を変えたくて、ライナートは軽い口調で言ってみる。


「でも、どうしてやつはオーティスの不在に気づいたんだ?」


 秘密を知っている者が漏らしたとは考えづらい。信用している、というよりも単純に得がないからだ。


「その辺りに、前辺境伯夫人が絡んでると思うよ。半年くらい前だっけ。最後にここにきたとき、オーティスに会わせろってしつこかったじゃない。そのときから何か気づいていたんじゃないかなあ」


 ディオがゲルデに対して「渡せるお金はありません」と突っぱねたのだが、オーティスなら渡してくれるはず、とゲルデは粘ったのだ。追い返すのに苦労した。


「あのあと、羽振りのいい男の愛人に収まったみたいで大人しかったんだけど、どうも最近また新しい男に乗り換えたみたいなんだよね。若い男みたいだから、またお金が足りなくなったんでしょう」


 ゲルデの話を聞くと、どうも眉間にしわが寄ってしまう。


「じゃあ、僕は手続きの書類の準備をしておくよ。コーエンが動く前になんとかなるといいんだけど」


 ディオの言葉にライナートはこくりとうなずいた。ディオはそれを確認すると、部屋を出て行く。


 一人取り残されたライナートは、顔に手を当てると、椅子の背もたれに寄りかかって天井を仰いだ。


『……あなたを偽者だと言っていました』


 昼間、アドリーヌからそう聞かされたとき、ライナートは心臓が凍るかと思った。

 反応が少し遅れてしまったので、怪訝に思っていないといいが。

 のっぴきならない事態になってようやく、ライナートは次期辺境伯になることを受け入れた。おそらく彼女にもそれを説明する必要がある。


 でも、いくら本当の辺境伯になるにしても、本当のことを伝えたら彼女はどう反応するのだろう。それがとても怖い。


 ライナートなりに理由があるとはいえ、だましていたことには変わりない。

 今日のことを思い返す。コーエンがアドリーヌらしき令嬢に近づいていると連絡を受けたとき、ライナートの頭は一瞬真っ白になった。いても立ってもいられなくなった。


 コーエンの動向を監視していたのがまさかこんな形で役に立つとは。

 コーエンがアドリーヌの手を掴んだところを目撃して、腹の底から怒りがわき上がってきた。彼女にその汚い手で触るな、と思った。

 胸に抱き留めた彼女の身体は、とても華奢で小さかった。少しでも力を入れたら、壊れてしまうんじゃないかと思うほどに。でも同時に柔らかくてもあって。

 はあ、とライナートは大きく息を吐き出す。


 ――もう、自分の気持ちをごまかすことはできない。


 アドリーヌが好きだ。ライナートは自覚してしまった。

 図書室で初めてまともに話したときから、印象はよかったのだ。

 王都の貴族令嬢にありがちな高慢さはかけらもなく、表情がくるくる変わる。好きなことには饒舌になるらしく、そのあとしまった、と顔をするのも非常に可愛らしい。そして何より、ヨーステン地方の文化にも興味を持ってくれる。この土地を受け入れてくれる。


 婚約解消を望むのならば、必要以上に近づくべきではないとわかっていた。使用人に何を言われようと、放置を続ければよかったのだ。アドリーヌだって理解を示してくれたのだから。

 でも、彼女と話すのはとても楽しくて。頭の中で警鐘が鳴っていても、それを無視した。


 だが、ライナートがヨーステン辺境伯になったとしても、アドリーヌを手に入れることは出来ない。

 だって、彼女にもこの縁談を受けたくない理由があるのだから。


「――俺は、馬鹿だな」


 独りごちる。最初から、近づくべきではなかったのだ。

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