第9話 旅立ちの朝
それから数日
私は毎日のように
村の濾過装置を見に行っていた
「どう?」
「今のところ問題ないぞ」
村人が
樽の下に置かれた桶を指差す
一定の速さで
水が落ち続けている
「一応見てみましょ」
水を少し取る
《鑑定》
【河川水】
【砂・砂利・布による簡易的なろ過が行われています】
【土砂および浮遊物の大部分が除去されています】
【複数の微生物による汚染が確認されます】
【飲用には適していません】
【未処理の状態と比較し水質は改善しています】
「うん」
「大丈夫そうね」
「問題なさそうか?」
「ええ。濾過はちゃんとできてる」
「じゃあ飲む分は、このあと煮ればいいんだな」
「そうそう」
ちゃんと覚えてるじゃない
最初の頃は
見た目が綺麗になっただけで
そのまま飲もうとする人もいたけれど
今では村のみんなも
濾した水と
飲める水は別だと理解している
濾過した水は
そのまま生活用水へ
飲み水や料理に使う分は
さらに煮沸する
病人や薬に使う水は
エッダが管理する
役割分担も
少しずつ形になっていた
「マサキ」
「なに?」
トーマに呼ばれる
「ちょっと来てくれ」
濾過装置のところへ行くと
トーマが
樽の下へ落ちる水を見ていた
「昨日より水の出が悪い」
「本当?」
言われてみれば
確かに昨日より遅い
「中を見てみようと思う」
「ええ。お願い」
トーマと村人達が
中の材料を順番に確認していく
すると
布にかなり泥が溜まっていた
「これだな」
トーマが布を取り出す
それを洗い
もう一度戻す
水を通してみると――
「お」
さっきより
明らかに流れが良くなった
「なるほどな」
トーマが頷く
「水の出が悪くなったら、まずここを見ればいいわけか」
「今のところはね」
「今のところ?」
「他の原因もあるかもしれないでしょ?」
「なるほど」
数日使っただけで
分かったこともある
まだ分からないこともある
でも
それでいい
何かあった時に
どうやって確かめればいいのか
村の人達自身が
少しずつ覚え始めている
それに
今日のことだって
私が先に気付いたわけじゃない
毎日装置を見ていたトーマが
自分で昨日との違いに気付いて
自分で中を確かめようとした
これなら――
「私がいなくても大丈夫そうね」
「もう行くのか?」
「そろそろね」
「そうか」
トーマは少し黙って
濾過装置へ目を戻す
「……寂しくなるな」
「え?」
思わず
トーマを見る
「なんだ?」
「いや」
ちょっと待って
「アンタそんなこと言えるのね」
「どういう意味だ」
「だってずっと反応薄かったじゃない!」
「普通に喋ってただろ」
「どこがよ!」
本気で分かってない顔してる
この人
自分が無愛想だって
気付いてなかったのね……
「まあ」
私は笑う
「私もちょっと寂しいわよ♡」
「そうか」
「…………」
やっぱり薄い!
最後までこれなのね!
――――――――――
「そろそろ村を出ようと思うの」
その日の昼
私はバルドにそう伝えた
「そうか」
「…………」
「なんだ」
「いや」
もうちょっと何かない?
数日とはいえ
一緒の村にいたのよ?
「それで」
私はバルドの向かいへ座る
「アンタ、次はどこに行くの?」
「いくつか村を回ってから、でかい街に向かう」
「大きな街?」
「ああ」
私は少しだけ身を乗り出す
「ねえバルド♡」
「断る」
「まだ何も言ってないでしょうが!」
「その顔で近付いてくる時は大体ろくなこと言わねぇ」
失礼ね!
「大したお願いじゃないわよ」
「聞くだけ聞いてやる」
私は少し考えてから
口を開く
「アンタの商売」
「見てて面白かったのよね」
バルドが
少し目を細める
「商売が?」
「ええ」
ラーニアに着いた日
村人達がバルドの荷馬車へ集まってきた
必要な物を聞いて
値段を決めて
売って
時には交換して
また別の物を仕入れる
ただ物を売るだけじゃない
人と話して
その土地で必要な物を考えて
次の場所へ運ぶ
それを見て
ちょっと面白そうだと思った
それに
私はまだ
この世界について知らないことが多すぎる
お金のことも
旅のことも
商売のことも
村一つ見ただけじゃ
分からないことだらけ
「だから」
私は笑う
「もう少し近くで見てみたいのよ」
「アンタがどうやって商売してるのか」
「それで?」
「大きな街まで一緒に連れてって♡」
「…………」
バルドは
しばらく黙っていた
やがて
小さく息を吐く
「でかい街まで連れてってやる」
「本当!?」
「ただし」
指を一本立てる
「途中の村じゃ商売を手伝いやがれ」
「商売?」
「ああ」
「荷物運び?」
「それもだ」
「接客?」
「必要ならな」
「値段交渉?」
「できると思ってんのか?」
「ちょっと!」
「この辺の相場も知らねぇ奴に任せられるか」
「ぐっ……」
正論!
「見てぇんだろ?」
バルドが言う
「だったら手ぇ動かしながら見ろ」
「…………」
なるほど
確かに
横で眺めているだけより
実際にやった方が分かることは多そうだ
「いいわ」
私は手を差し出す
「交渉成立ね♡」
バルドが
その手を見る
「何だその手」
「握手よ」
「いらん」
「しなさいよ!」
「面倒くせぇ!」
結局
無理やり握ってやった
「離せ!」
「いいじゃない減るもんじゃなし!」
「気色悪ぃ!」
本当に可愛くない爺さんね!
でも
これで
次に行く場所が決まった
――――――――――
翌朝
村を出る準備をしていると
家の外が妙に騒がしかった
「何?」
出てみる
「…………」
村人がいる
しかも
結構いる
「なにこの人数」
「マサキ、これ持っていって」
一人の女性が
籠を差し出してくる
「え?」
中を見る
パン
野菜
果物
それから
干した肉らしき物まで入っている
「ちょっと待って、こんなに?」
「旅に出るんでしょう?」
別の女性も笑う
「食べ物はあった方がいいからね」
「いや、いるけど!」
「こっちも持っていってくれ」
今度は男性が
袋を持ってくる
「まだあるの!?」
「保存の利くやつだ」
「そんなにもらえないわよ!」
「遠慮するな」
「するわよ!」
私が助けたから
なんて言うつもりはない
濾過装置を作ったのだって
みんなでやった
私一人で解決したわけじゃない
「マサキ」
村長がやってくる
「受け取っておけ」
「でも」
「村の者がそうしたいと言っている」
「…………」
ずるい言い方するわね
それ言われたら
断りにくいじゃない
「……分かったわよ」
パンを一つ持ち上げる
「ありがたくいただくわ♡」
「そうしろ」
「でもこんなに持てないから――」
周囲を確認して
荷物へ手を触れる
《無限収納》
次々に
もらった食べ物をしまっていく
「おお……」
「消えたぞ」
「収納持ちだったのか」
「まあね♡」
普通の《収納》がある世界なのは
バルドから聞いている
だから
使うこと自体はそこまで不自然じゃない
もちろん
《無限収納》だなんて
言うつもりはない
このくらいなら
少し容量の大きな《収納》だと思われるだけでしょう
「便利なもん持ってんな」
「でしょう♡」
「だったらこれも持っていって」
「待って!」
なんで増えるのよ!
――――――――――
どうにか
追加の食料攻撃を止めたところで
聞き慣れた声がした
「マサキ」
振り返る
「エッダ」
いつものように
少し不機嫌そうな顔で立っている
手には
一つの鞄を持っていた
「なにそれ?」
「これかい」
差し出されたのは
革の鞄だった
新品じゃない
ところどころ擦れていて
金具にも細かな傷がある
一度破れたのか
丁寧に直された跡もあった
でも
古びているというより
長い間大切に使われてきた
そんな感じがする
「持ってきな」
「え?」
「旅するんだろ?」
「するけど」
「だったら鞄くらい持っときな」
「私、収納あるわよ?」
「そういう問題じゃないよ」
エッダは呆れたように言う
「収納持ちだからって、何も持たずに歩き回るつもりかい?」
「…………」
そう言われると
確かに変かも
「それに」
エッダが鞄を軽く叩く
「すぐ使う物までいちいち収納から出すのも面倒だろう?」
「まあ……それはそうね」
「なら使いな」
私は
もう一度鞄を見る
「これ、新しい物じゃないわよね?」
「昔使ってた物さ」
「エッダが?」
「ああ」
少しだけ
エッダの声が柔らかくなる
「若い頃ね」
「薬師として学ぶために色んな土地を回ってた頃に使ってたんだよ」
「…………」
私は思わず
鞄を見る
擦れた革
傷のついた金具
何度も直された跡
これは
ただ古いだけじゃない
エッダと一緒に
色んな場所を旅してきた鞄なんだ
「そんな大事な物もらえないわよ」
「今は使ってない」
「でも」
「使わずに置いとく方が鞄に悪いだろ」
「…………」
「旅するんだろ?」
エッダが
私を見る
「だったら使いな」
「…………」
もう
この人は
本当に
「エッダぁ〜!」
「抱きつくんじゃないよ気色悪い!」
両手を広げた瞬間
額を押し返された
「いいじゃないちょっとくらい!」
「嫌だよ!」
「最後なのよ!?」
「二度と会わないみたいに言うんじゃないよ!」
「…………」
その言葉に
動きが止まる
エッダは
私を見ないまま
鞄を押し付けてくる
「旅してりゃ」
「またどっかで会うこともあるだろ」
「…………」
「その時まで壊すんじゃないよ」
私は
鞄を受け取る
思っていたより
ずっしりしていた
「……ありがとう」
今度は
ふざけずに言う
エッダが
少しだけこちらを見る
「途中で捨てるんじゃないよ」
「捨てるわけないでしょ」
肩に掛ける
古い革が
身体に馴染む
「大事に使うわ」
「……そうしな」
「あと」
エッダが私を指差す
「知らない草を見つけたからって、何でも口に入れるんじゃないよ」
「入れないわよ!」
「どうだか」
「私を何だと思ってるのよ!」
「妙なところで行動力のある馬鹿」
「酷くない!?」
最後までこれ!
でも
やっぱり
この人らしいわ
――――――――――
荷馬車の準備が終わる
バルドが馬の状態を確認し
荷物を載せていく
ガルムが直した荷車も
今度こそ問題なさそうだ
「バルド」
村長が声をかける
「世話になったな」
「俺は商売してただけだ」
「そういうことにしておこう」
「なんだそりゃ」
二人が
当たり前みたいに言葉を交わす
「じゃあな、ハンス」
「ああ」
バルドが荷馬車へ乗ろうとして
ふと止まる
「そうだ」
「なんだ?」
「井戸の件」
バルドが
何でもないことみたいに言った
「次の街で商業ギルドに寄った時にでも話しといてやる」
「……すまんな」
「世間話のついでだ」
「それでもありがたい」
「期待はすんなよ」
「分かっておる」
私は
その会話を横で聞いていた
商業ギルドか
バルドも長く商売してるみたいだし
そういうところに
知り合いくらいいるのかもしれない
領主には
村長からもう知らせが出ている
あとは
領主様の仕事
私達にできるのは
それまで村が困らないようにすることくらい
そのための物は
もう作った
「マサキ!」
村人から声が飛んでくる
「またね!」
「元気でね!」
「ちゃんと飯食えよ!」
いろんな声が飛んでくる
その中から
聞き覚えのある声がした
「マサキ!」
「ガルム?」
ガルムが
少し離れたところからこちらを見ている
「なんかあったらまた寄れ!」
「…………」
「あ?」
「なによ急に」
「別に深い意味はねぇよ!」
「あらぁ♡」
「その顔やめろ!」
「寂しいのね♡」
「違ぇ!」
「素直じゃないわねぇ」
「さっさと行け!」
「はいはい」
私は笑って
手を振る
「またね、ガルム」
「おう!」
少し離れたところでは
トーマも手を上げている
さっき
寂しくなるなんて言ってたくせに
今はもう
いつもの顔だ
本当に
最後まで反応薄いんだから
「鞄壊すんじゃないよ!」
「今言ったのエッダでしょう!」
「何か文句あるのかい!」
「ないわよ!」
笑い声が広がる
その中で
荷馬車がゆっくりと動き出した
「じゃあね!」
私は
大きく手を振る
エッダも
小さく手を上げている
村長
ガルム
トーマ
モーリス
そして
何日か一緒に作業した村人達
数日前まで
名前すら知らなかった人達
たまたまバルドについてきただけの村
それなのに
出ていくとなると
やっぱり少し寂しい
私は
肩に掛けた鞄へ触れる
古くて
傷だらけで
でも
しっかりした鞄
私がこの世界で初めて持つ
旅の鞄
ラーニアの村が
少しずつ遠くなっていく
「…………」
寂しいけど
ずっとここにいるわけにはいかない
私は旅人
そして
これから――
「ねえバルド」
「なんだ」
「商売って何から教えてくれるの?」
「教えるとは言ってねぇ」
「は?」
「手伝えっつっただけだ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
「見て覚えろ」
「昭和の職人!?」
「何言ってんだお前」
「こっちの話よ!」
まったく!
本当に
可愛くない爺さんなんだから!
……でも
悪くない
知らない土地へ行って
知らない人と出会って
その土地の物を見て
必要な物を考えて
売って
買って
また次の場所へ行く
それが
行商人
バルドと出会うまで
考えたこともなかった生き方
会社へ行って
仕事をして
家へ帰る
そんな毎日を送っていた私が
今は
異世界の街道を
荷馬車に揺られている
人生
本当に何があるか分からないわね
「そういえば」
私は
エッダにもらった鞄を開ける
「中ちゃんと見てなかった――」
「…………」
薬包らしき小さな包み
小瓶
乾燥させた薬草
いくつかの布
その一つ一つに
何に使う物なのか
分かるよう印が付けられている
「…………」
あの人……
『知らない草を見つけたからって、何でも口に入れるんじゃないよ』
さっきの言葉を思い出す
あれも
ただの小言じゃなかったのね
私は
鞄の中に入れられた物を
もう一度見る
「…………エッダぁぁぁ〜〜〜!!」
「うるせぇ!」
バルドの怒鳴り声が飛んできた
「だって見てよこれ!」
「薬か?」
バルドが
ちらりと鞄を見る
「薬だけじゃないわよ。ちゃんと使い方まで分かるようにしてくれてるの!」
「なら大事に使え」
「言われなくてもそのつもりよ!」
「だったら叫ぶな。馬が驚くだろ」
「あ」
私は
前を行く馬を見る
「…………」
「ごめんなさい」
「馬に言え」
「そこまで!?」
本当に
可愛くないわね!
でも――
私は
もう一度鞄を見る
「……ありがとう、エッダ」
今度は
小さな声で呟いた
村へ振り返る
もう
人の姿は小さくなっている
それでも私は
もう一度大きく手を振った
ありがとう
エッダ
村長
ガルム
トーマ
モーリス
ラーニアのみんな
この世界へ来て
最初に立ち寄った村
そこで私は
一人じゃできないことを知った
知らないことは
誰かに聞けばいい
できないことは
できる人に頼ればいい
そして
自分にできることがあるなら
それを返せばいい
それだけで
知らない場所にも
少しずつ居場所はできていく
荷馬車は
街道を進んでいく
次に向かうのは
ローデンという小さな村
名前以外
私はまだ何も知らない
そこで何が売れるのか
誰と出会うのか
何が起こるのか
今の私には
何も分からない
でも――
「バルド!」
「今度はなんだ!」
「ローデンって何があるの?」
「着きゃ分かる」
「それくらい教えなさいよ!」
「うるせぇ!」
「ケチ!」
少なくとも
退屈はしなさそうね
こうして
私の異世界での旅が
ようやく本当の意味で始まった――




