第五話 頑張ってみます
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
朝だった。
久しぶりにカーテンが開かれていた。
差し込む朝日が眩しい。
ミリアは小さく目を細めた。
何日ぶりだろう。
朝日を見たのは。
分からない。
分かりたくもなかった。
ただ。
時間は止まっていなかった。
アメリアがいなくなっても。
王国は今日も動いている。
鏡の前に立つ。
そこに映る自分の姿に、少しだけ驚いた。
酷い顔だった。
目は赤い。
涙の跡が消えていない。
頬は痩せている。
髪も少し乱れていた。
王太子妃として見せられる姿ではない。
けれど。
今日は部屋を出る。
そう決めていた。
「ミリア様……」
侍女が言葉を失う。
扉が開いた瞬間だった。
何日ぶりだろう。
主が自ら外へ出たのは。
侍女の目に涙が浮かぶ。
「申し訳ありません」
ミリアは小さく頭を下げた。
自分がどれだけ周囲に心配を掛けたかは分かっている。
それでも。
どうにもできなかった。
「お支度を」
静かな声で言う。
侍女は何度も頷いた。
◇
王城の廊下。
歩くだけで視線を感じた。
侍女。
騎士。
官僚。
皆が驚いている。
そして安心している。
その反応が少し苦しかった。
自分は何も乗り越えていない。
まだ苦しい。
まだ泣きたい。
今でも夜になればアメリアの名前を呼ぶ。
なのに。
皆は少し安心した顔をする。
それが申し訳なかった。
◇
執務室へ入る。
机の上には白い紙。
羽ペン。
インク。
そして。
アメリアが残した東方関係資料。
机の隅へ積まれている。
その姿を見ただけで胸が痛んだ。
東方連盟。
王国を救えるかもしれない存在。
だが救援を求める以上、理由が必要だ。
感情では駄目。
哀れみを求めても駄目。
利益が必要。
未来が必要。
互恵が必要。
アメリアならそう考える。
ミリアは紙へ向かった。
羽ペンを持つ。
だが手が止まった。
何を書けばいいのか。
どこから始めればいいのか。
分からなかった。
気付けば。
紙に雫が落ちていた。
「……っ」
慌てて拭う。
涙だった。
アメリアなら。
そう考えた瞬間。
首を振る。
違う。
それでは駄目だ。
アメリアはいない。
だから自分が書かなければならない。
自分の言葉で。
自分の責任で。
深呼吸する。
そして一行目を書いた。
『東方連盟評議会各位』
文字が震えていた。
情けないと思う。
王太子妃ともあろう者が。
そんなことを思う。
だが。
それでも続けた。
王国の現状。
北方諸国。
西方諸国。
再侵攻の危険。
物流への影響。
交易への影響。
国際市場への影響。
横にはアメリアの資料がある。
そこから数字を拾う。
街道利用率。
港湾収支。
関税予測。
輸送量。
市場規模。
凄いと思った。
改めて。
読み返すたびに思う。
どうしてここまで調べられるのか。
どうしてここまで考えられるのか。
「本当に」
小さく笑った。
涙が滲む。
「あなたは……」
続きを言えなかった。
もし今ここにいたら。
きっとこう言う。
『感情ではなく利益です』
淡々と。
当然のように。
だからミリアも感情を抑える。
数字を書く。
利益を書く。
安定を書く。
未来を書く。
東方連盟が王国を支援した場合。
東西交易路の維持が可能。
戦後優遇措置。
港湾共同整備。
商会保護。
条約履行監査。
一つずつ。
丁寧に。
積み上げていく。
◇
時間が過ぎた。
昼を過ぎ。
午後になり。
気付けば夕方だった。
最後の文章を書く。
ここまでは合理。
ここまでは利益。
ここまではアメリアが作った道。
そして最後だけ。
ミリア自身の言葉にした。
『この国には守らなければならない未来があります』
筆が止まる。
守りたい。
アメリアが守ったものを。
民を。
王国を。
未来を。
そして何より。
アメリアが帰って来る場所を。
涙が落ちる。
ぽたり、と。
最後の文字の横へ。
しばらく動けなかった。
ただ紙を見つめる。
完成した親書を。
そしてその隣に積まれた資料を。
「書けました」
呟く。
誰もいない部屋。
返事はない。
昔なら。
アメリアが評価していただろう。
構成。
論理。
数字。
不足資料。
改善点。
全部指摘しただろう。
だが今はいない。
胸が痛む。
それでも。
少しだけ。
本当に少しだけ。
前を向けた気がした。
ミリアは親書を封筒へ入れる。
王家の封蝋を押す。
そして静かに立ち上がった。
まだ泣いている。
まだ苦しい。
まだ立ち直っていない。
それでも。
今日の自分は。
昨日の自分より一歩だけ前へ進んでいた。
アメリアが残した資料を抱きしめるように胸へ寄せる。
そして小さく呟いた。
「見ていますか」
返事はない。
それでも。
ミリアは微かに微笑んだ。
「私も少しだけ」
涙が落ちる。
「頑張ってみます」
お読み頂き、ありがとうございます。




