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17. 『結界』と『大盾』

 その日の夜。アデリナは夕食後、図書室にいた。

 ランプの明かりがぼんやりと辺りを照らす。夜の帳が下りた外はとても静かだ。

 アデリナは黒革のソファーにもたれながら本を広げているが、そのページをめくる速度は非常に遅い。


「ブラムバーグ公爵令嬢」


 待っていた声が聞こえて、アデリナはぱっと顔を上げる。


(よかった。来てくれた)


 ベルガー卿のことを話したかったのだが、辺境伯と顔を合わせるのは食事のときのみ。使用人たちもいる前で話すのは少しはばかられた。なので、このあと図書室に行くと、わざわざ夕食時に強調して言ってみたのだ。辺境伯には意図が通じたらしい。


「俺に話があるんだろう?」


 そう言って辺境伯はアデリナの隣に座る。十分な大きさのソファーなので、二人の間には子ども一人座れるくらいの間が空いていた。いつもそうだ。


「はい。その、ベルガー卿のことで」


 アデリナは、今日の昼間、ベルガー卿が図書室から出てきた話をする。何か後ろめたいことがありそうなこと。

 それと、アデリナを使用人と勘違いして、スパイにならないかとスカウトしてきたことも報告する。愛人についてはさすがに頭にくるので黙っていた。


「あなたを使用人に?」


 辺境伯が露骨に眉をひそめる。ひっかかるのそこ? と正直アデリナは意外に思った。

 普通の貴族令嬢なら怒るところなのかもしれないな、と思い直す。


「まあ、この紺色の服が使用人のお仕着せとかぶっていたんだと思います」


 アデリナはスカートをつまんで見せた。


「でも、使用人のものと質が全然違うだろう。そもそもあなたを使用人と見間違えることが信じられない。……ってなんで笑っている」


 アデリナがくすくす笑っていることに気づいた辺境伯が、むっとした顔が言う。


「いえ。思いの外怒っていただいたので、ちょっと面白……嬉しくて。私は全然気にしません。むしろあの場で私の正体がばれたらもっと面倒なことになったと思うので、使用人と勘違いしてくれて助かったくらいです」

「まあ、それは確かに……」

「あの男は自分のことを次期辺境伯だと言っていました。ベルガー卿は、ケストナー家の傍系だったりするんですか?」

「いや、まったく違う」


 ゆっくりと辺境伯が首を振った。


「ベルガー家はケストナー家とヨーステン辺境伯を争った家だ」


 聞けば、元々のヨーステン辺境伯家は、七十年ほど前に断絶したのだという。そこで新たな辺境伯候補になったのが現ヨーステン辺境伯のケストナー家と、ベルガー家だ。

 ケストナー家は『結界』、ベルガー家は『大盾』という強力な防御系の異能を持つ。

 結局、前辺境伯の異能により近かったケストナー家が新たな辺境伯になった。


「あの男――コーエン・ベルガーはベルガー伯爵の三男だ。伯爵家の中で誰よりも強い『大盾』を持ちながら、家督を継げないのが不満らしい。ケストナー家が断絶すれば、自分が次期辺境伯になれると考えているんだろう」

「少し浅はかすぎはしませんか?」


 ケストナー家が断絶。確かにケストナー家に現在後継はいない。といっても、今の辺境伯であるオーティスは未婚の二十二歳。この段階で断絶というのは早すぎる。


(私たちは結婚するつもりはないけれど、辺境伯様が後継の大事さをわかっていないわけがないもの)


 今は何か理由があってアドリーヌとは結婚できないにしても、一生独身でいるつもりもないはずだ。


「そもそも、必ずしも次期辺境伯になれるなんて決まってないですよね?」


 あくまで七十年前は七十年前。今は今、だ。


「ああ。常識で考えればあなたの言う通りだ。だが、何かいい手があるのかもしれない。厄介なのが、前辺境伯夫人と組んだことだ。二十年も前とは言え、一応、ケストナー家の内部を知る存在ではあるからな。特に屋敷の間取りは変わっていない」


「前辺境伯夫人は今日は何をしに来たんですか?」

「いつもと同じ金の無心だよ。本当に懲りないひとだ。もっとも、本来の目的はベルガー卿を屋敷に入れることだったんだと思う」


 自分の母親のことだというのに、辺境伯の口調はひどく冷たく、突き放したものに聞こえる。子どものころに捨てられたのだから、仕方ないのだろう。


「まあ、用心するに越したことはない。ベルガー卿はしばらくカーロに滞在すると言っていたそうだな。貴重な情報感謝する」

「いえ。とんでもないです。伝えたいことは伝えられました! ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらだろう」


 辺境伯が笑う。その笑みの柔らかさに、アデリナの心臓が跳ねた。


「そうかもしれませんけど、図書室に来てほしいっていう意図が伝わったのが嬉しかったので」

「俺を見くびってもらっては困るな。それにあなたは食事のときも何かを言いたげに俺のところを見ていただろう?」

「え? そうですか」


 全然自覚がなかった……。


「ああ。とても可愛らしかった」


 さりげなく落とされた爆弾発言に、アデリナは固まってしまう。


「すまないな。いろいろ立て込んでいてゆっくりする時間が取れそうにないんだ。俺はこれで戻る。――また明日の朝食で」


 優しく微笑みかけると、辺境伯は図書室を出て行った。

 扉の閉まる音を遠くに聞いて、アデリナはようやく我に返る。

 最近、どうも辺境伯はアデリナに「可愛い」と口にする。本人無意識のようだけれど。

 こちらは社交界にでも出ていない小娘で、男性への免疫が少ないのだ。

 お願いだから、揺さぶるようなことを言わないでほしい。


 ――好きになって、しまうから。


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