第二話 助けられてばかりだな
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
王城、大会議室。
王国の未来を決める場であるはずのその部屋には、重苦しい沈黙が漂っていた。
広げられた地図。
並べられた報告書。
各地から届いた伝令。
敵軍の動向。
兵站状況。
備蓄量。
徴兵可能人数。
街道の整備状況。
必要な資料は全て揃っている。
だが。
何かが欠けていた。
誰もが分かっている。
その欠けたものが何なのかを。
◇
「北方連盟軍の推定動員可能兵力は約六万」
軍務卿が報告を続ける。
「西方諸国を合わせれば九万から十万」
数字だけ聞けば絶望的ではない。
王国にも戦力はある。
だが問題は別にあった。
「前回戦争で失った兵力の補充は」
「完了しておりません」
即答だった。
「地方守備隊も再編途中です」
沈黙。
「備蓄は」
「十分ではありません」
再び沈黙。
「西部公爵領の戦力状況」
今度は公爵が答えた。
「連戦は不可能だ」
短い。
だが十分だった。
前回戦争で最も激しく戦った西部。
傷は深い。
「戦えば勝てるか」
誰かが呟いた。
誰も答えなかった。
勝てるとは言えない。
負けるとも言い切れない。
だから余計に苦しい。
◇
ルーカスは地図を見ていた。
その視線がふと止まる。
長机の一角。
空席だった。
王太子専属監査官。
監査局長。
アメリアの席。
いつもなら資料の山が置かれている場所。
いつもなら紅茶が冷めている場所。
いつもなら。
淡々とした声が聞こえる場所。
今は誰もいない。
ただ空いている。
それだけ。
それだけなのに。
その空席は、どんな報告よりも重かった。
◇
アルフレッドもまた、その席を見ていた。
気付けば見てしまう。
視界の端に入る。
そして思う。
ここにアメリアがいれば。
その考えを何度打ち消したか分からない。
だが消えない。
消えなかった。
ここにアメリアがいれば。
敵兵力の分析も。
物流網の再構成も。
地方貴族の説得も。
もっと早く。
もっと確実に。
進められたのではないか。
そんな考えが浮かんでしまう。
そして自己嫌悪する。
いない人間に頼っている。
それが分かるから。
余計につらい。
◇
公爵は黙っていた。
誰よりも黙っていた。
表情も変わらない。
感情も見えない。
だがその姿を知る者達は理解していた。
一番沈んでいるのは公爵だ。
一番苦しんでいるのも。
一人娘を失ったかもしれない父親なのだから。
それでも。
この場で崩れるわけにはいかない。
だから黙る。
ただ黙って座っている。
その姿が、逆に痛々しかった。
◇
「東方連盟はどうだ」
ルーカスが言った。
話題を変えるように。
空気を動かすように。
外交官が答える。
「実質的に中立です」
「動かないか」
「可能性は高いでしょう」
誰も驚かない。
予想通りだった。
「距離もあります」
「利害も薄い」
「援軍要請を受ける理由がありません」
その通りだった。
王国を助ける義理がない。
戦争に巻き込まれる利益もない。
だから難しい。
そこで。
一人の監査局員がおずおずと手を挙げた。
「発言を」
視線が集まる。
若い局員だった。
緊張している。
それでも立ち上がった。
「局長の資料を整理していた際」
その言葉で。
全員が反応した。
局長。
つまりアメリア。
「東方関連資料を発見しました」
会議室が静まる。
紙束が机へ置かれる。
分厚い。
異常なほど分厚い。
◇
ルーカスが手に取る。
表紙。
『東方連盟との長期交易改善計画』
沈黙。
次をめくる。
『東方港湾利用率調査』
『東方主要商会一覧』
『街道整備共同計画案』
『関税調整予測』
『物流改善による双方利益試算』
次々と出てくる。
まだある。
まだある。
まだある。
会議室の誰もが言葉を失った。
◇
「……なんだこれは」
アルフレッドが呟く。
局員は答える。
「分かりません」
本当に分からなかった。
「戦争目的の資料ではありません」
頁をめくる。
どこまでも平時の計画だ。
市場。
物流。
交易。
治安。
税制。
全て平時のもの。
戦争など想定していない。
だが。
今だからこそ価値があった。
◇
ルーカスは資料を読み続けた。
そして理解する。
アメリアは東方を利用しようとしていたのではない。
取引相手として見ていた。
対等な相手として。
だからここまで調べていた。
だからここまで考えていた。
「……本当に」
誰かが呟く。
「どこまで考えていたんだ」
返事はなかった。
返せる本人がここにいない。
◇
会議は続く。
だが先ほどまでとは違っていた。
暗闇の中に。
かすかな灯りが見えた。
東方連盟。
可能性は低い。
難しい。
だが。
ゼロではない。
そしてその可能性は。
アメリアが残したものだった。
◇
会議終了後。
人々が席を立っていく。
誰もが資料を持っていく。
読みたいのだ。
知りたいのだ。
アメリアが何を残したのかを。
最後に残ったルーカスは。
ふと空席を見る。
静かな席。
主のいない席。
そして小さく呟いた。
「助けられてばかりだな」
返事はない。
当然だ。
返事はない。
けれど。
その席には。
確かにアメリアが残したものがあった。
だから王国は、もう一度だけ前を見ることができた。
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