第八話 守るためです
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
朝だった。
執務室。
机の上には資料が積まれている。
東方連盟。
軍備再編。
兵站。
徴発。
補給計画。
どれも難しい。
どれも重い。
そして。
全部。
アメリアなら迷わず片付けていたものだった。
「相変わらずですね……」
小さく笑う。
返事はない。
視線を落とす。
資料の端。
見慣れた文字。
アメリアの注釈。
『優先順位を整理してください』
『問題を分割してください』
『順番に処理しましょう』
本当にいつも通りだった。
胸が痛む。
今でも。
会いたい。
今でも。
隣にいてほしい。
今でも。
名前を呼びたい。
涙が滲む。
その時だった。
『大丈夫です』
ふと。
昔の声を思い出す。
『ミリア様ならできます』
王太子妃教育。
監査局。
初めての会議。
失敗した日。
落ち込んだ日。
そのたびに。
『できます』
『やれます』
『だから次を考えましょう』
そう言われた。
いつも。
何度も。
何度も。
ミリアは目を閉じる。
そして。
静かに息を吐いた。
「ずるいです」
涙を拭う。
「そんなことを言われたら」
一歩。
立ち上がる。
「頑張るしかないじゃないですか」
震える足。
まだ怖い。
まだ苦しい。
それでも。
扉へ向かう。
◇
軍議の日だった。
王城。
大会議室。
壁には地図。
机には資料。
兵力表。
補給計画。
戦況想定。
王国中枢が集まっている。
ルーカス。
アルフレッド。
公爵。
軍務卿。
外務卿。
監査局幹部。
各方面軍司令官。
空気は重かった。
東方連盟との同盟交渉は進んでいる。
支援も期待できる。
だが。
敵は待ってくれない。
北方諸国。
西方諸国。
敗北したはずの国が。
同盟を組んで再結集している。
今度こそ王国を潰すために。
「兵力差は依然として不利です」
軍務卿が言う。
「東方の援軍が到着しても即座に覆せる数字ではありません」
誰も反論しない。
事実だからだ。
ルーカスは資料を見る。
苦しい戦いになる。
それは分かっていた。
その時だった。
扉が開く。
全員が振り返る。
そして静まり返った。
ミリアだった。
誰も言葉を失う。
まだ顔色は悪い。
まだ痩せている。
まだ目の下には疲労が残っている。
無理をして立っていることは誰の目にも明らかだった。
それでも。
ミリアは自分の足で歩いていた。
「ミリア」
ルーカスが立ち上がる。
ミリアは小さく首を振った。
「大丈夫です」
大丈夫ではない。
誰の目にも分かった。
それでも。
彼女は席へ向かう。
静かに。
ゆっくりと。
そして座る。
会議室はまだ静まり返っていた。
誰も何を言えば良いか分からない。
しばらく沈黙が続く。
やがて軍務卿が口を開こうとした。
その前に。
「皆様」
ミリアが言った。
声は弱い。
まだ少し掠れている。
それでも。
全員が耳を傾けた。
「私は戦争がしたいわけではありません」
静かな声だった。
誰も言葉を挟まない。
「勝ちたいわけでもありません」
沈黙。
ミリアはゆっくりと拳を握る。
震えていた。
少しだけ。
悲しみが消えたわけではない。
苦しみが消えたわけでもない。
今でも夜は眠れない。
今でも夢を見る。
今でも名前を呼びそうになる。
それでも。
それでも。
「守るためです」
顔を上げる。
「アメリアが守ったものを」
会議室が静まり返る。
ルーカスも。
アルフレッドも。
公爵も。
監査局の局員達も。
誰も動かない。
「王国を」
「民を」
「未来を」
一拍。
そして。
「アメリアが命を懸けて守ったものを」
そこで声が震えた。
少しだけ。
本当に少しだけ。
涙が浮かぶ。
それでも。
泣かなかった。
泣きたいのに。
今すぐ泣き崩れたいのに。
耐える。
耐えて前を見る。
「だから」
小さく息を吸う。
「私は皆様と共に戦います」
王太子妃として。
友人として。
残された者として。
そう告げた。
しばらく沈黙。
そして。
最初に立ち上がったのは公爵だった。
「無論です」
低い声。
「娘が守った国です」
一拍。
「我々も守りましょう」
次にアルフレッドが立ち上がる。
「異論はない」
監査局副局長も続いた。
「監査局も全力を尽くします」
軍務卿。
外務卿。
将軍達。
一人ずつ。
一人ずつ。
声が上がる。
やがて。
全員が立ち上がっていた。
その光景を見て。
ミリアは初めて気付く。
アメリアを失ったのは。
自分だけではない。
皆も同じだった。
皆苦しい。
皆悲しい。
皆寂しい。
それでも前を向いている。
だから。
自分も。
もう一歩だけ。
歩かなければならない。
「ありがとうございます」
ミリアは頭を下げた。
涙が零れそうになる。
それでも耐える。
まだ弱い。
まだ壊れたままだ。
それでも。
立ち止まってはいなかった。
◇
会議は再開される。
補給計画。
防衛線。
東方連盟との連携。
話し合うことは山ほどある。
やるべきことも山ほどある。
そして。
王国は再び動き始めた。
アメリアのいない王国。
それでも。
守るために。
残された者達の戦いが。
本当の意味で始まろうとしていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




