第一話 暇な時に
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
監査局は平和だった。
書類。
帳簿。
予算書。
契約書。
実に素晴らしい。
有害物質はいない。
男爵令嬢もいない。
東方皇子もいない。
王城の面倒事も来ない。
理想郷だった。
「局長」
「何かしら」
「昨年度予算の修正案です」
「ありがとうございます」
アメリアは書類を受け取る。
仕事。
実に良い。
非常に良い。
数字は裏切らない。
少なくとも人間よりは。
その時だった。
「来客です」
嫌な予感がした。
本当に嫌な予感がした。
「どなたですの」
「第二王子殿下です」
アメリアが固まる。
数秒。
そして。
(仕事が増えますわね)
理解した。
◇応接室
第二王子アルフレッドは立ち上がった。
アメリアが入室した瞬間である。
「お久しぶりです」
「ご機嫌よう」
アメリアは礼をする。
完璧な礼。
王妃教育の成果だった。
そして。
一拍。
第二王子も頭を下げた。
深く。
本当に深く。
「申し訳ありませんでした」
沈黙。
部屋が静まり返る。
護衛も。
秘書も。
全員固まった。
王族が。
公の場で。
頭を下げている。
異常だった。
だが。
アメリアは首を傾げた。
「何のことでしょう」
今度は第二王子が固まった。
「……何のこと?」
「はい」
本気だった。
本当に。
本気だった。
「婚約破棄の件です」
「ああ」
思い出した。
そんなこともあった。
監査が忙しくて忘れていた。
いや。
正確には。
終わった案件として処理済みだった。
「お気になさらず」
さらりと言う。
第二王子は頭を抱えた。
「気にする」
「そうですか」
「当然だ」
当然らしい。
アメリアにはよく分からなかった。
◇三十分後
第二王子は説明した。
王家の責任。
王太子の責任。
王命による投獄。
監督不行届。
全部。
全部説明した。
そして最後に言う。
「本当に申し訳なかった」
沈黙。
アメリアは考える。
本当に少しだけ。
数秒。
そして。
「二度と増やさないでくださいませ」
「何をだ?」
「仕事を」
即答だった。
第二王子は固まった。
「仕事?」
「はい」
アメリアは真面目な顔だった。
「投獄は構いません」
「構うだろう!?」
珍しく大声が出た。
アメリアは続ける。
「監査局も構いません」
「……」
「婚約破棄も構いません」
「いや」
「ですが」
一拍。
アメリアはため息を吐く。
「非常に仕事が増えました」
本気だった。
そこだけは。
本当に不満だった。
第二王子は天井を見上げた。
この人は駄目だ。
怒るべきところが違う。
◇帰り際
第二王子はふと尋ねた。
「アメリア嬢」
「何でしょう」
「今の王国をどう思う」
何気ない質問。
のつもりだった。
だが。
アメリアの動きが止まる。
「王国ですか」
「そうだ」
少しだけ考える。
そして。
「問題だらけですわね」
即答だった。
第二王子が固まる。
「例えば?」
聞いてしまった。
そして後悔する。
アメリアが机の引き出しを開いたから。
嫌な予感しかしない。
「こちらです」
どん。
置かれた。
分厚い資料。
いや。
分厚いどころではない。
本である。
辞書サイズである。
「……これは」
「十年計画です」
アメリアが答える。
第二王子は嫌な汗をかいた。
「十年?」
「はい」
「誰の?」
「王国の」
沈黙。
長い沈黙。
第二王子は震える手で資料を開いた。
農業改革。
物流整備。
税制改革。
教育改革。
地方統治。
産業育成。
予算計画。
実施時期。
必要人員。
期待効果。
全部ある。
全部。
第二王子の顔色が消えた。
「……これを」
「はい」
「いつ」
「暇な時に」
監査局は怖い。
本当に怖い。
第二王子は資料を抱える。
重い。
物理的にも。
精神的にも。
そして出口へ向かいながら思った。
王国最大の問題は。
宰相ではない。
ルーカスでもない。
アメリアを暇にしたことかもしれない。
その日。
第二王子は顔面蒼白のまま帰宅した。
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