第四話 守りますから
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
夜だった。
窓の外には月が出ている。
ただ、それだけだった。
王都は静かだった。
本来ならば。
戦争の終結を祝う宴が続いていてもおかしくない。
王国は勝ったのだから。
民は守られたのだから。
だが今の王城に祝賀の空気はなかった。
誰もが知っている。
代償があまりにも大きかったことを。
◇
ミリアは机に座っていた。
数日前まで。
床の上だった。
寝台の上だった。
膝を抱えたまま動けなかった。
今も苦しい。
今も泣きたい。
今も名前を呼びたい。
今も扉を開ければアメリアが立っている気がする。
なのに、いない。
それだけは変わらない。
机の上には資料が積まれていた。
アメリアが残した資料。
東方連盟関連。
交易。
街道。
港湾。
物流。
税収。
市場。
全部、あの人の字だった。
見慣れた筆跡。
綺麗で無駄のない文字。
補足。
修正。
注釈。
読みやすく整理された構成。
どれもアメリアそのものだった。
ミリアは一枚の紙を手に取った。
街道整備案。
北部街道。
東部物流網。
代替輸送経路。
災害時利用想定。
戦争など書いていない。
あくまで平時のため。
民のため。
商人のため。
王国の未来のため。
それだけ。
なのに。
今になって読むと。
別の意味を持っていた。
ふと。
涙が落ちた。
紙の上に染みを作る。
慌てて拭こうとして。
手が止まる。
「ごめんなさい……」
誰に向けた言葉なのか分からない。
資料にか。
自分自身になのか。
それとも。
どこかにいるかもしれないアメリアになのか。
ページをめくる。
そこには余白があった。
小さな走り書き。
アメリアの字。
『東方側利益の再試算必要』
『街道維持費の検証不足』
『監査手段について要検討』
いつもの文字。
いつもの仕事。
いつものアメリア。
その瞬間。
胸が締め付けられた。
思い出す。
夜遅くまで働いていた姿。
紅茶を飲みながら資料を読む姿。
何かに気付いた瞬間の目。
説明を求めると、
『簡単です』
と言って始まる長い説明。
難しい話を平然と始める癖。
そして最後に。
『確認不足でした』
と平然と反省する姿。
「本当に」
声が出る。
涙が落ちる。
「何をしているのですか」
いない相手へ向かって。
「こんなものを残して」
手が震える。
「こんなものを……」
悲しいわけではない。
いや。
悲しい。
苦しい。
寂しい。
全部ある。
でも今。
一番強かったのは。
別の感情だった。
悔しかった。
アメリアは未来を見ていた。
王国の未来を。
民の未来を。
東方との未来を。
全部考えていた。
全部残していた。
なのに。
自分は。
ただ泣いていた。
部屋に閉じこもって。
何もできなかった。
アメリアなら。
アメリアなら。
アメリアなら。
その言葉が頭に浮かぶ。
そして。
そこで気付く。
違う。
違うのだ。
アメリアなら。
ではない。
今いるのは自分だ。
ミリアだ。
アメリアはいない。
それが現実だ。
認めたくなくても。
受け入れたくなくても。
現実なのだ。
再び紙へ目を落とす。
数字。
計画。
分析。
提案。
全部そこにある。
アメリアが残したもの。
アメリアが考えたもの。
そして。
今の王国に必要なもの。
ミリアは震える手で資料をまとめた。
涙で視界は滲む。
手元も見えない。
王太子妃らしさなどどこにもない。
それでも。
それでも。
声が漏れた。
「アメリアなら」
そこで止まる。
首を振る。
違う。
そうじゃない。
問うべきことは、違う。
しばらく沈黙し。
そして。
ミリアは小さく呟いた。
「何から確認しますか」
その言葉が出た瞬間。
自分で驚いた。
王国を救う方法でもない。
戦争に勝つ方法でもない。
決意の言葉ですらない。
ただ。
アメリアの隣で何度も聞いた言葉。
何度も自分が尋ねた言葉。
『何から確認しますか』
その一言が。
まるで。
閉ざされた扉を少しだけ開いたようだった。
アメリアはいない。
それは変わらない。
苦しい。
泣きたい。
会いたい。
抱きしめてほしい。
戻ってきてほしい。
今でもそう思う。
思わない日はない。
きっと明日も思う。
それでも。
それでもだ。
アメリアが残したものまで失わせるわけにはいかない。
あの人が守ろうとした未来を。
手放したくなかった。
ミリアは立ち上がった。
足がふらつく。
体も重い。
顔色も悪い。
鏡を見なくても分かる。
ひどい顔をしているだろう。
王太子妃失格だ。
そんなことは知っている。
それでも。
机の上の資料を抱える。
ぎゅっと。
大切なものを抱くように。
「待っていてください」
誰に向けた言葉か。
自分でも分からない。
「まだ」
涙が落ちる。
「まだ少しだけ」
震える声。
泣き腫らした目。
それでも。
「守りますから」
◇
その夜。
王太子妃ミリアはまだ立ち直っていなかった。
まだ泣いていた。
まだ苦しんでいた。
まだアメリアを探していた。
けれど。
絶望の底で止まっていた時間が。
ほんの少しだけ。
再び動き始めていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




