第五話 帳簿の中で
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
アルフォード公爵領。
王都から数日。
ミリア達はようやく目的地へ到着していた。
馬車を降りたルーカスが伸びをする。
「相変わらずだな」
視界に広がる光景。
活気ある市場。
整備された街道。
忙しそうに働く人々。
笑い声。
子供達。
どこを見ても平和だった。
むしろ。
王都より豊かに見える。
教育機関の設立。
物流改革。
行政改革。
監査制度。
アメリアが積み上げてきたものが形になっていた。
「何もないぞ」
ルーカスが率直に言う。
「ええ」
ミリアも頷いた。
少なくとも表面上は。
本当に何もない。
◇
その日の夕方。
二人は市場を歩いていた。
商人に話を聞く。
価格を見る。
物流を見る。
倉庫を見る。
だが。
異常は見つからない。
「やはり考え過ぎだったのではないか?」
ルーカスが言った。
責める意図はない。
純粋な疑問だった。
「かもしれません」
ミリアも否定しない。
だが。
胸の違和感だけは消えなかった。
その時だった。
一軒の食料品店。
店先に並んだ麦袋。
そこに書かれた価格を見て。
ミリアの足が止まる。
「……あれ?」
小さな違和感。
だが。
監査官にとって最も危険な感覚。
ルーカスが首を傾げる。
「どうした?」
「少し」
ミリアは店へ向かった。
「価格を確認しても?」
「ええ、どうぞ」
店主も気軽に応じる。
価格表を見る。
去年。
一昨年。
今年。
書き残された記録。
そして。
ミリアの眉が寄る。
高い。
本来なら。
もっと安いはずだった。
なぜなら。
アメリアの物流改革がある。
中継倉庫。
街道整備。
輸送効率化。
共同配送。
全て成功している。
だから。
アルフォード公爵領は王都より安く販売できるはずだった。
だが。
実際は違う。
「王都と同額……?」
思わず呟く。
ルーカスが聞き返す。
「何か問題なのか?」
ミリアはすぐ答えた。
「問題です」
即答だった。
「本来ならもっと安くなっているはずです」
そこからだった。
市場を回る。
食料。
鉄。
木材。
薬草。
輸送依頼。
片端から確認する。
価格を聞く。
帳簿を借りる。
過去を調べる。
数字を集める。
比較する。
分類する。
仮説を立てる。
検証する。
ルーカスは途中で気付いた。
今のミリアは。
少しだけ。
アメリアに似ていた。
そして。
「ルーカス様」
「なんだ?」
「王都へ戻りましょう」
「は?」
「確認したい事があります」
その日のうちに。
二人は王城へと帰還した。
◇
三日後。
王太子の執務室。
机いっぱいに資料が積まれていた。
全て王城の資料庫にあったもの。
ミリアは無言で数字を追う。
食料価格。
輸送費。
鉄価格。
薬草需要。
荷車稼働率。
全てを書き出す。
比較する。
並べる。
「まさか……」
ルーカスの声。
彼も見えてきた。
異常なのだ。
一つ一つは小さい。
だが。
全部同時。
全部同じ方向。
増えている。
食料。
鉄。
薬草。
輸送。
荷車。
全部。
「偶然か?」
ルーカスが呟く。
だが。
ミリアは返事をしなかった。
机の上の資料を見つめる。
飢饉。
疫病。
災害。
魔物災害。
思いつく可能性を並べる。
そして。
静かに立ち上がった。
「過去事例を確認します」
王城資料庫へ向かった。
◇
夕方。
資料庫。
積み上げられた過去資料。
戦史。
災害記録。
市場統計。
人口資料。
物流記録。
ミリアは片端から調べ始めた。
飢饉。
違う。
疫病。
違う。
災害。
違う。
魔物災害。
違う。
そして。
一冊の資料で手が止まった。
王国西部戦役。
開戦前年。
市場統計。
物流統計。
資材統計。
酷似していた。
ミリアの呼吸が止まる。
目の前の資料。
今の数字。
何度も見比べる。
もう一度。
さらにもう一度。
そして。
確信した。
「……戦争だ」
ルーカスが顔を上げる。
「何?」
ミリアの声は静かだった。
どこかで聞いた声に似ていた。
「絶対ではありません」
一拍。
「ですが」
資料へ視線を落とす。
「戦争なら」
指先が数字をなぞる。
「既に始まっています」
ルーカスが固まる。
「始まっている?」
ミリアはゆっくり首を振った。
公爵領を思い出す。
平和な街。
笑う人々。
何も起きていなかった。
だが。
自分は知ってしまった。
数字の意味を。
帳簿の意味を。
アメリアが見ていた世界を。
「帳簿の中で」
静寂。
誰も言葉を発しない。
ただ。
ミリアだけが理解していた。
アメリアは敵を見ていたのではない。
軍を見ていたのでもない。
帳簿を見ていた。
そして。
帳簿の向こうにある戦争を見ていたのだと。
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