第一話 俺達だけじゃ、無理なんだ
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
アメリアがいない。
その事実は、今日も変わらなかった。
朝が来ても。
昼になっても。
夜が訪れても。
何も変わらない。
アメリアはいない。
戻ってこない。
声も聞こえない。
返事もない。
だからミリアは今日も部屋から出なかった。
◇
厚いカーテンは閉じられたままだった。
灯りも少ない。
室内は薄暗い。
どれだけ時間が経ったのか分からない。
何日目なのかも分からない。
食事は運ばれてくる。
けれどほとんど手を付けない。
水だけ少し飲む。
それだけ。
王太子妃として失格だと分かっていた。
でも、どうでもよかった。
アメリアがいない。
それ以外のことを考える余裕がなかった。
寝台の上で膝を抱える。
その姿を誰にも見せたくなくて。
けれど誰もいない部屋はもっと嫌で。
矛盾した思いだけが胸を埋め尽くしていた。
「アメリア……」
名前を呼ぶ。
返事はない。
分かっている。
それでも呼んでしまう。
呼ばなければ、本当に消えてしまいそうだった。
◇
一方その頃。
王城の会議室には重い空気が流れていた。
地図が広げられている。
軍事報告。
諜報報告。
補給予測。
敵軍の動向。
戦争に必要な情報は揃っていた。
だが。
誰も口を開かない。
重苦しい沈黙だけが続いていた。
ルーカスは報告書を見下ろした。
「確認する」
誰もが顔を上げる。
「西方諸国連合は再編を完了」
静かな声。
「北方諸国も同調した」
空気がさらに沈む。
「両国は共同で王国への報復戦争を開始する可能性が高い」
可能性。
そう表現した。
だがこの場にいる者は全員理解していた。
始まる。
ほぼ確実に。
次の戦争が始まる。
アルフレッドが拳を握る。
公爵は黙ったままだった。
監査局の幹部達も口を閉ざしている。
誰もが理解していた。
王国は疲弊している。
前回の戦争の傷は深い。
兵も足りない。
物資も足りない。
そして。
何より。
ここにアメリアがいない。
その事実だけが、誰の心にも重くのしかかっていた。
◇
会議が終わる。
誰も笑わない。
誰も余裕がない。
ルーカスは席を立った。
「殿下」
アルフレッドが呼ぶ。
ルーカスは振り返らない。
「ミリアのところへ行く」
短く答える。
アルフレッドも止めなかった。
止められなかった。
彼自身も似たような顔をしていたからだ。
◇
王太子妃の私室前。
ルーカスはしばらく扉を見つめていた。
重い扉。
何日も閉ざされている扉。
その向こうにミリアがいる。
生きている。
けれど、心はほとんど止まっている。
そんな気がした。
ルーカスは小さく息を吐いた。
「ミリア」
返事はない。
「聞こえるか」
返事はない。
だが構わず続ける。
「戦争だ」
静寂。
「北方と西方が動く」
返事はない。
それでも話す。
「王国はまた戦うことになる」
沈黙。
「俺は王太子として戦う」
拳を握る。
言葉にしなければ折れてしまいそうだった。
「怖い」
初めて漏れた本音だった。
「正直、怖い」
声が震える。
「アメリアがいない」
目を閉じる。
「どうすればいいのか分からない」
王太子として失格な言葉だった。
だが今は誰もいない。
だから言えた。
「それでも」
顔を上げる。
「俺は戦う」
扉の向こうは静かだった。
「アメリアが守ったものを守る」
そこまで言った時。
微かに。
本当に微かに。
扉の向こうから音がした。
嗚咽だった。
ルーカスは息を止める。
聞こえていた。
ちゃんと聞いていた。
閉じこもっていても。
泣き続けていても。
聞いていた。
ルーカスは扉に手を置いた。
「お前じゃなくていい」
ぽつりと言う。
「今すぐ立ち上がれとも言わない」
嗚咽だけが返る。
「でも」
ルーカスは目を閉じる。
「俺達だけじゃ、無理なんだ」
沈黙。
長い沈黙。
やがて。
扉の向こうで何かが崩れるような音がした。
ミリアだろう。
また泣いているのだろう。
それでも。
それでよかった。
聞いてくれていた。
まだ終わってはいない。
そんな気がした。
◇
部屋の中。
ミリアは床に座り込んでいた。
涙で滲む視界。
震える肩。
抱きしめるのはアメリアが残した資料。
戦争。
再侵攻。
王国。
守る。
そんな言葉が頭を巡る。
そして最後に。
一つの言葉だけが残った。
アメリアが守ったもの。
涙が落ちる。
ぽたり、と。
資料を濡らした。
「アメリア……」
声は震えていた。
まだ前は向けない。
立ち上がれない。
会議室へ行けない。
何もできない。
それでも。
本当に何も感じていないわけではなかった。
王国が壊れる。
アメリアが守ろうとした未来が壊れる。
その想像だけが。
絶望の底に沈んでいたミリアの心へ、僅かな痛みを落とした。
そしてその痛みこそが。
再び立ち上がるための、最初の小さな火種だった。
お読み頂き、ありがとうございます。




