終話 良かったです
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
轟音はしばらく止まなかった。
山を揺らし。
大地を震わせ。
川が吠える。
自然そのものが怒り狂っているようだった。
防波堤管理施設。
誰も言葉を発しない。
ただ。
流れ続ける濁流を見ていた。
やがて。
最初の伝令が駆け込んでくる。
「報告!」
息を切らしながら叫ぶ。
「敵前衛部隊壊滅!」
静寂。
「確認済みです!」
さらに続く。
「主力部隊多数流失!」
「補給部隊消滅!」
「敵軍混乱!」
「後退開始!」
施設内がざわめいた。
騎士達が顔を見合わせる。
本当に成功した。
誰もがそう理解した。
◇
司令部でも同じだった。
次々と到着する報告。
「敵軍後退!」
「戦列維持不能!」
「指揮系統崩壊!」
「投降者発生!」
将軍が拳を握る。
「勝ったぞ……」
誰かが呟く。
その声音には信じられないという感情が混じっていた。
公爵も報告書を握り締める。
勝った。
間違いなく勝った。
敵軍は壊滅状態。
もはや戦争継続不可能。
宣戦布告を行った国家も。
反旗を翻した領主も。
終わりだ。
伝令が叫ぶ。
「敵軍降伏の使者を派遣!」
一瞬の静寂。
そして。
歓声が上がった。
「終わった!!」
「勝ったぞ!!」
「助かった!!」
泣き出す者もいる。
笑う者もいる。
椅子へ崩れ落ちる者もいる。
それほどまでに。
この戦争は重かった。
◇
防波堤施設。
こちらにも報告が届いていた。
「敵軍降伏!」
「戦争終結です!」
歓声。
拍手。
抱き合う兵士達。
近衛達も笑っていた。
「帰れるぞ!」
「やったな!」
誰もが安堵していた。
アルフレッドも大きく息を吐く。
肩の力が抜ける。
「終わったな」
自然と漏れた言葉だった。
隣を見る。
アメリア。
彼女は窓の外を見ていた。
川。
濁流。
遠くの山々。
そして。
戦場の方向。
「アメリア」
「はい」
振り向く。
「勝ったぞ」
「はい」
「終わった」
「はい」
少しだけ沈黙。
アルフレッドは苦笑した。
「もっと喜んでもいいと思うが」
アメリアは考える。
本当に考える。
数秒。
そして。
「そうでしょうか」
首を傾げた。
「そうだろう」
「では」
アメリアは少し考え。
ほんの少しだけ。
笑った。
「良かったです」
それだけだった。
だが。
十分だった。
近くで聞いていた騎士達から笑い声が漏れる。
「局長殿なりの大喜びですな」
「違いない」
「確かに」
アメリアは意味が分からないらしい。
また首を傾げている。
さらに笑いが起きた。
アルフレッドも思わず笑ってしまう。
戦争は終わった。
ようやく。
本当にようやくだ。
◇
「帰還準備!」
号令が飛ぶ。
施設内が慌ただしくなる。
荷物を纏める者。
装備を確認する者。
馬を引いてくる者。
誰の顔にも安堵があった。
戦争は終わった。
皆がそう信じていた。
だから。
誰も気付かなかった。
気を抜いていた訳ではない。
ただ。
終わったと思っていた。
それだけだった。
人数も少ない。
周囲を監視する目も限られている。
施設周辺は岩場と木々ばかり。
隠れられる場所はいくらでもあった。
誰も。
本当に誰も。
気付けなかった。
◇
アメリアは愛馬の前へ立つ。
資料を鞄へしまう。
手綱を取る。
「戻ったら休め」
アルフレッドが言う。
「無理です」
即答だった。
「監査局の仕事があります」
「休め」
「仕事があります」
「休め」
「仕事が」
「休め」
沈黙。
「……検討します」
負けた。
周囲から笑いが起きる。
そんな穏やかな時間だった。
アメリアは鐙へ足を掛ける。
馬上へ上がる。
その瞬間。
風が吹いた。
ヒュッ。
誰も反応できなかった。
本当に一瞬だった。
ドスッ。
鈍い音。
一拍。
静寂。
次の瞬間。
「ヒヒィィィン!!」
軍馬が絶叫した。
「!?」
馬体に深々と突き刺さる矢。
悲鳴。
混乱。
軍馬が後脚で立ち上がる。
アメリアの身体が大きく揺れた。
「アメリア嬢!!」
アルフレッドが叫ぶ。
だが遅い。
馬は狂ったように暴走した。
「止めろ!!」
「護衛!!」
「囲め!!」
騎士達が動く。
だが。
間に合わない。
痛みと恐怖で理性を失った軍馬は一直線に走り出す。
川へ。
防波堤から解放された濁流へ。
「まずい!!」
誰かが叫んだ。
全員が同じ方向を見る。
川。
まだ荒れている。
まだ激流だ。
まだ危険だ。
「アメリア!!」
アルフレッドが馬を蹴った。
全速力。
追う。
追う。
追う。
ただ追う。
届け。
間に合え。
それだけだった。
アメリアは状況を理解していた。
馬は止まらない。
川が近い。
落ちる。
冷静に理解していた。
不思議と恐怖はなかった。
ただ。
少しだけ残念だった。
戦争は終わったのに。
報告書を書いて。
復旧計画を立てて。
監査局へ戻らなければならなかったのに。
やる事が山ほどあった。
「アメリア!!」
アルフレッド。
振り返る。
必死な顔。
全力で追っている。
伸ばされた手。
遠い。
届かない。
川岸が迫る。
馬が足を滑らせる。
世界が傾く。
空。
曇り空。
雨は降っていない。
けれど。
川はまだ荒れていた。
先程解放されたばかりの水が。
山を削るように流れ続けている。
次の瞬間。
馬体が崩れた。
「アメリアァァァ!!」
アルフレッドの絶叫。
騎士達の怒号。
誰もが手を伸ばす。
だが。
届かない。
少女の身体は宙へ投げ出された。
そして。
濁流へ落ちていく。
その瞬間。
アメリアはアルフレッドと目が合った。
ほんの一瞬。
そして。
静かに微笑んだ。
次の瞬間。
激流が全てを飲み込んだ。
姿は消える。
声も消える。
残ったのは。
歓声でも。
勝利でも。
終戦でもない。
ただ。
水の音だけだった。
戦争には勝った。
国も守った。
多くの命も救った。
それでも。
誰も。
無傷ではいられなかった。
◇
川の音が響く。
どこまでも。
どこまでも。
ただ静かに。
流れ続けていた。
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