第三話 どれも行いません
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
会議の翌日
監査局会議室。
珍しく職員が全員集められていた。
前方には王太子ルーカス。
その隣にはアメリア。
そして机の上に置かれた一枚の書類。
ルーカスが読み上げる。
「長期休暇申請……?」
職員達が固まる。
沈黙。
誰も言葉を発しない。
やがて一人が震える声で呟いた。
「……誰のですか?」
アメリアが手を挙げる。
「私です」
職員達絶望。
ルーカスも思わず額を押さえた。
「理由は?」
アメリアは静かに答える。
「公爵家に関する事としか」
職員達が顔を見合わせる。
公爵家。
それ以上は聞くなということだ。
ルーカスも理解した。
アルフォード公爵家の問題なら、強引に聞き出す話ではない。
だが。
「期間は?」
「未定です」
ざわり。
会議室が揺れる。
職員達の顔色が消える。
未定。
未定である。
つまりいつ帰ってくるか分からない。
監査局の空気が死んだ。
だがアメリアは淡々としていた。
「ご安心ください」
そう言って机に資料を置く。
どん。
さらに置く。
どん。
さらに置く。
どん。
どん。
どん。
積み上がる資料。
職員達の顔が引きつる。
ルーカスの眉も上がった。
表紙にはこう書かれていた。
休暇中運営計画
引継書
想定問答集
緊急時対応手順
案件優先順位一覧
月別業務予定表
担当者振分表
想定トラブル対策
外部問い合わせ対応例
さらにその下。
第二巻。
第三巻。
第四巻。
第五巻。
職員達絶望。
「まだあるのか……」
「五巻まであるぞ……」
「なんだこれ……」
アメリアは首を傾げた。
「不足がありますか?」
職員達。
無言。
あるわけがない。
あるわけがないのだ。
むしろ多い。
多すぎる。
ルーカスが一冊手に取る。
ぱらり。
緊急時対応。
その中に書かれていた。
局長不在時の意思決定手順
想定事例一二七例
対応優先度表
代替判断基準
ルーカス。
もう一冊開く。
想定問答集
質問一
局長はいつ戻るのか
回答例A
回答例B
回答例C
ルーカスは静かに本を閉じた。
職員達を見る。
全員青い顔をしていた。
理由は一つ。
アメリアが休むことではない。
自分達が。
この量を全部読まなくてはいけないことに気付いたからだ。
アメリアは満足そうに頷く。
「これで問題ありません」
職員達。
絶望。
ルーカスは積み上がった資料の山を見る。
山。
もはや山だった。
そして思う。
(化け物だ……)
休暇に入る人間が。
休暇中の組織運営を。
ここまで準備するものなのか。
いや。
普通はしない。
普通ではない。
だからこそ。
アメリア・フォン・アルフォードという人間なのだろう。
ルーカスは深くため息を吐いた。
そして休暇申請書に署名する。
「許可する」
アメリアは一礼した。
「ありがとうございます」
そう言って何事もないように退出していく。
残されたのは。
大量の資料と。
絶望する職員達だけだった。
◇
会議から三日後。
再び公爵家執務室。
集まったのは公爵と幹部たちだった。
騎士団長が口を開く。
「それで」
「どうするのだ」
単刀直入だった。
「兵を増やすか」
「武器を買い集めるか」
「要塞を強化するか」
どれも戦争準備だ。
当然の発想だった。
しかし。
アメリアは首を横に振る。
「どれも行いません」
騎士団長が目を見開いた。
「何?」
家宰も眉をひそめる。
「備える必要があるのではなかったか」
「あります」
アメリアは即答した。
だが続く言葉は予想外だった。
「だから改革します」
全員が沈黙した。
意味が分からない。
公爵だけが腕を組む。
「聞こう」
アメリアは資料を広げた。
そこに書かれていたのは軍事計画ではない。
公爵継承改革。
行政改革。
物流改革。
防災計画。
倉庫管理規則。
誰が見ても内政資料だった。
騎士団長が困惑する。
「待て」
「戦争の話ではなかったのか」
「戦争の話です」
アメリアは真顔で答えた。
そして一枚目を指差す。
「まず指揮系統を整理します」
「有事の意思決定権限も明確化します」
家宰が資料を見る。
「……これは行政改善では」
「有事になれば指揮系統になります」
次。
「倉庫管理を一元化します」
補給管理官が頷く。
「在庫管理か」
「はい」
「平時は経費削減になります」
「有事は兵站になります」
次。
「街道整備を進めます」
行政長官が頷く。
「商業活性化ですな」
「はい」
「平時は商業振興です」
「有事は軍道になります」
一瞬。
全員が黙った。
理解した。
これは。
全部そうなのだ。
指揮系統整理。
行政改革。
物流改革。
街道整備。
倉庫管理。
輸送網再編。
防災訓練。
緊急連絡網。
住民避難計画。
平時なら善政。
有事なら軍事インフラ。
アメリアは静かに言う。
「戦争が起きないなら」
「全て領民の利益になります」
「戦争が起きたなら」
「全て防衛に使えます」
騎士団長が唸った。
なるほど。
確かに露骨な軍拡ではない。
だから敵にも警戒されない。
王都にも疑われない。
それでいて備えになる。
まるで監査だった。
問題が起きてから対処するのではない。
起きても耐えられる仕組みを作る。
「予防か」
公爵が呟く。
アメリアは小さく頷いた。
「はい」
「監査と同じです」
「不正が起きてから追うのでは遅い」
「起きても被害を最小にする仕組みが必要です」
「戦争も同じです」
会議室が静まり返る。
騎士団長は深く息を吐いた。
この少女は。
どこまで先を見るのだろう。
◇
改革は即日始まった。
役人たちは倉庫を整理した。
担当者を明確化する。
責任者を置く。
保管場所を統一する。
単なる管理改善。
誰も疑問に思わない。
だが。
有事になれば。
どこに何があるか一瞬で分かる。
街道工事も始まった。
商人たちは大喜びだった。
物流効率が上がる。
利益が増える。
歓迎しかない。
だが。
馬車だけではない。
軍も走れる。
補給も通せる。
騎士団では訓練が増えた。
しかし名目は違う。
防災訓練。
避難誘導訓練。
住民保護訓練。
誰も反対しない。
領民も歓迎する。
だが。
指揮系統の確認。
連絡体制の確認。
部隊運用の確認。
実態は有事訓練だった。
◇
数週間後。
騎士団長は訓練場を見渡していた。
兵士たちが整然と動いている。
伝令が走る。
記録が残る。
物資が管理される。
無駄がない。
まるで別の組織だった。
そこへ公爵が現れる。
「どうだ」
騎士団長は苦笑した。
「恐ろしいですな」
「何がだ」
「全部です」
騎士団長は視線を訓練場へ向ける。
「誰も戦争の準備をしていると思っていない」
「けれど」
「やっている事は戦争の準備そのものです」
公爵も頷いた。
確かにそうだった。
だが。
もっと恐ろしい事がある。
それは。
誰も文句を言わない事だ。
兵士たちは武器を整える。
商人たちは物を集める。
役人は書類を整理する。
職人は倉庫を作る。
騎士は訓練を続ける。
誰も理由を聞かない。
誰も不満を言わない。
なぜなら。
みんな知っているからだ。
アメリアが来てから。
暮らしは良くなった。
不正は減った。
税は明確になった。
仕事は増えた。
学校ができた。
未来ができた。
だから。
信じる。
理由はそれだけだった。
◇
夕暮れ。
執務室。
アメリアは窓の外を見ていた。
整備される街道。
建設中の倉庫。
訓練する騎士たち。
忙しく働く役人たち。
まだ平和だった。
だからこそ。
今しかない。
公爵が隣に立つ。
「順調か」
「はい」
アメリアは頷く。
「戦争が起きなければ」
「全て無駄になります」
公爵は笑った。
「違うな」
アメリアが振り向く。
「無駄ではない」
「領地は豊かになる」
「それだけでも十分価値がある」
一瞬。
アメリアが目を丸くした。
そして。
少しだけ微笑む。
「そうですね」
戦争は起きないかもしれない。
起きるかもしれない。
誰にも分からない。
だから。
備える。
監査と同じように。
後悔しないために。
◇
その頃。
王都では。
一人の少女が首を傾げていた。
完璧な引継ぎ書類。
完璧な業務整理。
完璧すぎる休職申請。
ミリアは呟く。
「……おかしいです」
そして。
監査局長に鍛えられた王太子妃は動き始める。
お読み頂き、ありがとうございます。




