前途多難な夏休み2
「今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした」
「……ありがとうございました……」
何度教えても初歩的なミスをするような、出来の悪い生徒のセリーヌにも笑顔を崩さず教えてくれるマナーの先生が礼儀正しく美しい姿勢で部屋を去っていき、セリーヌははぁーっと脱力する。
王太子妃教育をサボっていたツケが回ってきたのだろうか。毎日毎日マナーやら立ち居振る舞いやらダンスやら、挙げ句の果てに楽器まで、一日中いろんな先生にしごかれている。お陰でライフはほぼ0、ヘトヘトだ。しかもダンスの授業は三度にいっぺん、王子が何故かやって来る。時間が空いたからダンスの相手役に来たというアンドリューだが、セリーヌは知っている。夏季休暇中とはいえ、王子としての公務がプラスに課されていて彼は今とても忙しいはずだ。セリーヌのダンス練習終わりにアンドリューを探しに来た側近のライアンがせっついているのを見た。
その時コンコンとノックの音が響くと、その思い浮かべていた人物が、部屋の扉を開けた。
「やあ、セリーヌ嬢」
「ライアン様……!?」
恐らく攻略対象であるライアン。普段は笑顔で少し軽い印象もあるが、何を考えてるのか読めない男だ。そもそもセリーヌとは親しくもない彼が用もなくやって来るなんてことはおかしい。何かあるはずだと、内心少し不安になりながらも問いかける。
「どうなさったんですか……?」
「しっかり王太子妃教育してるかなって」
「……監視しに来たんですね……」
王子にでも言われてきたのだろうか。セリーヌが呆れていると、監視なんて言い方が悪いなと、アンドリュー王子とはまた違う笑みでいつものようににこにこと笑う。
「セリーヌ嬢はさ、アンドリューとの婚約は不服なわけでしょ」
「……ここで否定しても納得はされないんでしょう?」
はは、よくわかってるねと彼は楽しそうに笑う。一見社交的で明るく、少し軽いイメージもあるが、彼もあまり腹が見えないタイプなので安心はできない。セリーヌは気を張る。
「顔がタイプじゃない? まさかね! アンドリューの顔を嫌いな女性なんていないでしょ」
「まぁ……そうでしょうね」
一体何を言い出すかと思えば顔の話か。確かに甘く爽やかなあれ程までの美形、嫌いだと言う方がおかしい。若干ひきつりながらも、セリーヌはどもりながら答える。
「何、厳しい王太子妃教育が辛かったの?」
「そういう訳じゃ……」
視線を落とし、セリーヌが口ごもる。まさか王子自体が問題ですとまでは言えない。
その姿にライアンは何やら考えるように問いかける。
「セリーヌ嬢が逃げてるのって、わざとだったりする?」
「は?……」
慌てて口を押さえる。思わず声が出てしまった。一旦言葉を飲み込んで、彼に聞き直す。
「な、何を……」
「押して駄目なら引いてみろ的な」
「そんなっ! これまで私がわざと殿下を避けていると本当にお思いでしたの?!」
心外だ。この5年間の最低限の接触で躱してきたし、たかが王子の興味や気を引こうとする為に、あんな必死に毎回昼休み死にものぐるいで逃げていると思っていたのか? ライアンはかなりの切れ者であると感じていたが、だとしたらだいぶ節穴である。
「いやぁ、でもあれまであんなに王子の事を付け回していたからね。こんなに突然態度を変えたのを信じられなくて」
そう話す彼の言葉に詰まりながらも、セリーヌはぼやかす。
「まぁ……色々ありますわ。時が経てば人は変わりますし……」
「確かに。逆に彼の方が今は乗り気だけどね」
「……殿下は私が頑なだからヤケになってるだけですわ」
「……そうかな?」
表情と視線を落として小さく答えるセリーヌに、ライアンは静かに笑みを落とす。
「――まあ、君がどう思うかっていうのは自由だと思うよ。俺がとやかく言うことじゃないしね。……ただ、添い遂げるつもりなら、王太子妃教育はしっかりした方がいい」
突き放すような話し方に、忠告めいた言葉。普段の彼とはそぐわない姿に、はっとセリーヌは驚いた。
「全てはアンドリューが何を選択するかだから、俺は事前にその選択肢を精査するだけだ。何事に対してもね」
「それは、一体……」
この、確信固い言葉へ彼女が問いかけると、当たり前だと言うように、ライアンは笑みを浮かべた。
「主君が間違った道に進まぬよう、常に正しく最善を選ばせるように働かせる。それが臣下としての勤めだろう?」
ライアンからその言葉が出た事に驚いてしまう。彼はただ、王子の傍にいたわけではなかったようだ。
「……だから私の事も、殿下に相応のものかどうか見定めていると?」
まるで、全てを担うのは自分だとでも言うような言葉。王子のそばにずっと傅き、友人としても親しくしてきた彼。しかしその裏で、彼は自らの王とする者に仕えている事を意識してきたのだ。その行動がこれから先どの様に作用するのかも。そしてずっと、王子の傍についていた。決定打を動かしていると、思いながら。
もしかしたら一番底知れない人物かもしれない。
――この男、思っていたよりずっと一筋縄ではいかない厄介な男だ。
セリーヌはすっと目を細めて彼を見てから、笑みを浮かべて彼に口を開く。
「……レナルド様から見れば私は評価に値しないものでしょう」
「いや、そんな事はないさ。十分、素質はあると思うよ。アンドリューの隣に立つに値する」
「あら、評価頂きありがとうございます。これからもレナルド様のお眼鏡に適うように精進しますわ」
これ、もしかして乙女ゲームだと王子を攻略するには、まずライアンを先に攻略しなくてはならないんじゃないかと関係のないところで思うセリーヌは、にっこりと淑女の完璧な笑みを浮かべる。こいつに弱みや綻びを見せてはいけない。そう思って対抗する彼女に、ライアンは口元に弧を描いた。
「――でも、君はむしろアンドリューとの婚約を破棄したいんじゃなかった?」
「あ……」
何をやってるんだ私は。
指摘されてそこで初めて失言に気づく。固まる彼女に、ライアンは吹き出すように笑う。
「セリーヌ嬢は本当に面白いな」
少し小馬鹿にして面白がる様なライアンにセリーヌは恥ずかしながらもムッと睨む。
「ごめんごめん、怒らないで。俺がアンドリューに怒られちゃうよ」
今度は本当に謝るような姿で笑った。本当に、心の読めない嫌な奴だ。じとりと見つめていると、ライアンが口を開きかけた。
「そう言えば――」
「セリア」
その時ガチャリと部屋のドアが開いた。
「アンドリュー様……!」
ここで思わぬ人物の登場に思わず背筋が伸びる。
「授業は終わったのかな?」
にこりと笑いながら、ライアンになぜここに? と言う顔で首を傾ける。
「ああ、偶然通りかかったら授業の終わりかけたセリーヌ嬢を見つけてね。暇してそうだったから話し相手にでもなってあげようかと」
嘘つけ。監視してたんだろう。そう思うセリーヌに、王子がそうなのかい? と問いかける。
「え、ええ……ライアン様はお相手をしてくださってましたわ。……私も息抜きができました」
笑顔で答えるも、内心少し腹立ちながら話すセリーヌ。そういう彼女を王子は微笑みのままじっと見る。
「――じゃあ、俺はこのへんでお暇しようかな。またね、セリーヌ嬢」
ひらひらと手を振り、王子にも別れを告げ部屋を去っていくライアン。なんだか釈然としない。してやられたような気分のままだ。
しかし部屋に二人となったセリーヌは、王子に慌てて声をかける。
「お仕事の方はお忙しくはなかったのですか?」
「ああ、今しがたキリのいいところまでは片付けてね。セリアの顔が見たくなって会いに来たんだ。セリアにライアンとは、意外な組み合わせだね」
そう話す王子に、セリーヌは愛想笑いを浮かべるも、少し気になったことから口に出して問いかけた。
「アンドリュー様は、ライアン様ととても親しい仲ですよね」
「ああ。小さな頃からの数少ない本音で話せる友人だからね」
にこやかに笑う王子にセリーヌは思い切ってこう問いかけた。
「アンドリュー様は……ライアン様の事をどう思っておられますか?」
こんな質問、おかしいかもしれない。それでも、セリーヌは王子にそう問いかけた。すると彼はセリーヌに向かってこう口にする。
「彼は僕の友人であり、本当にいい臣下だよ。何でも気軽に話せる友人でありながら、従順な臣下であり、時に父母の様な助言をくれて導いてくれる。彼の選ぶことは正しい。――だけど、最終的に何を選択するか決めるのは僕だ」
ふっと王子は影のある顔で笑う。その君主たる貫禄に、セリーヌも思わず慄いてしてしまう。隙のない、冷徹な面。もしかして、聞いていた?——
しかしその後にすぐぱっと顔を変えさせた。
「まあ、少し軽そうに見えるかしれないけど、いい人だからセリアも嫌わないでくれると嬉しいな。あ、でも仲良くしすぎると今度は少し妬いちゃうかもしれないね」
「あ、アンドリュー様……」
一瞬見せた姿に緊張したものの、いつもと変わりないにこにことした王子に少し、安堵した。




