第三話 勝たなければなりません
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
雨が降っていた。
昨夜から降り続いている雨だ。
空を覆う厚い雲に太陽の姿はない。
公爵領前線司令部。
朝早くから慌ただしい空気に包まれていた。
兵士達が走る。
文官達が資料を運ぶ。
伝令が馬を乗り換え続ける。
戦争が近付いていた。
そんな中。
司令部の扉が勢いよく開いた。
「密偵帰還!!」
室内の空気が変わる。
泥まみれの男が飛び込んできた。
肩で息をしながら敬礼する。
「報告します!」
公爵が頷いた。
「申せ」
「敵軍主力を確認しました!」
地図の前にいた全員の視線が集まる。
「兵力約二万!」
「西部国家軍一万二千!」
「西方領主軍八千!」
「混成軍です!」
重い沈黙が落ちた。
二万。
決して小さな数字ではない。
さらに。
敵は攻勢。
こちらは迎撃側。
条件は決して良くない。
アルフレッドが眉を寄せる。
「侵攻経路は」
「正面街道です!」
「このまま進めば五日以内に接敵します!」
報告終了。
密偵が退室する。
その瞬間。
室内に張り詰めた空気だけが残った。
老将軍が腕を組む。
「正面決戦は不利だな」
「兵力差がある」
「城塞を利用しても消耗戦になる」
別の将軍も同意する。
「勝てない訳ではない」
「だが死人は増える」
全員が理解していた。
この戦争は勝てる。
問題はその代償だ。
どれだけ被害を減らせるか。
その時だった。
「正面決戦は行いません」
アメリアだった。
全員が振り返る。
彼女は地図の前へ進み出る。
一本の線を指でなぞった。
「こちらへ誘導します」
山岳地帯。
アルフレッドが地図を見る。
「山沿いか」
「はい」
アメリアは頷く。
「敵軍は混成軍です」
紙を一枚取り出す。
「指揮系統が複数」
「補給系統も複数」
「行軍速度も異なります」
さらに紙を並べる。
そこには数字が並んでいた。
進軍速度。
補給量。
兵站能力。
食料消費量。
「つまり」
アメリアが言う。
「分断できます」
将軍達が眉をひそめる。
「先頭集団」
「主力」
「補給部隊」
「後続部隊」
地図の上へ駒を置く。
「これらを切り離します」
「こちらへ誘導し」
「この地点で伏兵」
「この地点で補給線切断」
「この地点で奇襲」
次々と駒が動く。
やがて。
敵軍の駒は四つに分断されていた。
静寂。
「できるのか?」
若い将校が思わず呟く。
アメリアは即答した。
「できます」
その声に迷いはない。
「敵指揮官は軍功を焦っています」
別の資料。
「過去の戦歴です」
「功績獲得の為なら前線を押し上げる傾向があります」
「さらにこちら」
別の紙。
「補給能力です」
「現在の食料量では長期戦は不可能」
「必ず短期決戦を選びます」
さらに資料を重ねる。
「そして降雨量」
室内が静まる。
また雨だ。
誰もがそう思う。
だが。
アメリアだけが真剣だった。
「地盤状態悪化」
「進軍速度低下」
「補給馬車の遅延」
「河川の増水」
「全てこちらに有利に働きます」
アルフレッドが苦笑した。
「敵将だけでなく天候まで利用するのか」
「利用できるものは利用します」
当然のように返される。
会議室の数人が笑った。
だが。
誰も否定しない。
彼女は今までそれを実際にやってきた。
帳簿でも。
監査でも。
領地運営でも。
必ず結果を出してきた。
公爵が腕を組む。
「勝算は」
アメリアは一冊の帳簿を開いた。
数字が並ぶ。
びっしりと。
誰が見ても頭が痛くなる資料だった。
アルフレッドは思わず引いた。
「それ全部読んだのか」
「昨夜中に」
「寝たか?」
「二時間ほど」
「寝てないなそれは」
即座に否定される。
アメリアは首を傾げた。
「十分では」
「十分じゃない」
会議室に小さな笑いが広がる。
張り詰めていた空気が少しだけ軽くなった。
公爵は咳払いをして話を戻す。
「勝てるのか?」
静寂。
全員の視線が集まる。
アメリアは地図を見る。
数字を見る。
帳簿を見る。
そして。
答えを出した。
「勝てます」
断言だった。
だからこそ。
次の言葉が重い。
「ただし」
会議室から笑いが消える。
アメリアは一枚の紙へ視線を落とした。
死傷者予測。
損耗率。
戦争では避けられない数字。
「被害ゼロは不可能です」
沈黙。
誰も何も言わない。
アメリアは静かに続ける。
「どれだけ準備しても」
「どれだけ分析しても」
「どれだけ改善しても」
一度目を閉じる。
「戦争です」
静かな声だった。
「人は死にます」
その瞬間。
室内の誰もが理解した。
この少女は勝利を考えている。
だがそれ以上に。
失われる命のことを考えている。
まだ開戦前だというのに。
まだ誰も死んでいないというのに。
既に死者を見ている。
公爵だけは黙っていた。
父親だから分かる。
娘が何を背負おうとしているのか。
アルフレッドも気付く。
この少女は。
勝つ方法を考えているのではない。
誰かを生かす方法を考え続けている。
だから苦しいのだ。
「それでも」
アメリアが顔を上げる。
「勝たなければなりません」
その瞳は真っ直ぐだった。
「負ければ」
「もっと多くの人が死にます」
「だから勝ちます」
公爵がゆっくり頷いた。
「ああ」
短い言葉。
「そうだな」
そして立ち上がる。
「作戦を開始する」
将軍達が動く。
伝令が走る。
命令が飛ぶ。
戦争が動き始めた。
人々が退室していく中。
最後に残ったのは。
公爵。
アルフレッド。
そしてアメリアだけだった。
窓の外を見る。
雨。
まだ降っている。
静かに。
止まることなく。
「また雨か」
アルフレッドが呟く。
「はい」
「そんなに気になるのか」
アメリアは少しだけ考えた。
「分かりません」
正直な答えだった。
「ですが」
窓を叩く雨粒を見る。
「数字が気になります」
アルフレッドは苦笑する。
本当に変わらない。
皆が敵兵を見る時。
この少女だけは数字を見る。
皆が剣を見る時。
この少女だけは帳簿を見る。
だから。
ここまで来られたのだろう。
雨音が続く。
お読み頂き、ありがとうございます。




