第二話 まだ開戦しておりません
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
王都を出立した王国軍は、西へ向かっていた。
街道を埋め尽くす兵列。
歩兵。
騎兵。
補給部隊。
荷馬車。
翻る王国旗。
その先頭を行くのは第二王子アルフレッドだった。
馬上から前方を見る。
青空の下。
続く軍勢は頼もしい。
だが。
彼の脳裏に浮かぶのは戦争ではなかった。
公爵領。
アメリア。
そして。
最後に会った日の姿。
「厄介な顔をしておりますね」
隣を進む近衛騎士が苦笑した。
アルフレッドは肩をすくめる。
「そう見えるか」
「見えます」
即答だった。
「戦争を前にした顔ではありませんな」
「じゃあ何だ」
騎士は少し考えた。
「大事な相手が心配な顔です」
アルフレッドは黙った。
反論できなかった。
◇
公爵領。
戦争準備は凄まじい速度で進んでいた。
「避難完了率八十八パーセント!」
「北部倉庫移送完了!」
「食料配給計画更新!」
「監査局へ搬入報告!」
領内が走り回る。
兵士だけではない。
文官も。
商人も。
職人も。
全員が動いている。
まるで巨大な歯車だった。
そして。
その中心。
監査局臨時司令室。
「東部備蓄量を二千増やしてください」
「了解!」
「河川管理局への通知は」
「既に送付済みです!」
「避難先の医療体制は」
「準備中です!」
アメリアは資料を確認し続けていた。
机の上には書類の山。
避難計画。
補給計画。
負傷者受け入れ計画。
物資管理計画。
全てが並ぶ。
睡眠時間。
二時間。
食事時間。
二十分。
休憩時間。
ほぼ無し。
だが。
誰も止めない。
止める暇もない。
そんな時だった。
伝令が飛び込んできた。
「報告!」
扉が開く。
全員が顔を上げる。
「王国軍到着です!!」
一瞬。
静寂。
次の瞬間。
歓声が上がった。
「来たぞ!」
「援軍だ!」
「王都が動いた!」
張り詰めていた空気が僅かに緩む。
援軍。
それだけで人は安心できる。
アメリアも立ち上がった。
「出迎えます」
静かな声だった。
◇
公爵領城門前。
王国軍が到着する。
長い隊列。
整然とした軍容。
先頭で馬を降りたアルフレッドは真っ先に周囲を見渡した。
そして。
見つけた。
銀髪。
赤目。
見慣れた女性。
アメリアだった。
お互い近付く。
数秒の沈黙。
先に口を開いたのはアルフレッドだった。
「無事だったか」
アメリアは首を傾げる。
「まだ開戦しておりません」
沈黙。
周囲も沈黙。
アルフレッドは額を押さえた。
「そういう意味じゃない」
「?」
本気で分かっていない顔だった。
「……その顔を見る限り元気そうだな」
「はい」
即答。
「元気です」
「ならいい」
そう言うしかなかった。
その様子を見ていた公爵が小さく笑う。
側近達も苦笑した。
重苦しい空気の中。
ほんの少しだけ。
空気が和らぐ。
アメリアは首を傾げたままだった。
「何かおかしな事を申し上げましたでしょうか」
「いや」
アルフレッドはため息を吐く。
「別に」
むしろ安心した。
変わっていない。
何も変わっていない。
少なくとも今は。
「会議室はこちらです」
アメリアが歩き出す。
「案内いたします」
「頼む」
二人は並んで歩いた。
戦争前とは思えないほど自然に。
そして。
だからこそ誰も気付かない。
この何気ない時間が。
後から振り返れば。
どれほど貴重な時間だったのかを。
◇
その夜。
雨が降り始めた。
窓を叩く雨音。
城のほとんどの者が眠っている時間。
アメリアだけは起きていた。
執務室。
机の上には資料。
その中の一枚へ視線を落とす。
気象報告書。
降雨量。
河川流量。
地盤含水率。
土壌状況。
誰も気にしない数字。
将軍も見ない。
騎士も見ない。
文官も見ない。
だが。
アメリアだけは見ていた。
「……予測値を上回っていますね」
小さな呟き。
紙へ書き込みを加える。
さらに別の資料を開く。
河川図。
山岳地図。
防波堤設備図。
数字。
数字。
数字。
全てが繋がる。
雨音が続く。
窓の外では。
静かに。
静かに。
雨が降り続けていた。
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