嫁入り前の下心
【お知らせ】
初回投稿時に一話抜けていたため、『誤解の火種』を途中に追加いたしました。
すでに先の話までお読みくださった方は、お手数ですが、そちらもご覧いただけますと幸いです。
申し訳ありませんでした。
窓の外を、見慣れた王都の街並みが流れていく。立派な邸宅が並ぶ通りを、馬車はゆっくりと北東へ進んでいた。
(ヴォルフ様……どんな方なのかしら)
心地よい揺れに身を委ねながら、私はこれから夫となる人に思いを馳せていた。
三日前。ユリウス様から「嫁ぎ先が決まった」と告げられたときは、さすがに耳を疑った。いくらユリウス様の紹介とはいえ、あまりにも突然すぎる。
けれど、私ももうすぐ二十歳になる。いつまでも家にいるわけにはいかないし、両親やアルベルト兄様が私の縁談にずいぶんと頭を悩ませていることも知っていた。
これまで散々好き勝手を言って縁談を断ってきたのだ。そろそろ私も、少しくらいは譲歩すべきなのかもしれない。
それに、ユリウス様があれほど薦めてくださるのだから、きっと素敵な方なのだろう。伯爵家の出で身分は申し分ない。騎士団長という立派な役職にも就かれている。真面目で、部下からの信頼も厚いという。
そう。何も問題はない。むしろ、これほど条件の整った縁談を断る理由のほうが見つからないくらいだ。
そして、たまたま。
本当にたまたま、その方が、ちょっとやそっと鍛えたくらいでは到底辿り着けないほどの、立派な筋肉をお持ちだというだけで。
胸板は厚く、二の腕は逞しく、太ももに至っては馬にも負けないほどだというだけで。
あと、背中も広くて大変素晴らしいらしいけれど。
もちろん、それはあくまで付随的な情報にすぎない。
(そうですわ。私はあくまで、侯爵令嬢として……しぶしぶ……ええ、しぶしぶ承諾しただけですもの!)
そっと視線を窓の外に移せば、いつの間にか街並みが変わっていた。道の両側には変わらず立派な邸宅が並んでいるものの、屋敷同士の間隔は広くなり、人通りもずいぶん少ない。ヴォルフ様のお屋敷までは、もうそう遠くないはずだ。
それにしても、嫁入りにしてはあまりにも急な話ではないだろうか。本来なら、両家への挨拶だの、式の日取りだの、もっとあれこれあるはずなのに。
なんでもヴォルフ様は、すぐにでも邸に住んでくれる人を希望していたらしい。ユリウス様も、「細かいことは住んでから二人でゆっくり決めればいい」と、ずいぶんあっさりしたものだった。
(結婚って、こんなに簡単に決めてしまっていいものなのかしら)
当然、嫁入りの支度だって大急ぎだった。本来なら侍女のセシルも一緒に来るはずだったのだけれど、さすがに三日では荷物の準備まで間に合わない。そこで、ひとまず私だけ先に邸へ向かい、セシルには荷物と一緒にあとから来てもらうことになった。
(いよいよですわね……)
聞けば、ヴォルフ様は筋肉はもちろん、顔立ちもなかなか整っていらっしゃるらしい。それでいて、身分も経歴も申し分ないのだから、本来ならば引く手あまたでもおかしくない。
ただひとつ、この国で好まれる華奢な美男子とは、少々……いや、かなり方向性が違うというだけで。つまり、ヴォルフ様がモテないのではない。時代がヴォルフ様の魅力に追いついていないだけなのだ。
(そんな筋肉紳士が、今まさに私の夫に!?)
膝の上のスカートをぎゅうっと握りしめ、どうにか声を上げるのを堪える。
こんなとき、隣にセシルがいないのがなんとも惜しい。彼女が一緒なら、今ごろ二人でひとしきり盛り上がっていたことだろう。
(それに……)
『ヴォルフは、女性慣れしていないから』
ユリウス様が何気なく漏らしたひと言が、不意によみがえる。そのときの私は、さして気にも留めていないふうを装っていたけれど。
(そっ……そうなんですのねっ!)
実を言えば、それもかなりの好印象だった。浮ついた殿方より、女性に不慣れなくらいのほうが、私にはずっと好ましい。私だって、殿方とのお付き合いには慣れていないのだ。これから二人で、少しずつ距離を縮めていけばいい。
(も、もももちろん! 心の! 心の距離ですわよ!)
なんだか急に落ち着かなくなって、膝の上で組んだ指を何度も組み直す。
(ま、まあ? そりゃあ物理的な距離だっていずれは……)
夫婦になるのなら、手をつないだり、抱き合ったりすることもあるだろう。ということは、ユリウス様が「人型の要塞」と評した、その逞しい身体に包まれることも……。
(い、いえいえいえっ! そんなの、まだまだ先のお話ですわっ!)
慌てて首を横に振る。まだお会いしたことすらないのに、何を考えているのだろう。そう。まずはヴォルフ様と仲良くなることが先決だ。
(で、でも……ちょ、ちょっとだけ……筋肉には、触れさせていただけたりするのかしら……?)
途端に、心臓が跳ねた。
(い、いえ、もちろん変な意味ではなくて! ただ、この手で確かめてみたいだけですわ!)
服の上からでも構わない。ほんの少し、腕に触れるくらいなら許されるのではないだろうか。
(夫婦になるのですもの。それくらいは……いいですわよね?)
馬車が、ゆるやかに速度を落とした。




