第五章幕間 名も無き英雄
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
第二王子殿下の護衛が増えた。
昨日までは一人。
今日は五人。
しかも見慣れない顔ばかりだった。
監視。
誰が見てもそう分かる。
だが殿下は何も言わなかった。
言っても無意味だからだ。
私も言わない。
従者は黙って仕えるだけでいい。
それが仕事だった。
◇
執務室。
扉は閉じられている。
護衛は外。
だが安心はできない。
メイドにも宰相派が紛れてる。
殿下は机の上の資料を見ていた。
何度も見た資料だった。
商会。
送金記録。
貴族名。
行方不明になった帳簿。
どれも断片。
疑惑はある。
だが証拠にならない。
それでも殿下は諦めなかった。
数年かけて集めた。
王国の膿。
その一部だった。
やがて殿下が立ち上がる。
私は察した。
何かを決めたのだと。
殿下はふらついた。
護衛が慌てて駆け寄る。
「殿下!」
「大丈夫だ」
その瞬間だった。
机の端から落ちた書類を拾う。
ただそれだけ。
誰も不審には思わない。
だが書類は一部消えていた。
私の袖の中に。
目は合わせない。
だが分かる。
これでいいのだと。
◇
その日の夜。
私は城を出た。
変装は商人。
荷車を引く。
古びた服。
髭。
染めた髪。
鏡の前の私はもう従者ではなかった。
ただの中年商人だ。
門番が止める。
「何だ」
「支援物資です」
「どこに」
「旧監査局へ」
門番が嫌そうな顔をした。
今の旧監査局は厄介者の集まりだ。
誰も近寄りたがらない。
だから都合が良かった。
「行け」
「ありがとうございます」
頭を下げる。
荷車を引く。
心臓はうるさいほど鳴っていた。
◇
旧監査局は静かだった。
薄暗い。
人も少ない。
見張りも最低限。
だからといって正面から入れるわけではない。
裏へ回る。
荷車を隠す。
建物の影に身を潜める。
そして通気口の蓋を外した。
ここまでは事前に調べていた。
殿下の命令ではない。
私の判断だった。
もしもの時のため。
ただそれだけだった。
まさか本当に使うとは思わなかったが。
狭い通路を進む。
埃が舞う。
服が汚れる。
膝も痛い。
だが止まらない。
やがて明かりが見えた。
小さな隙間。
下を覗く。
部屋だった。
書類だらけの部屋。
帳簿が積み上がっている。
机も埋まっていた。
床にもある。
椅子にもある。
壁際にもある。
思わず口元が引きつった。
(本当に人の仕事量か)
殿下から話は聞いている。
だが想像以上だった。
こんな量の資料。
一生かかっても終わらない。
普通なら。
普通なら。
だが。
あの令嬢は違う。
◇
机に降り立つ。
音を立てない。
資料を取り出した。
数年かけて集めた断片。
商会。
送金。
人名。
数字。
これだけでは意味がない。
だが糸口にはなる。
私はそれを資料の山へ紛れ込ませた。
一枚。
また一枚。
自然に。
誰にも気付かれないように。
終わる。
たったそれだけだった。
世界は何一つ変わっていない。
書類が少し増えただけ。
それだけだ。
それでも。
殿下は賭けた。
そして私も賭ける。
もし。
もしこの国に。
この資料の意味を理解できる人間がいるなら。
それはきっと一人しかいない。
私は振り返る。
誰もいない机。
山のような帳簿。
散乱する記録。
その中心に空いた席。
そこへ小さく頭を下げた。
「後は頼みます」
返事はない。
当然だ。
それでも続けた。
「アメリア様」
◇
数日後。
奇跡の日。
王城が騒がしくなった。
文官が走る。
騎士が走る。
書類が飛ぶ。
怒号が響く。
何事かと思えば。
不正だった。
一件。
二件。
三件。
終わらない。
また一件。
さらに一件。
そしてまた一件。
止まらない。
誰かが叫んだ。
「旧監査局から報告です!」
別の誰かが叫ぶ。
「また見つかったのか!」
「今度はどこのだ!」
沈黙。
ただならぬ雰囲気を感じた誰かが。
問う。
「……どうした?」
「……宰相です」
場が固まった。
反対に。
笑いそうになった。
見つかったのではない。
見つけてしまったのだ。
あの人が。
窓の外を見る。
王城中が慌ただしい。
嵐だった。
そして。
まだ始まったばかりだった。
私は誰にも聞こえないように小さく呟く。
「さすがです」
それだけだった。
私の名を知る者はいない。
この仕事も記録には残らない。
歴史書にも載らない。
それでいい。
殿下が賭けた。
私はその賭けに乗った。
ただそれだけだ。
だが。
もしあの日。
あの資料を机へ置かなかったなら。
少しだけ未来は違っていたかもしれない。
だからほんの少しだけ誇らしかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




