第28話 足りないもの
露店を始めて四日目
朝
目を覚ました瞬間から、なんとなく身体が重かった
理由は分かっている
「……昨日の私、なんで十二セットも作ろうなんて思ったのかしら」
昨夜
麦穂亭の部屋でひたすらパルナの葉と向き合った
開いて
粉を移して
包んで
また開いて
コンソメ三包
コーン三包
それを十二セット
全部で七十二包
八セットでも結構時間がかかったのに
十二セットは想像していた以上だった
途中で何度
やっぱり八セットでいいんじゃない?
と思ったことか
それでも昨日
売り切れた後にも何人か買いに来てくれたのを思い出して
結局、全部やった
「これを毎日は、さすがに嫌ねぇ……」
でも
昨日よりかなり増やしたんだから
今日は余裕があるでしょう
朝食を済ませ
商人ギルドで今日の区画を確認してから市場へ向かう
両隣にも軽く挨拶を済ませ
いつものように商品を並べていく
マッチ
石鹸
ピーラー
ファイヤースターター
折り畳み椅子
そして
昨夜頑張って包んだ十二セットのスープ
黒板を立て
四日目の露店を始めた
――のだけど
「噂のスープってまだある?」
「あるわよ」
「じゃあ一つ」
朝からスープを目当てに来る人がいた
昨日買えなかった人もいれば
誰かから聞いて来たらしい人もいる
もちろん
マッチや他の商品を見ていく人もいるけど
昨日までと違って
黒板を見るより先にスープについて聞いてくる人が増えていた
そして
売れるようになると
今までとは違うことも聞かれる
「ねえ、コーンだけのはないの?」
「あら、コーンだけ?」
「知り合いに飲ませてもらったんだけど、あっちの方が好きだったの」
「今はコンソメとコーンを三つずつ入れたものしかないのよ」
「そっかぁ」
少し残念そうにスープを見る
「じゃあ、一包だけは?」
「それも今はやってないの」
「うーん……じゃあ一セットください」
「はい、毎度あり」
その後も
コンソメだけ欲しいという人がいた
コーンだけ
コンソメだけ
一包ずつ
今まで二種類をまとめて売ることしか考えてなかったけど
欲しい方だけ買いたい人もいるのね
「その辺も考えた方がいいかしら」
まあ
今すぐどうこうできる話でもない
それはまた今度考えましょう
そんな調子で
噂を聞いた人がぽつぽつとやってくる
昨日より増やしたし
さすがに今日は余るかも
なんて思っていたのに――
「噂のスープ、まだありますか?」
「あるわよ。これで――」
籠へ手を伸ばす
残っているのは
一セットだけ
「最後ね」
「え、もう?」
「そうなのよ。今日は昨日より増やしたんだけどねぇ」
「間に合って良かった」
客が嬉しそうに代金を出す
四百Gを受け取り
最後の一セットを渡した
籠の中には何も残っていない
「…………」
昨夜
七十二包も詰め替えた
それなのに
空を見上げる
太陽はまだ高い
「まだお昼頃なんだけど……」
昨日は午後もかなり時間が経ってから売り切れた
今日はそれより多く用意したのに
もうない
「……私もびっくりよ」
嬉しい
売れるのはもちろん嬉しい
でも
昨夜の七十二包を思い出す
あれをやって
これ?
とりあえず黒板のスープの横に
売り切れ
と書き足した
その後も
何人かがスープを目当てにやってくる
「噂のスープは?」
「ごめんなさい。今日はもう売り切れなの」
「もう?」
「ええ」
「まだ昼だぞ?」
「そうなのよねぇ……」
商品なら通販ですぐに用意できる
問題は
そのまま売れないことだった
一包ずつパルナの葉に移して
包み直さなきゃいけない
「これ以上増えたら、包むだけで夜が終わるわよ……」
昨日はほとんどスープの詰め替えに時間を使った
今日だけならいい
一日くらいなら頑張れる
そう思って十二セット用意した
でも
これを毎日?
「……無理ね」
即答だった
これ以上増やす?
十五セット?
二十セット?
想像しただけで嫌になる
「何か考えないと駄目ねぇ……」
空になった籠を見ながら考えていると
それから少し経った頃
一人の男がこちらへやってきた
年は三十代半ばくらいだろうか
派手さのない服装で
捲った袖から見える腕はしっかりしている
男は黒板を見ると
スープの文字へ視線を向けた
そして
その横に書いてある文字を見て眉を寄せる
「……売り切れ?」
「あら、スープ目当て?」
「ああ」
「ごめんなさい。少し前に売り切れちゃったの」
「そうか……もう少し早く来ればよかったな」
「お昼頃は忙しかったの?」
「ああ。仕事だったんだよ。料理人やってる」
「あら」
料理人
それならこの時間になったのも納得だ
「知り合いが昨日、やたら褒めててな」
「スープを?」
「ああ」
男は少し呆れたような顔をする
「粉に湯を注ぐだけで、やたら美味いスープになるって聞いてな」
「まあ、作り方はそれで合ってるわね」
「それだけじゃないぞ」
「まだあるの?」
「高級料理店で出てきてもおかしくないくらい美味かった、とまで言ってた」
「……まだその噂広がってるのね」
昨日から何度か聞いているけど
一体どこまで話が大きくなるのよ
「だから気になって来てみたんだが……」
「残念だったわね」
「まあ、ないものは仕方ないな」
そう言いながらも
男はすぐには帰らず
並んでいる商品へ視線を移した
「せっかく来たし、他のも見ていくか」
「あら、どうぞ」
最初に手に取ったのは
マッチだった
「ああ、これがマッチか」
「あら、知ってるの?」
「冒険者の客が話してたんだよ。変わった火起こし道具を売ってる露店があるって」
「そういうところでも噂になってるのねぇ」
男は箱を開け
中に並んだ細い棒を見る
「これだけで火がつくのか?」
「ええ。火打石とかは必要ないわよ。この棒を箱の横で擦れば、それだけで火がつくの」
「へぇ……」
男は中身を眺めてから
箱を閉じる
「これなら厨房でも使えそうだな。いくらだ?」
「一箱百五十Gよ」
「それなら一つもらう」
「毎度あり」
代金を受け取り
マッチを一箱渡す
「濡らさないように気をつけてね。湿気ると火がつきにくくなるから」
「ああ、分かった」
男は買ったマッチをしまうと
そのまま他の商品にも視線を向けた
石鹸を見て
ファイヤースターターを眺め
折り畳み椅子にも少し目を留める
そして
「……これは?」
ピーラーの前で手が止まった
「ああ、それはピーラーよ」
「ぴーらー?」
「野菜の皮を剥く道具」
「皮を?」
私は実演用に置いていた野菜を手に取る
「こうやって使うのよ」
ピーラーを当て
そのまま滑らせる
薄く剥けた皮が落ちた
「ほら」
「……へぇ」
男の目が
ピーラーと野菜を行き来する
「……俺もやっていいか?」
「もちろん。刃には気をつけてね」
ピーラーと野菜を渡す
男は刃の向きを確かめてから
野菜へ当てた
すっ
薄い皮が落ちる
もう一度
すっ
「……なるほど」
今度は剥けた皮を摘まみ
厚さを確かめている
さすが料理人
見るところが違うわね
何度か試したところで
男はピーラーを見る
「でも、皮なら包丁でも剥けるだろ?」
「もちろん剥けるわよ」
私はあっさり頷く
「ただ、こっちの方が楽なの」
「楽、か」
男はもう一度
ピーラーを手の中でひっくり返す
料理人なら
包丁で野菜の皮を剥くなんて毎日のことでしょうね
私にとっては便利な道具だけど
この人に必要かどうかまでは分からない
「いくらだ?」
「千二百G」
「千二百か……」
男は少し考える
一度置きかけて
もう一度手に取る
さっき自分で剥いた野菜を見る
「……まあ、物は試しか」
「あら」
「一つくれ」
「毎度あり」
代金を受け取り
ピーラーを渡す
「刃物だから、使う時は気をつけてね」
「ああ」
男はピーラーをしまうと
もう一度黒板を見る
「スープ、明日も売るんだよな?」
「そのつもりではいるわ」
「なら、また仕事が終わってから来てみる」
「あー……」
今日売り切れた時間を思い出す
「その時間まで残ってるかは、ちょっと約束できないわねぇ」
「朝と昼は仕事だぞ」
「そうよねぇ」
「まあ、残ってたら買う」
「そうしてちょうだい」
男は片手を上げ
人混みの中へ消えていった
「ピーラー、初めて売れたわね」
今までずっと
包丁でもできる
で終わっていた商品だ
「使ってみてどう思うかしら」
便利だと思ってもらえたらいいんだけど
それから夕方まで露店を続けた
スープはないけど
マッチがいくつか売れ
商品について聞いていく人もいる
日が傾き始めたところで
今日の営業を終えることにした
黒板をしまい
残った商品を《無限収納》へ入れていく
最後に
空になったスープの籠を見る
「十二セットでも足りない、かぁ……」
明日はどうする?
また十二セット?
それとも増やす?
「いやいやいや」
思わず首を振る
十二セットでも昨日あれだけ大変だったのよ
これ以上なんて冗談じゃない
「何か考えないと駄目ね」
そう呟きながら
残っているパルナの葉を確認する
「……あら、もうこれだけ?」
昨夜だけでも七十二枚使った
その前にも使っているんだから
減っていて当然だ
「こっちも買い足さないと駄目ね」
まだ店が閉まる時間ではない
以前パルナの葉を買った店なら
今からでも間に合うはず
露店の片付けを終え
私は市場を出た
前にパルナの葉を買った店へ向かう途中
大通りから少し外れた道へ入る
そこで
「……ん?」
道の端に
小さな女の子が座り込んでいた
五歳か
六歳くらいだろうか
着ている服は随分と古く
何度も繕った跡がある
袖や裾も擦り切れていた
俯いたまま
膝の上で小さな手をぎゅっと握っている
辺りを見回しても
それらしい大人はいない
何より
今にも泣き出しそうな顔が気になった
私は少し近づいて
声をかける
「ねえ、大丈夫?」
女の子の肩が
びくっと跳ねた
顔を上げ
私を見る
その目に浮かんだのは
明らかな怯えだった
「あ……ごめんね。驚かせちゃったわね」
いきなり知らない大人に声をかけられたら
そりゃ怖いわよね
私はそれ以上近づかず
ゆっくりと女の子の前にしゃがむ
「ここにいるから、安心して」
少し距離を空けたまま
女の子を見る
「一人で座ってたから、ちょっと心配になっただけなの」
女の子は何も言わない
でも
さっきまでの強い怯えは
少しずつ薄れていった
それを見て
もう一度聞いてみる
「ここに座ってたけど、どこか痛い?」
女の子は
ふるふると首を横に振る
「そう。痛くはないのね」
少なくとも
痛くて座り込んでいたわけではなさそう
「じゃあ……あなた一人?」
女の子は答えない
「お父さんか、お母さんは?」
その瞬間
女の子の顔がくしゃっと歪んだ
「えっ」
大きな目に
みるみる涙が溜まっていく
「ちょ、ちょっと待って! 泣かないで!?」
え
何?
私、何か聞いちゃ駄目なこと聞いた!?
「ご、ごめんね? 言いたくなかったら言わなくていいのよ」
どうしたものかとオロオロしていると――
「リナ!」
少し離れたところから
突然声が響いた
女の子が顔を上げる
「お兄ちゃん……」
振り返ると
十二歳くらいの男の子が
こちらへ向かって走ってきていた
その服も
リナと同じように古く
何度も繕われている
「リナ!」
男の子はそのまま駆け寄ると
リナを背中へ庇うように
私との間へ割って入った
そして
私を鋭く睨みつける
「リナに何した!」
「え?」
その目を見て
ようやく気づく
……ああ
これ
完全に誤解されてるわね




