第1話 異世界で最初に出会った人
「こっちで合ってるのかしら……」
森の中を歩き始めてからどれくらい経っただろう
橘雅樹はスマホを片手にひたすら森の中を歩いていた
「というか道がないのよ道が!」
当然である
現在地が分からない以上どちらへ進めば人里があるのかなんて分かるはずもない
一応ネットで遭難した時の対処法なんかも調べてみた
むやみに動き回らない
安全な場所を確保する
水を確保する
体力を温存する
「ごもっともね」
ただしここは地球ではない
《鑑定》した結果によれば、ここはアストリア大陸という場所らしい
聞いたこともない大陸
見たこともない植物
そしてなぜか使えるようになった《鑑定》と《無限収納》
ここが異世界だという現実を認める材料としては十分すぎる
「遭難したら動くなって言われてもねぇ……」
雅樹はスマホを見る
「ここじゃ救助隊なんて来ないでしょうが」
水や食料なら通販でどうにかなる
最悪テントや寝袋を買えば野宿だってできるだろう
だからといって森で暮らし続けるつもりは毛頭ない
「私は文明が恋しいのよ!」
ベッドで寝たい
お風呂にも入りたい
何より人と話したい
「せめて道くらい見つからないかしら」
木々の間を進みながら何度目か分からないため息をつく
その時――
「……ん?」
雅樹が足を止めた
何か聞こえた気がする
耳を澄ませる
ガンッ
少し間を置いて
ガンッ、ガンッ
「……何か叩いてる?」
鳥や動物が出す音には聞こえない
雅樹の顔が明るくなる
「人!?」
音のする方向へ歩き出す
自然と足が速くなる
木々の間を抜けていくと少しずつ地面の様子が変わってきた
草が少ない
土が踏み固められている
さらに進めば明らかに人が通った跡が見えた
「道じゃない!」
ようやく見つけた
細いながらも馬車くらいなら通れそうな土の道だ
「文明よぉ……!」
まだ道を見つけただけなのに泣きそうなくらい嬉しい
そして音の正体もすぐに分かった
少し先に一台の馬車が止まっている
その横には馬
そして――
「ったく……なんでこんな所で壊れるんだよ」
しゃがみ込んで車輪をいじっている男がいた
「人だわ!」
「うおっ!?」
雅樹の声に男が勢いよく振り返る
年齢は六十前後だろうか
日に焼けた肌
白髪交じりの髪と無精髭
歳は重ねているが身体つきはしっかりしている
服や靴は派手ではないもののよく手入れされていて腰には小さな革袋や道具がいくつも下がっていた
男は雅樹を見るなり目を丸くする
「……兄ちゃん、どっから出てきた?」
「森」
「見りゃ分かる」
「私もそれ以上分かんないのよ!」
「は?」
いきなり話が噛み合わない
だが雅樹にとってはそれどころではなかった
「ねぇ! ちょっと聞いていい!?」
「お、おう」
「ここどこ!?」
「…………」
男の顔に露骨な困惑が浮かぶ
「……お前、本当に大丈夫か?」
「私もそれを知りたいわよ!」
しばらく二人で見つめ合う
先にため息をついたのは男だった
「ここはレイヴァン王国だ」
「レイヴァン王国……」
当然ながら聞いたことがない
「アストリア大陸……よね?」
「当たり前だろ」
「やっぱりそうなのねぇ……」
「この辺りで一番近い人が住んでる場所は?」
「この道を南に行けばラーニアって村がある。歩けば半日くらいだな」
「村!」
ようやく具体的な人里の情報が出てきた
「助かったぁ……!」
「いや待て待て」
男が雅樹を上から下まで見る
「お前その格好で森を歩いてきたのか?」
「そうだけど?」
「武器は?」
「ないわよ」
「護衛は?」
「いるように見える?」
「荷物は?」
「ないわね」
「…………」
「何よ」
「よく生きてたな」
「そんな危ない森なの!?」
「魔物くらい普通にいるぞ」
「魔物!?」
できれば存在してほしくなかった異世界定番その一が本当にいた
「ちょっと待って! 私ずっと普通に歩いてきたんだけど!?」
「運が良かったな」
「怖いこと言わないでちょうだい!」
急に背後の森まで怖くなってくる
今までただの綺麗な森だと思っていたのに木々の向こうから何かがこちらを見ているような気さえしてきた
そんな雅樹を見て男が腰に下げていた小さな革袋を軽く叩く
「そう怯えるな。この辺りなら魔除けを持ってりゃ弱い奴はそう寄ってこねぇ」
「魔除け?」
「旅する奴なら大体持ってる」
男が革袋を開いて見せる
中には乾燥させた葉や木片のようなものが入っていた
「魔物が嫌う草を混ぜたもんだ。身につけたり野営する時は火にくべたりする」
「へぇ〜……」
雅樹は興味深そうに覗き込む
「これがあれば安全なの?」
「そんな便利なもんじゃねぇよ」
男は即答した
「弱い魔物が寄り付きにくくなるだけだ。強い奴には効かねぇし腹を空かせてりゃ構わず来る奴もいる」
「駄目じゃない!」
「何もないよりマシだ」
「それはそうだけど!」
「そもそも絶対安全な旅なんざねぇよ」
「異世界厳しいわね……」
「いせかい?」
「こっちの話よ」
男は首を傾げたがそれ以上は聞いてこなかった
「ラーニアに行きたいなら俺も向かうところだ。直ったら乗せてってやるよ」
「本当!?」
「ああ」
「助かるわぁ!」
雅樹は嬉しそうに馬車へ近づく
「……で」
壊れた車輪を覗き込む
「何が壊れたの?」
「車輪だ」
大きな木製の車輪
完全に外れているわけではないが中心付近にある部品が割れて傾いていた
「直せそう?」
「応急処置ならな」
男は車輪の周りを軽く叩いて状態を確認する
その手つきに迷いはない
「ただ固定する材料が足りねぇ。こんな所で完全にやられるとは思ってなかったからな」
「ふーん……」
雅樹も隣へしゃがみ込む
「ちょっと見てもいい?」
「分かるのか?」
「全然」
「おい」
「だから見るのよ」
知らないなら調べればいい
雅樹は壊れた部分へ視線を向ける
「《鑑定》」
【荷馬車】
【木製の運搬用馬車】
【右後輪の車軸固定部が破損しています】
【このまま走行した場合、車輪が脱落する危険があります】
「なるほどねぇ」
「何がだ?」
「こっちの話」
男の見立ては正しいらしい
雅樹はスマホを取り出す
「なんだそれ?」
「ちょっと便利な道具よ」
「見たことねぇな」
「でしょうね」
壊れた部分を確認しながら検索を始める
木製荷車
車軸
応急処置
固定方法
当然ながら目の前の馬車と全く同じものが出てくるわけではない
それでも構造を理解する参考にはなる
「なるほど……ここが割れてるから荷重がかかったら外側にズレるのね」
「だからそこを固定したいんだがな」
「だったら……」
雅樹は通販サイトを開く
工具
金具
針金
ロープ
使えそうなものをいくつか見比べる
「これなら使えるかしら」
男から見えにくい馬車の反対側へ移動する
配送地点を指定
注文確定
ポンッ
工具と補修に使えそうな金具が現れる
それをまとめて持って戻った
「これ使えない?」
「……お前」
「何?」
「それどこから出した?」
「秘密♡」
「…………」
「細かいこと気にしてたらハゲるわよ」
「余計なお世話だ!」
男は雅樹が持ってきた金具を手に取る
指で弾き
曲げようと力を加え
割れた部分へ当ててみる
「……こいつは面白いな」
「使えそう?」
「ああ。ただこのまま付けるだけじゃ駄目だ」
「そうなの?」
「こっちに噛ませる。そうすりゃ力が逃げる」
「なるほど」
雅樹にはよく分からない
だが男はもう頭の中で修理の形が見えているらしい
「じゃあやりましょ」
「お前もやるのか?」
「乗せてもらうんだから手伝うわよ」
「その細腕で?」
「失礼ね!」
とはいえ力仕事で役に立てる自信はない
だから男が車輪を調整している間に必要な工具を渡したりスマホで調べた構造と見比べたりする
「そっち持ってろ」
「ここ?」
「もう少し下だ」
「こう?」
「そうだ」
「人使い荒いわねぇ」
「手伝うって言ったのはお前だろ」
「言ったけど!」
そんなやり取りをしながら補修を続ける
雅樹が全部直すわけではない
そもそも馬車なんて触ったことすらないのだ
雅樹が調べる
男が経験から判断する
時々雅樹が調べた情報を伝えれば男は必要な部分だけを拾って自分の知識に組み込んでいく
その速さに雅樹は少し驚いた
「アンタこういうの慣れてるのね」
「長いこと馬車で旅してりゃ嫌でも覚える」
「へぇ」
「壊れるたびに職人が都合よく隣にいるわけじゃねぇからな」
「確かに」
しばらくして――
「よし」
男が立ち上がった
「これなら村までは持つだろ」
「ほんと?」
「試してみる」
馬をゆっくり歩かせる
車輪が回る
少し軋む音はするものの外れる様子はない
数メートル進んだところで男が止めた
「……いけるな」
「やったじゃない!」
「お前の持ってきた金具のおかげだ」
「ふふん」
雅樹は腰に手を当てる
「もっと褒めてもいいのよ?」
「調子乗るな」
「何よ!」
男が豪快に笑った
「変な兄ちゃんだな」
「初対面で失礼ねぇ」
「だが助かった。礼を言う」
そう言って男が右手を差し出す
「俺はバルドだ」
「バルドね」
雅樹もその手を握る
「私はマサキよ」
「マサキか」
「ええ。よろしくねバルド」
「おう」
異世界へ来て初めて自分の名前を誰かに伝えた
そして初めてこの世界の人間から名前を呼ばれた
たったそれだけのことなのに不思議と少しだけ安心する
マサキはバルドの手を離した
「じゃあ約束通りラーニアまで乗せてくれるのよね?」
「もちろんだ」
バルドは馬車の荷台を指さす
「応急処置だからゆっくり行くがな」
「文句なんて言わないわよ。歩かなくて済むなら大歓迎」
マサキは荷台へ乗り込もうとして中を見る
木箱
袋
樽
布で包まれた荷物
かなりの量だ
それだけではない
よく見ると形も大きさも違う荷物が無駄なく収められている
「ねぇバルド」
「あ?」
「これ全部何?」
「商品だよ」
「商品?」
「ラーニアで売るんだ」
バルドは当然のように答える
「俺は行商人だからな」
「行商人……?」
「ああ。街や村を回って品物を売る商人だ」
「へぇ……」
マサキは荷台に積まれた商品を見回す
「何を売るの?」
「色々だな。塩に油、針や糸なんかの日用品。農具の替えもあるし頼まれてた品も積んでる」
「随分バラバラね」
「村で必要とされる物を持ってくのが行商人だからな」
「自分が売りたい物を持っていくんじゃないの?」
「欲しくもねぇ物持ってったって売れねぇだろ」
「……それもそうね」
「商売だからな」
「なんかアンタ急に商人っぽく見えてきたわ」
「最初から行商人だっつってんだろ」
「そうだったわ」
「もう忘れたのか」
「失礼ね!」
バルドが笑いながら御者台へ乗る
「ほら行くぞマサキ」
「はーい」
マサキも荷台へ腰を下ろした
馬車がゆっくりと動き始める
ガタガタと揺れながら森の中の道を進んでいく
「ねぇバルド」
「今度はなんだ?」
「行商人って色んな場所に行くの?」
「そりゃな。同じ場所にずっといたら行商にならん」
「街にも?」
「行く」
「他の国にも?」
「行こうと思えばな」
「へぇ〜……」
マサキは流れていく森を眺める
この道の先には自分がまだ知らない村がある
その先には街もある
さらに向こうには別の国まであるらしい
「……ちょっと面白そうね」
「行商がか?」
「色んな場所に行けるんでしょ?」
「楽な仕事じゃねぇぞ」
バルドは前を向いたまま答える
「野宿なんざ珍しくねぇし魔物や盗賊に襲われることもある。仕入れを間違えりゃ売れ残るし値段を読み違えりゃ赤字だ」
「急に現実見せてくるじゃない」
「商売だからな」
「夢がないわねぇ」
「夢だけで腹は膨れん」
「ごもっとも」
色んな場所を巡りながら物を売る
今までの自分にはまるで縁のなかった仕事だ
大変そうではある
それでも――
ほんの少しだけ興味が湧いた
「そういえば」
マサキは先ほど見せてもらった魔除けを思い出す
「行商人ってみんなああいう魔除けを持って旅してるの?」
「持ってる奴が多いな。護衛を雇う奴もいる」
「魔法でどうにかしたりしないの?」
「お前、魔法まで知らねぇのか?」
「……知らないのよねぇ」
「本当に何も知らねぇんだな」
「だから教えてちょうだい」
「仕方ねぇな」
バルドは呆れながらも話し始める
「魔法を使える奴なんざそこら中にいるわけじゃねぇよ」
「そうなの?」
「ああ。貴族なら使える奴は多いが平民じゃ使える奴が生まれりゃ珍しがられるくらいだ」
「貴族と平民でそんなに違うの?」
「血筋もあるって言われてるし何より貴族はガキの頃から魔法を学べるからな」
「なるほどねぇ」
「平民でも使える奴はいる。ただ数は少ねぇ」
「じゃあ使える人なら何でもできるの?」
「んなわけあるか」
バルドは鼻で笑う
「火が得意な奴もいりゃ水が得意な奴もいる。使える量も腕も人それぞれだ。火を点けるくらいしかできねぇ奴もいりゃ魔物を焼き払える奴もいる」
「同じ魔法でも全然違うのね」
「そういうこった」
どうやら魔法は便利ではあるものの誰もが自由に使える万能な技術ではないらしい
「じゃあ魔法が使えない人は?」
「普通に暮らしてる」
「魔道具とか使わないの?」
「……なんで魔道具は知ってるんだ」
「なんとなくよ♡」
「なんとなくで魔道具が出てくるか?」
「出てきたんだからいいじゃない」
「変な奴だな」
「今さらでしょ」
「それもそうか」
「納得しないで!」
バルドが笑う
「まあ魔道具はある。だが高ぇぞ」
「そんなに?」
「まともな魔道具なんざ貴族か大商人でもなきゃそうそう持てねぇ」
「大商人……」
「魔石もいるし壊れりゃ直せる職人も限られてる。買って終わりじゃねぇんだ」
「維持費までかかるのね」
「いじひ?」
「使い続けるのにもお金がかかるってこと」
「ああ。そういうこった」
「なるほどねぇ」
マサキは顎に指を当てる
「じゃあ普通の家の明かりは?」
「油ランプか蝋燭だ」
「食べ物の保存は?」
「干すか塩漬けにするか地下に置くか」
「冷蔵庫は?」
「れいぞうこ?」
「でしょうね」
「なんだよ」
「何でもないわ」
マサキはスマホへ視線を落とす
画面の向こうには日本なら誰でも買える物が山ほどある
懐中電灯
ランタン
保存容器
調理器具
衣類
石鹸
日用品
日本ではわざわざ便利だなんて考えることすらなかった物ばかりだ
けれどこの世界では違うらしい
「…………」
「どうした?」
「ちょっと考えてたの」
「珍しいな」
「アンタ私のこと何だと思ってるのよ!」
「森から突然出てきた変な奴」
「まだ会って一時間も経ってないのに評価が酷い!」
「間違ってるか?」
「……否定しづらいのが腹立つわね」
バルドが笑う
マサキもつられて笑った
今はまだこの世界について知らないことばかりだ
何が普通なのか
何が珍しいのか
何が高価なのか
日本では当たり前だった物がここでは当たり前ではない
逆にこの世界では常識でも自分には分からないことが山ほどある
なら――
まずは知ればいい
「ねぇバルド」
「なんだ?」
「ラーニアってどんなところ?」
「小せぇ農村だよ。三百人くらいだったか」
「三百人」
「畑仕事してる奴がほとんどだな」
「じゃあこの国のことももっと教えて」
「お前、本当に何も知らねぇんだな」
「色々ありまして♡」
「便利な言葉だな」
「細かいことはいいのよ」
聞きたいことは山ほどある
レイヴァン王国のこと
お金のこと
魔法のこと
魔物のこと
そして行商人という仕事のことも少し気になり始めていた
「ところでバルド」
「あ?」
「ラーニアにお風呂ある?」
「風呂?」
「あるの!?」
「いや、村じゃ身体を拭くくらい――」
「嘘でしょ!?」
「うるせぇ! 馬が驚くだろ!」
「だってお風呂は大事でしょうが!」
「知らねぇよ!」
「私は知ってるわよ!」
「何の話だ!」
静かな森の中に二人の声が響いていく
こうしてマサキは異世界で初めて出会った行商人バルドと共にラーニア村へ向かうことになった
自分がこれから何をするのか
どこへ行くのか
まだ何一つ決まっていない
ただ一つだけ
馬車の上から眺める知らない世界を
少しだけ面白いと思い始めていた――




