第一話 何かございましたか?
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
卒業式の日だった。
空は青い。
風は穏やか。
王立学園の校舎は春の陽光を受けて輝いていた。
ミリア・ローゼンは立ち止まる。
そして振り返った。
入学してから三年間。
長かった。
本当に長かった。
最初は怖かった。
男爵令嬢。
その肩書きは、この学園では決して強くない。
周囲には侯爵令嬢。
伯爵令嬢。
公爵令嬢。
名だたる家柄の子女ばかり。
いつも緊張していた。
失礼がないように。
迷惑を掛けないように。
嫌われないように。
そんなことばかり考えていた。
だが。
今は違う。
「ごきげんよう、ミリア様」
「ごきげんよう」
自然に挨拶を返す。
伯爵令嬢だった。
以前なら緊張していた相手。
今では普通に会話できる。
「もう卒業ですわね」
「本当に早かったです」
「少し寂しくなりますわ」
笑い合う。
何気ない会話。
それが少し嬉しかった。
あの日のことを思い出す。
図書館。
嫌がらせ。
孤立。
泣いていた夜。
逃げたいと思った日々。
全部あった。
本当に全部。
でも。
乗り越えられた。
だから今ここにいる。
「ミリア様」
別の声。
振り返る。
侯爵令嬢だった。
「卒業後もお茶会へいらしてくださいませ」
「よろしいのですか?」
「もちろんですわ」
当然のように返される。
少し前なら信じられなかった。
胸が温かくなる。
きっと。
全部あの人のおかげだ。
そう思う。
中庭。
図書館。
生徒会室。
色々な場所が頭に浮かぶ。
そして。
一人の銀髪の令嬢も。
アメリア・フォン・アルフォード。
初めて見た時。
怖い人だと思った。
公爵令嬢。
王太子婚約者。
学園始まって以来の才女。
そんな噂ばかりだったから。
だが。
全然違った。
『責任は個人にございます』
今でも覚えている。
あの教室。
集められた令嬢達。
証拠の山。
静かな声。
冷静な目。
そして。
自分を責めなかったこと。
あの時からだ。
世界が少し変わったのは。
ミリアは空を見上げた。
青空だった。
綺麗な春空。
(いつか)
ちゃんとお礼を言いたい。
そう思う。
まだ言えていない。
本当の意味では。
ありがとうございます。
ただ。
その一言を。
◇卒業式
式典は厳かに進んだ。
校長の挨拶。
卒業証書授与。
来賓の祝辞。
やがて。
拍手が鳴る。
卒業生達が立ち上がる。
終わった。
三年間が。
ミリアの目が少し潤んだ。
泣くつもりはなかった。
だが。
少しだけ。
本当に少しだけ。
「おめでとう」
隣から声。
振り向く。
ルーカスだった。
自然と顔が熱くなる。
今でも慣れない。
本当に。
「ありがとうございます」
「こちらこそだ」
「私ですか?」
「ああ」
ルーカスは笑う。
嬉しそうに。
本当に嬉しそうに。
その顔を見ると安心する。
昔と変わらない。
優しい。
真っ直ぐ。
そして少し強引。
ミリアは小さく笑った。
未来はきっと大丈夫。
そう思えた。
だから。
その違和感に気付くのが少し遅れた。
ルーカスが落ち着かない。
本当に少しだけ。
誰かを探すような視線。
考え込む表情。
言いたいことを飲み込んでいるような空気。
いつもなら気付かなかったかもしれない。
だが。
最近のミリアは彼を見ることが多かった。
だから分かる。
何かある。
そんな気がした。
「ルーカス様」
「ん?」
「何かございましたか?」
尋ねる。
何気なく。
本当に何気なく。
だが。
一瞬だけ。
ルーカスの動きが止まった。
「……いや」
少し間を置いて。
笑う。
「何でもない」
いつもの笑顔。
いつもの声。
いつものルーカス。
なのに。
ミリアの胸に。
小さな不安だけが残った。
◇
卒業式は終わる。
周囲は祝福ムード。
友人達の笑顔。
未来への希望。
本来なら。
幸せな一日になるはずだった。
ミリアもそう思っていた。
だから知らない。
もうすぐ。
その未来が。
音を立てて崩れ始めることを。
そして。
誰よりも冷静だったあの銀髪の令嬢が。
王国そのものを揺るがすことになることも。
まだ。
誰も知らなかった。
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