15. スペアとして
夕食後、ライナートは砦でヨッヘムから受け取った報告書に目を通していた。
ここ数年、辺境伯領で違法な薬の取引が問題になっていた。何度か売人を摘発していたが、元締めまでたどりつけていないためだろう。しばらくするとまた別の売人が現れるといういたちごっこが続いている。
ようやく手がかりを掴んで、調査を進めているところだ。王都にも薬が広まっているという話も聞く。今度こそは根本から叩き潰したい。
売人の動向について注視しておくよう、王宮からも通達が来ている。
といっても、専門の調査官に任せている内容なので、現時点でライナートにできることは何もない。
ライナートは報告書を閉じた。今日の仕事はディオが大半終わらせてくれていたが、いくつか辺境伯ではないと決裁できないものがあった。それに目を通す。
ライナートは、辺境伯家の傍系である男爵家の令嬢が未婚で産んだ子どもだ。たまたま『結界』の異能を持っていることがわかり、辺境伯家にスペアとして引き取られた。もちろん、面と向かってスペアと言われたことはないし、嫡子であるオーティスと分け隔てなく育てられた。教育だって同じものを受けている。
ライナートはわきまえた子どもだった。誰に言われたわけでもない。周囲の様子をうかがって、自分が何を求められているかを敏感に感じ取った。勉学も剣術もオーティスを立てるために目立たないように努力した。自分は次点なのだから。
オーティスが困っていれば手を差し伸べたし、尻拭いをしたことも一度や二度ではない。もっとも、明日提出の課題が終わっていない、とかそういった可愛らしいものだけれど。
オーティスが駆け落ちなんていう手段をとったのは、彼にライナートならなんとかしてくれるという甘い気持ちがあったからだと思っている。
彼が戻ってくるまでのつなぎの身代わりのはずだったのに、彼が戻ってくる気配は全くない。辺境伯領の人間が内密で探しているが、おおっぴらにできないこともあり、進捗は芳しくなかった。もしかしたら既に国内にはいないのかもしれない。
――領民に罪はない。彼らのことを考えると、ライナートが辺境伯になる道が最善なのだろう。ここでヨーステン辺境伯家を断絶させて、赤の他人に爵位を譲るよりは、この土地で生まれ育ち、事情をよく知るライナートが就いた方がいい。
それは理解している。だからこそ、ライナートの中にもやもやとしたものが残る。オーティスの思惑に乗せられているような気がしてならない。
あの日、ライナートの存在を拒否したのはオーティスの方なのだ。
『役に立たないスペアはいらない』
そう直接言われたわけではないが、彼の言葉は要約するとこうなる。売り言葉に買い言葉のところもあったのだろう。
――わかっていたがショックだった。
だから、ライナートは寄宿学校を卒業してもカーロに戻らず、とある地方の役人になった。人柄のよい領主の元で、仕事を覚えた。やりがいも感じていた。このままこの地に身を埋めるのだ。そう思っていた。
だが、辺境伯を継ぐとなると、その仕事は辞めざるをえない。
――何故、オーティスの尻拭いをしなければならないのだろう。
ようやく自らやりがいが持てる仕事を出会えたというのに。どうしてオーティスのわがままでそれを犠牲にしなければならないのだろう。
わだかまりが消えないのだ。どうしてもこだわってしまう。意地を張ってしまう。
オーティスが戻ってくることが一番なのだが、その可能性は低い。それもライナートはわかっている。
「どうだった。ブラムバーグ公爵令嬢とのデート」
いつの間にかディオが机の前に立ってニヤニヤとこちらを見ていた。
「ノーコメント」
ライナートがちらりと顔を上げてにべもなく言うと、ディオが大げさに拗ねてみせる。
「けち。いいよ。あとでヨッヘムに聞くから」
ちなみにヨッヘムもライナートの正体を知る一人だ。結界を張る任務の都合上、砦にも味方が必要だったのだ。
「まあ、でもブラムバーグ公爵令嬢の方は楽しかったみたいだね。にこにこしながら今日の出来事を話してくれて可愛かった――」
「ディオ」
心の中に黒いものが広がって、ライナートはとがった声でディオの名を呼ぶ。
ディオがアドリーヌに近づくのは面白くない。人当たりのよいディオが、ライナートより先に彼女と親しくなったことを知っていても、だ。
そんなライナートの様子を見てディオはにんまりと笑う。
「安心して。僕が直接聞いたわけじゃないから。キーカから聞いたんだよ。僕とキーカは同盟を組んでいるからね。情報を交換しているんだ」
「なんだかろくなものじゃない気がする」
「ひどいな。いろいろあって踏み出せないきみを応援したいだけなのに。顔を見ればわかるよ。――きみ、ブラムバーグ公爵令嬢のこと、気に入ってるでしょ?」
まっすぐに指摘されて、ライナートはとっさに否定できなかった。
気に入っている。いや、気に入っているどころではなく――。
「でも、きみはあくまで身代わりで本物の辺境伯になるつもりはないから、彼女に近づきすぎてはいけないと思っている」
図星すぎて、沈黙するしかない。
「その割には、彼女に会いに図書室に通ってるみたいだけれど」
呆れたように言われて、知られていたのか、と驚く。自分でもやめた方がいいのはわかっているのだけれど、彼女の隣が心地よくて、ついつい足を運んでしまうのだ。
近づかない方がいいのに近づきたい。矛盾している。
「きみが辺境伯になれば、そんなこと気にしなくて済むよ。ブラムバーグ公爵令嬢は、ヨーステン辺境伯の婚約者なんだから」
「……馬鹿馬鹿しい。別に彼女とはそういう関係じゃない」
ライナートは吐き捨てた。そう。彼女とはあくまで同志だ。自分に言い聞かせる。いくら彼女と過ごす時間が心地よくとも。いくら彼女の視線の先にいる男にもやもやとした感情を抱いても。
ディオの琥珀の瞳が、静かにライナートを捉えた。
「何を今更都合のいいことを、っていうきみの気持ちはわかる。でも、きみしかいないのも確かなんだ。僕は、きみが辺境伯になるのであれば、何でも使う」
一年前、ライナートの元にやってきて、オーティスの身代わりになってくれないか、と持ちかけてきたのはディオだ。もちろん、彼の発案ではなく親戚たちの入れ知恵だ。
アビオン王国との間に緊張が走っている以上、辺境伯の交代などという隙を見せてはいけないのもわかっている。オーティスが過ちに気づいて戻ってくる、と信じたい気持ちもあった。だから引き受けた。
板挟みで一番大変なのはディオだろう。辺境伯の親戚たちは、さっさと彼を見限ってライナートを後継にすればいいと考えている。ただそれは、状況を慮ったものではなく、単に特家のおこぼれを失いたくないだけだ。特家は重要な役目の代わりに多少の税の軽減など利権がある。
それを本人の意思を大切にするべきだと止めてくれているのが彼だ。
自分の意思で継がないと意味がない、と。
ライナートが目をそらすとディオが小さくため息をついた。
「まあいいよ。まだ少し時間はある。それまでに覚悟を決めてもらえれば。あと、一つ報告。――アビオンの国王が、そろそろ本格的に王太子を決めると宣言したらしい。少し前に珍しく寝込んだことで少し弱気になったみたいだね。王子たちも今までは様子見だったけど、なりふり構わなくなる可能性がある」
ライナートの脳裏に、先ほどの報告書の内容が浮かんだ。
――本件、アビオン王国の上層部の関与疑いあり。
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