第五話 では始めましょう
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
ミリアの実家へ向かう馬車の中。
ミリアは落ち着かなかった。
向かい側ではアメリアが本を読んでいる。
いつも通りだった。
あまりにもいつも通りだった。
「アメリア様」
「なんでしょう」
「その……」
ミリアは言いにくそうに視線を逸らした。
「本当に来てしまわれたのですね」
「来ると申し上げましたので」
当然の回答だった。
「いえ、そうなのですが……」
問題はそこではない。
ミリアは頭を抱えたくなる。
自分の実家は男爵家だ。
王都から離れた地方貴族。
一方でアメリアは監査局長。
国王にも意見する人物。
そんな人が自分の家の経営相談のために来ている。
意味が分からない。
「ご迷惑ではありませんか?」
アメリアは本から視線を上げた。
「なぜでしょう」
「お忙しいでしょうし……」
「忙しいですわね」
「でしたら!」
「ですから早く終わらせます」
いつもの理論だった。
ミリアは少し笑った。
本当に変わらない。
「それに」
アメリアは続ける。
「ミリア様が教育へ集中できない方が問題です」
「え?」
「現在の最大の障害ですので」
淡々と告げる。
「除去いたします」
まるで業務報告だった。
だがミリアは少し嬉しかった。
自分のことを考えてくれている。
そう思ったからだ。
アメリア本人は問題を認識し、対処しようとしているだけだったが。
◇
夕方。
男爵家へ到着した。
屋敷前にはミリアの両親が並んでいた。
「お帰り、ミリア」
「お父様、お母様」
二人は娘を見て微笑む。
そして。
その後ろから降りてきた人物を見た。
固まった。
「え」
「え?」
ミリアの父が硬直する。
母も固まる。
アメリアだった。
公爵令嬢。
元王太子妃候補。
そして娘が結果的にその立場を奪った相手。
なぜいるのか。
理解できなかった。
「ごきげんよう」
アメリアはいつも通り頭を下げた。
男爵夫妻も慌てて返礼する。
「ア、アメリア様!?」
「突然の訪問となり申し訳ございません」
「い、いえ!」
父は滝のように汗を流し始めた。
嫌な予感しかしない。
まさか。
まさか。
今さら婚約破棄の件では。
いや。
まさか。
そんな。
頭の中を最悪の想像が駆け巡る。
◇
応接室。
男爵夫妻は正座したい気分だった。
目の前にはアメリア。
静かに紅茶を飲んでいる。
誰も話せない。
重い沈黙だった。
やがて男爵が口を開いた。
「あの……本日はどのようなご用件で……」
アメリアはカップを置く。
そして。
「帳簿を見せてください」
「はい?」
男爵は聞き返した。
「帳簿を見せてください」
アメリアは繰り返した。
「え?」
「売上台帳でも構いません」
「え?」
「在庫表もあれば助かります」
「え?」
男爵は混乱していた。
夫人も混乱していた。
アメリアだけが正常だった。
「経営が悪化しているのでしょう?」
「は、はい」
「であれば帳簿確認が必要です」
正論だった。
正論過ぎた。
だが夫妻はついていけない。
「その……」
男爵は恐る恐る尋ねた。
「怒って……いらっしゃらないのでしょうか」
「何に対してですか?」
本気で意味が分からない顔だった。
男爵は言い淀む。
「その……婚約の件とか……」
「関係ありませんわね」
即答だった。
あまりにも即答だった。
「現在の問題は御家の経営です」
アメリアは資料用の紙を取り出す。
「それ以外は後回しです」
男爵夫妻は顔を見合わせた。
本気だ。
本当に興味がない。
この人は本気で経営の話をしている。
「帳簿をお願いします」
もう一度言われる。
男爵は慌てて立ち上がった。
「す、すぐに!」
◇
一時間後。
応接室の空気は変わっていた。
机の上には大量の帳簿。
売上記録。
仕入記録。
在庫表。
契約書。
報告書。
それらをアメリアが次々と読んでいく。
速い。
異常に速い。
ページをめくる音だけが響く。
そして。
ぴたり。
手が止まった。
「なるほど」
男爵の顔が青くなる。
終わった。
何か見つかった。
絶対まずい。
「どうでしょうか……」
恐る恐る尋ねる。
アメリアは淡々と言った。
「思ったより軽症です」
「え?」
「改善可能です」
男爵夫妻が固まる。
ミリアも固まる。
「可能……なのですか?」
「はい」
アメリアは紙へ書き始めた。
「まず在庫管理がおかしいです」
「え?」
「利益率計算も間違っています」
「え?」
「こちらの取引先は切るべきです」
「え?」
「従業員配置も非効率ですね」
「え?」
次々と問題点が並んでいく。
だが。
不思議なことに。
聞いているうちに男爵は気づいた。
これは断罪ではない。
改善案だ。
全部。
改善案だった。
「そんなことができるのですか……?」
「できます」
アメリアは迷いなく答える。
「むしろやるべきです」
そして淡々とペンを走らせる。
「一か月ほどあれば立て直せるでしょう」
男爵家の三人は言葉を失った。
一か月。
自分たちが何年も悩んでいた問題を。
目の前の女性は。
帳簿を見て数時間で整理し始めている。
アメリアは視線を上げた。
「では始めましょう」
静かな声だった。
だがなぜだろう。
その言葉は。
崖から落ちかけていた男爵家にとって。
初めて見えた希望のように聞こえた。
お読み頂き、ありがとうございます。




