第25話 初めての露店
いつもより少し早く目が覚めた
窓の外は、まだ朝の光が柔らかい
「……起きるにはちょうどいい時間ね」
昨日までは準備だった
今日は本当に店を出す
ただそれだけなのに、いつもより少し落ち着かない
ちゃんと売れるかしら
そもそも足を止めてもらえるのかしら
考え始めれば、いくらでも出てくる
「まあ、初めてなんだからやってみないと分からないわよね」
それくらいでいい
顔を洗って身支度を整え、一階へ下りる
朝食を食べ終えて席を立つと、マルタさんが声をかけてきた
「今日から露店だったね」
「ええ。まずは今日一日、やってみるつもり」
「それなら頑張っておいで。行ってらっしゃい」
「ありがと。行ってくるわ」
麦穂亭を出て、そのまま市場へ向かう
朝だというのに、すでに通りには荷車や籠を抱えた人が行き交っていた
市場へ着くと、抽選で指定された区画を探して歩く
「ここね」
左右にはすでに店を広げ始めている人がいた
片方は革製品を並べている男
もう片方は乾物を扱っている年配の女性だ
まずは挨拶よね
革製品の店へ向かう
「おはようございます。今日一日よろしくお願いします」
男が顔を上げた
「おう。今日ここ使うのあんたか」
「ええ。初めてだから、何か迷惑かけちゃったら言ってね」
「まあ、そんな気にしなくていいさ。よろしくな」
「よろしくね」
今度は反対側へ
「おはようございます。今日一日よろしくお願いします」
「あら、おはよう。こちらこそよろしくね」
柔らかい雰囲気の人だ
「私、今日が初めてなの。何か迷惑かけちゃったら言ってね」
「あら、初めてだったの」
女性は少し驚いたあと、にこりと笑った
「そんなに固くならなくても大丈夫よ。分からないことがあったら聞いてちょうだい」
「ありがとう。助かるわ」
「お互い頑張りましょうね」
「ええ。よろしくね」
自分の区画へ戻り、準備を始める
地面に布を敷いて、木箱や籠を置く
その上に商品を並べていった
マッチ
粉末スープ
石鹸
ピーラー
折り畳み椅子
それからファイヤースターター
最後に、商品名と値段を書いた小さな黒板を見やすい位置に立てる
「……こんなものかしら」
一歩下がって眺めてみる
統一感は――ない
「まあ、雑貨屋みたいなものよね」
最初はこれでやってみましょ
そう思って待ってみたものの――
「…………」
人は通る
たくさん通る
でも、止まらない
たまに商品へ目を向ける人はいるけれど、そのまま通り過ぎていく
「まあ……そうよねぇ」
知らない店
知らない商品
しかも初日
いきなり飛ぶように売れる方がおかしい
分かってはいる
分かってはいるんだけど
「暇ねぇ……」
しばらく立っていたけれど、さすがに疲れてきた
そういえば
《無限収納》から畳んだ椅子を取り出し、その場で広げる
背もたれを起こして腰を下ろした
「はぁ……楽」
やっぱり買って正解だったわ
火の番をしていた時にこれがあったら、どれだけ楽だったことか
「……おい」
横から声がした
革製品を売っていた男が、こっちを見ている
正確には――私の椅子を
「何?」
「今、それどっから出した?」
「ああ、収納よ」
「収納持ちかよ……」
「まあね」
男は一瞬私を見たあと、すぐに椅子へ視線を戻した
「いや、それも驚いたけど――今のなんだ?」
「今の?」
「その椅子だよ。畳んでたよな?」
「そうだけど?」
立ち上がって、椅子を畳んでみせる
さっきまで私が座っていた椅子が、あっという間に細長くなる
「…………」
男の目が見開かれた
「……椅子が畳めるのか?」
「そうよ」
もう一度広げる
「こうすれば椅子になるの」
「ちょっと見せてくれ」
「いいわよ」
男が近づいてきて、畳んだり広げたりする部分をじっと眺める
「よくこんな細いので……」
その様子が気になったのか、通りを歩いていた人まで足を止め始めた
「何見てんだ?」
「椅子らしいぞ」
「椅子?」
「畳めるんだと」
「あんなに小さくなるのか?」
……あら
さっきまで誰も止まらなかったのに
一人が止まると、他の人も気になるものなのね
「これ売ってるのか?」
男が聞いてくる
「これは私の」
自分の椅子を指差してから、露店に置いてあるもう一つを取る
「売るならこっちね」
背もたれのない小さな折り畳み椅子
畳んだ状態から広げて地面へ置く
「こっちも畳めるのか」
「もちろん」
一度畳んでから、もう一度広げてみせる
「座ってもいいのか?」
今度は通りすがりの男が聞いてきた
「どうぞ」
恐る恐る腰を下ろし、少し体重をかけてから何度か身体を揺らす
「結構しっかりしてるな」
「簡単には壊れないわよ」
「へぇ……」
気には入ったらしい
けれど黒板の値段を確認すると、少し悩んだあと立ち上がった
「便利そうだけど……ちょっと高いな。今回はやめとく」
「あら残念」
まあ、そうよね
見たこともない椅子を、その場で即決しろっていう方が無理がある
でも、触ってもらえた
それだけでも十分だ
椅子をきっかけに、何人かが商品を眺めていく
その中で、若い冒険者らしい男がマッチを手に取った
「これ、マッチか?」
「そうよ」
箱を眺め、中から一本取り出す
「見たことないやつだな」
「使い方もちょっと違うわよ」
「どう使うんだ?」
私は箱を受け取り、側面を指差した
「その棒の先を、箱の横にあるここで擦るの」
「擦るだけ?」
「ええ。それだけで火がつくわ」
男が眉を寄せる
「火打石は?」
「いらない」
「薬に浸けるのか?」
「それもいらないわよ」
「……本当か?」
疑うわよね
「見てて。ここを――こう」
シュッ
小さな音と一緒に火がつく
「おおっ」
すぐ横に用意していた水へ入れて火を消す
男は私の手元をじっと見ていた
「本当に擦っただけでついた……」
「便利でしょう?」
「火打石も火種もいらないのか」
「そういうこと」
男は箱をもう一度手に取り、中を覗いた
「結構入ってるな」
少し考えてから、私を見る
「これ、一箱くれ」
「はい、ありがとう」
――売れた
初めての商品
たった一箱なのに、思っていたより嬉しい
顔に出ないようにしながら代金を受け取る
すると、さっきの実演を横から見ていた別の冒険者が手を上げた
「俺も一つくれ」
「あら、ありがとう」
これで二箱
けれど、そこから次々売れる――なんてことはなかった
「便利そうだな」
「でも火打石持ってるしなぁ」
そんな声も聞こえる
まあ、それが普通よね
昼を過ぎても、商品を眺める人は少しずつ増えたものの、売れるところまではなかなかいかない
石鹸を手に取った女性が首を傾げた
「これは何かしら?」
「身体を洗う石鹸よ」
「身体を?」
「ええ。髪にも使えるわよ」
「髪にも……」
女性は石鹸を鼻へ近づけた
「獣くさくないわね」
「匂いはほとんどないでしょう?」
「ええ。石鹸なのに変わってるわね」
「こっちの石鹸とは作り方が違うのよ」
女性は表面を指で撫でながら、何度も眺めている
「ポナの実はいらないの?」
「いらないわよ。これだけで大丈夫」
「服にも使えるの?」
「一応洗えるわよ。ただ、洗濯専用ってわけじゃないから、頑固な汚れまで綺麗に落ちるとは思わない方がいいわね」
「一つで色々使えるのは便利そうねぇ」
「でしょう?」
かなり興味は持ってくれた
けれど値段を見ると、女性は石鹸をそっと戻した
「ちょっと考えるわ」
「ええ。また気になったら見に来て」
やっぱり見た目が綺麗すぎるのかしら
安物には見えない
なのに高級な石鹸に比べれば安い
それが逆に怪しく見える可能性もあるわね
ピーラーにも何人かが足を止めた
「これは?」
「野菜の皮を剥く道具よ」
実演用に用意していた野菜を手に取る
「こうやって――」
すっと滑らせる
薄く皮が剥けた
「おお」
「包丁より簡単でしょう?」
「便利そうだな」
男はピーラーを手に取って眺め、それから値段を見る
「……でも皮なら包丁でも剥けるしな」
「まあ、それはそうね」
そこを否定する気はない
結局ピーラーも売れなかった
ファイヤースターターにも何人か目を向け、値段を確認していったけれど、それだけだった
今日は無理に説明する必要もない
気になる人が出てきた時に見せればいいわ
そうしているうちに、日も少し傾き始めた
市場を歩く人の中にも、仕事帰りらしい冒険者の姿が増えてくる
その中の一組が、私の露店の前で足を止めた
三人組
一人が黒板を眺め、もう一人は並べた商品を覗き込んでいる
そして残る一人――
「…………」
頭の上に、灰色の尖った耳がある
獣人
アルネスに来てから遠目に見かけたことはあったけれど、こうして近くで見るのは初めてだ
……動いてる
ぴくっと耳が動いた
「…………」
もう一度動く
「……なんだよ」
目が合った
「あ」
少し低い声
怒っているというより、ぶっきらぼうな感じだ
「ごめんなさい。私がいた辺りじゃ獣人を見かけなかったから、珍しくて」
「だからって見すぎだろ」
「ごめんなさいって」
「おい、これなんだ?」
助かった
仲間の一人が、パルナの葉で包んだスープを手に取っていた
「それはスープよ」
「これが?」
「中に粉が入ってるの」
「粉?」
「器に入れて、お湯を注いでよく混ぜるだけ。それで飲めるわよ」
「お湯だけでいいのか?」
「ええ」
「それは楽だな」
冒険者なら、やっぱりそこは気になるわよね
「時間がない時とか、寒い日にちょっと温かい物が飲みたい時にも便利よ」
「昼飯に足すのも良さそうだな」
「そうね。これだけじゃ足りなくても、パンなんかと一緒ならいいと思うわ」
スープを手にしていた男が、二種類の包みを見比べる
「こっちとこっちは何が違うんだ?」
「味よ。片方は少し甘くてまろやかなスープ。もう片方は肉と野菜を煮込んだような味ね」
「甘い?」
男が聞き返した
「スープが?」
隣にいた仲間までこちらを見る
「そうよ」
「何で甘いんだ?」
「甘みのある野菜を使ってるの」
「甘い野菜?」
三人揃って不思議そうな顔をした
「お菓子みたいに甘いわけじゃないわよ。野菜そのものに甘みがあるって感じ」
「へぇ……」
男は興味深そうに包みを見る
「もう一つは?」
「肉と野菜をじっくり煮込んだような味ね。こっちよりあっさりしてて、塩気のあるスープよ」
肉、と言った瞬間
灰色の耳がぴくりと動いた
……あら
そっちが気になるのかしら
「どっちがうまい?」
「それは好みねぇ。私はどっちも好きよ」
「両方入ってるのか?」
「ええ。三つずつ入れてあるわ」
スープを持った男は、しばらく包みと黒板を見比べたあと頷いた
「一つ買ってみるか」
「ありがとう」
スープの包みをまとめて渡し、代金を受け取る
これで今日売れたのは、マッチが二箱とスープが一組
多くはない
でも――ゼロでもない
三人が人混みの中へ消えていく
……結局、最後まであの耳が気になったわ
それからしばらく店を開けていたものの、大きな動きはなかった
商品を眺める人
値段だけ確認して去る人
何に使うのか聞いてくる人
結局、石鹸もピーラーも椅子もファイヤースターターも売れないまま、初日の露店を終えることになった
商品を一つずつ片付けていく
「どうだった、初日は」
隣の革製品の男が声をかけてきた
「全然売れなかったわ」
「まあ、初日ならそんなもんだろ」
「そういうもの?」
「見たことねぇ物ばっかりなんだ。むしろ買った奴がいたなら上出来じゃねぇか?」
「……それもそうね」
反対側の女性にも挨拶をする
「今日はありがとうございました」
「お疲れさま。また会えたらよろしくね」
「ええ。こちらこそ」
明日はまた抽選だ
同じ場所になるかどうかは分からない
荷物を《収納》へしまい、市場をあとにする
麦穂亭へ戻り、部屋に入ってから小銭箱を取り出した
今日売れたのはマッチが二箱
それからスープが一組
受け取った硬貨を並べて、今日の売上を確認する
「三百……四百……」
合わせて――
「七百Gね」
初日の売上、七百G
多いとは言えない
でも、自分で店を出して、自分の商品を売って得たお金だ
「ふふっ」
ちょっと嬉しい
もちろん、売上がそのまま儲けになるわけじゃない
露店の場所代もかかっているし、現地で揃えた物だってある
通販の商品だってタダじゃない
今は向こうにいた頃の貯金から出しているけれど、それだって無限じゃない
「こっちのお金で回せるようにならないとねぇ」
それはもう少し稼げるようになってから考えればいい
今はまず、売ることだ
それに、今日分かったことは売上だけじゃない
椅子に座ってみた人がいた
石鹸を何度も手に取っていた人がいた
ピーラーを見て便利そうだと言った人もいた
ファイヤースターターだって、値段を確認する人はいた
売れなかったからといって、興味がなかったわけじゃない
「なるほどねぇ……」
何を見せれば足を止めるのか
何を説明すれば興味を持つのか
どこで値段を見て諦めるのか
実際に店を出してみなければ分からないことばかりだった
売れた物は少し補充して
今日よく聞かれたことも覚えておいて
明日はもう少し、やり方を変えてみようかしら
そう考えながら、今日並べた商品を一つずつ思い返していく
初めての露店は、思っていた以上に考えることが多かった
そして明日もまた店を出そうと考えている自分に気づいて
私は小さく笑った




