第5章 禁忌の扉と、初めての共鳴
模擬戦から二日後、学院の日常は一見いつも通りだった。
朝の基礎術式演習、午後の属性実践、夕方の自由研究時間。
俺は風属性の寮で、瑠璃や茶髪のスポーツ少年と一緒に過ごしていた。
でも、左手の抑制具の下で黒い渦は静かに疼き続け、夜になると夢に見るようになった。
漆黒の螺旋がゆっくり回転し、周囲の属性をすべて巻き込んでいく夢。
目が覚めると、手の甲が熱くて、抑制具に細かいひびが入っていた。
「また……か」
俺はため息をつきながら、新しい抑制具を巻き直した。
教官からは「しばらく様子を見ろ」と言われているが、胸のざわつきは日に日に強くなっていた。
その日の放課後、瑠璃がいつものように俺を呼び止めた。
「ちょっと、時間ある?
あなたの刻印の解析をもう少し深くやりたいの。
私の部屋で、精密な水属性分析術式を使えば、抑制具越しでも詳しいデータが取れるはずよ」
彼女の眼鏡の奥の瞳は真剣だった。
俺は頷き、彼女の個室へ向かった。
風属性の寮にある彼女の部屋は、本棚が壁一面に並び、机の上にはいくつもの魔導書と解析道具が整理されていた。
「座って。手をここに」
瑠璃が小さな水晶球のような装置を用意し、俺の左手を乗せた。
彼女の指先から冷たい水の魔力が流れ込み、抑制具を優しく包み込む。
画面に細かい波形が表示され、螺旋の模様がゆっくりと浮かび上がる。
「……やっぱり。
公式のⅡ級表示とは違うわ。
この渦、深層でⅢ級に近い出力が出てる。
しかも、属性干渉の痕跡が……炎や影の残留魔力まで吸収してるみたい」
瑠璃の声が少し興奮気味になる。
俺は自分の左手を見つめながら聞いた。
「つまり、俺の刻印は……普通じゃないってことか?」
「ええ。
少なくとも、稀少刻印に近い可能性がある。
でも、まだデータが足りない。
もっと直接的に……」
彼女が言いかけた時、部屋の扉がノックされた。
開くと、そこに立っていたのは白峰澪だった。
黒髪を肩に流し、制服の袖を軽くまくった姿で、首筋に薄い赤黒い鎖の模様が浮かんでいる。
「邪魔するわよ、眼鏡ちゃん。
……螺旋の持ち主、話があるの」
瑠璃が即座に立ち上がり、水の障壁を軽く展開した。
「どうしてここに?
風属性の寮に影属性の先輩が来るなんて、規則違反よ」
澪は小さく笑い、部屋の中に入ってきた。
「規則なんて、刻印の前では意味がないわ。
……ねえ、あなた。
模擬戦の後から、抑制具が軋んでるんでしょ?
私の鎖で、少しだけ解放してあげましょうか。
あなたの螺旋と私の鎖が共鳴すれば、もっと本当の力がわかるはずよ」
彼女の指がゆっくり伸び、俺の左手に向かう。
瑠璃が慌てて止めるが、澪の鎖が一瞬だけ障壁をすり抜け、俺の抑制具に触れた。
その瞬間——
世界が歪んだような感覚が走った。
手の甲の黒い渦が激しく回転を始め、抑制具がパキパキと音を立ててひび割れる。
澪の赤黒い鎖が螺旋に絡みつき、互いの魔力が激しく混ざり合う。
「っ……あ……!」
澪の瞳が見開かれ、彼女の体が軽く震えた。
「これは……すごい。
あなたの力、私の鎖を……優しく包み込んで、疼きを和らげてる……。
甘い……こんなに安定した魔力、初めて……」
俺の視界も揺れた。
澪の記憶の断片が、洪水のように流れ込んでくる。
暗い実験室、赤黒い鎖に繋がれた幼い頃の彼女、失われた家族の影……。
同時に、俺の刻印が喜ぶように熱くなり、第二螺旋の片鱗のようなものが一瞬だけ浮かび上がった。
瑠璃が叫んだ。
「やめなさい! 両方とも!
共鳴が深すぎるわ……暴走する!」
彼女の水属性の魔力が二人を包み、なんとか鎖と螺旋を引き離した。
俺は息を荒げ、左手を見つめた。
抑制具は半壊し、黒い渦の周りに淡い紫の光が一瞬だけ残っていた。
澪は壁に寄りかかり、頰を赤らめながら微笑んだ。
「ふふ……やっぱり。
あなたは私の鎖を中和できる。
禁忌研究部に来なさい。
そこでなら、抑制具なんて邪魔なものなしで、もっと深く繋がれるわ。
私を……救ってくれるかもしれない」
彼女の声には、いつもの余裕とは違う、切実な響きがあった。
瑠璃が俺の肩を掴み、強い口調で言った。
「行かないで。
あそこは危険よ。
禁忌刻印の研究なんて、失敗したら刻印崩壊のリスクがあるの。
私は……あなたの刻印を、もっと安全に解析してあげたい。
一緒に、普通の学院生活を続けましょう?」
二人の視線が俺に集中する。
俺は混乱しながらも、はっきりと言った。
「俺は……まだ、自分の力が何なのかわからない。
でも、澪の鎖が痛そうだったのはわかった。
瑠璃の解析も、助かる。
……でも、急がないでくれ。
もう少し、学院の授業で自分の力を試してみたい」
澪は静かに頷き、部屋を出て行った。
去り際に、彼女は小さく呟いた。
「いつか、必ず呼ぶわ。
あなたの螺旋は、禁忌の扉を開く鍵よ」
部屋に残された俺と瑠璃は、しばらく無言だった。
瑠璃が眼鏡を外し、珍しく素顔を見せながら言った。
「……バカね。
あんな危ない人に近づきすぎ。
でも……あなたの刻印が、彼女の鎖を和らげたのは本当みたい。
私の水属性でも、あそこまで深く干渉できなかったわ。
あなたは、もっと特別なんだと思う」
彼女の頰が少し赤い。
俺は左手を見つめ、静かに呟いた。
「第二螺旋……?
さっき、一瞬だけ何かが見えた気がした」
その夜、俺は再び夢を見た。
漆黒の螺旋が二つに分裂し、周囲の属性を優しく巻き込んでいく。
夢の中で、澪の鎖が螺旋に絡まり、痛みが少しずつ溶けていく姿が見えた。
同時に、瑠璃の水の光が螺旋を支えている。
目が覚めると、手の甲の渦は確かに少し大きくなっていた。
抑制具は完全に壊れ、教官に新しいものを申請しなければならなかった。
翌朝、風属性の寮に一通の黒い手紙が届いた。
差出人は「禁忌研究部」。
中身には短い文章だけ。
【君の螺旋は、すでに目覚め始めている。
興味があるなら、影属性寮の地下古書室に来なさい。
――白峰 澪】
俺は手紙を握りしめ、窓の外を見た。
学院の空は晴れていたが、遠くの影属性の塔が、まるで俺を呼んでいるように見えた。
瑠璃が朝食の席で俺に近づき、小声で言った。
「行かない方がいいわ。
でも……もし行くなら、私もついていく。
あなたの刻印を、一人で抱え込まないで」
茶髪の少年も笑いながら言った。
「お前、なんか面白くなってきたな!
俺も何か手伝えることあったら言えよ!」
俺は二人の言葉に頷きながら、心の中で決意した。
この学院での本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。
自分の刻印が何を意味するのか。
澪の鎖をどう救うのか。
瑠璃とどんな絆を築くのか。
すべては、これから。
手の甲の黒い渦が、朝の光の中でゆっくりと回転を始めた。
第二螺旋への道が、静かに開かれようとしていた。
(第5章 終わり)




