メイドを頼んだはずなのに
「は!? 今なんて言った?」
ユリウス殿下が手にしていた羽ペンの先から、ぽた、とインクが書類に落ちる。相変わらず、この人は。王太子ともあろうお方が、こうも易々と感情を表に出してどうする。
「ですから。若い女性をひとり、紹介していただきたいと申し上げたんです」
もう一度繰り返すと、殿下はその宝石のような美しい瞳を、これでもかとばかりに見開いた。しかも、後ろに控えるアルベルトまで、なぜかあんぐりと口を開け、危うく重ねた書類を落としかけている。
(そんなに驚くようなことか?)
俺が殿下の執務室を訪れたのは、定例の報告書を届けるためだった。要件はすぐに済み、退出しかけたところでふと思い出して、メイド探しの相談を持ちかけた。だが、まさかこんな反応が返ってくるとは思っていなかった。
「できれば、すぐにでも邸に住んでくれる人がいいのです」
痛そうに腰をさすっていたマチルダの姿が脳裏をよぎり、俺はそう付け加えた。
「す、住むっ!? すぐにっ!?」
椅子がガタリと鳴る。殿下がわずかにのけ反ったかと思えば、首に仕掛けでも入っているのかと思うほどの勢いで、アルベルトを振り返った。
「おい、アルベルト。これ……どう思う?」
「……ええ、驚いております。いや……でも、これはなかなか……」
二人は何やらこそこそと話し出す。しかも時折、ちらっ、ちらっとこちらを窺ってくるものだから、どうも居心地が悪い。
ひょっとして俺は、何かとんでもなく失礼な申し出をしてしまったのだろうか。いつだったか、副団長が殿下にメイドを紹介してもらったと言っていたから、それを真似ただけなのだが。
殿下は「コホン」と咳払いをすると、妙に真剣な顔で俺に向き直った。
「ヴォルフ、お前、いくつだった?」
「は? はあ、二十八ですが……」
つい、返事が尻すぼみする。相手は殿下だ。聞かれて答えないわけにはいかないが、メイドを雇うのに俺の年齢が何か関係あるのだろうか。
「うん。丁度いいな。年の希望はあるのか?」
「は? 年? それは、まあ……若い方がいいかと」
「わ、若い……!? 意外だな……」
「は?」
「いや、なんでもない」
昨日、たしかマチルダは「若いメイドを」と言っていた。広い屋敷を掃除してもらうんだ。力も必要だし、若いに越したことはないだろう。
「で、相手の身分は問わないな?」
「身分ですか? はい。それは別に……」
「伯爵家の次男。騎士団長で、部下の信頼も厚い。王都に邸宅あり。家柄よし、経歴よし。顔だって、少し無骨だがまあまあ……」
殿下はぶつぶつと呟いていたが、やがて何度も小さく頷き始めた。
「……うん。うん。うん!」
最後には、勝利を確信したかのような晴れやかな顔で立ち上がる。
「問題は筋肉だけだな!」
「は!?」
叫ぶや否や、殿下は風を起こしそうな勢いで執務机を回り込んできて、俺の腕をむぎゅっと掴んだ。
「ふむ、この盛り上がり。申し分なし!」
続いてその場でしゃがみこむと、骨董品でも鑑定するかのごとく目を細め、太ももを撫で始める。
「これは……爆発力に満ちた大腿部っ!」
「で、殿下!? 何をしているのですか!?」
「ちょっと脱いでくれ! いや、上だけでいいから!」
「脱げるかっ!」
思わず声を荒げる俺をよそに、殿下は満面の笑みで親指を立てた。
「よし! 条件は全て満たした!」
「はあ!?」
(だから、何の条件なんだよ!)
まさか、メイドを紹介してもらうのに筋肉の審査があるのか? いや、どんなメイドを送り込むつもりなんだ。
殿下はすっくと立ち上がると、嬉々としてアルベルトを振り返る。
「なあ、レゼはどう思うかな?」
「そうですね……おそらく、快諾するかと」
何を思い浮かべたのか、アルベルトは苦笑まじりに小さく肩をすくめた。どうやらアルベルトも、そのメイドのことはよく知っているらしい。
「よしっ、決まりだ!」
殿下はその勢いのまま執務机へ戻ると、引き出しから一枚の書類を取り出し、さらさらと何かを書き込み始めた。
「ヴォルフ、ちょっとこれにサインしてくれ」
「何の書類ですか?」
「心配するな。形式的なものだ」
「はあ」
訝しく思いながらも、殿下があまりに堂々としているものだから、こちらが細かく尋ねるのも気が引ける。しかもアルベルトまで、当然とばかりに頷いているではないか。
「まあ、手間が省けるなら助かります。レゼ、というのが紹介してくれる娘の名前ですか?」
「そうだ。とてもいい子だぞ。な、アルベルト?」
「そうですね、ちょっと変わり者ではありますが……信頼はできます」
信頼、か。使用人の紹介にしてはずいぶん熱の入った口ぶりだが、ユリウス殿下とアルベルトの推薦なら、悪い話ではないだろう。
俺は書類を受け取ると、言われるままにサインした。殿下はそれを両手で掲げ、満足げに頷く。
「じゃ、いつからお前の家に行けるかは、レゼに確認してまた連絡するから!」
「はあ。よろしくお願いします」
色々と腑に落ちない点はある。紹介のはずが、なぜかこちらのことばかり質問されたし、何より殿下とアルベルトがやたらと嬉しそうだったのが気になる。
だが、あの王子の考えなど昔から読めたためしがない。結局のところ、ちゃんと働いてくれる娘なら誰でもいいのだ。
◇ ◇ ◇
屋敷に戻ってすぐ、俺はマチルダを呼んでその旨を伝えた。
「というわけで、近々若い女性がひとり来るらしい」
「まあっ! 本当ですか坊ちゃま!」
マチルダは、その場でステップでも踏み出しそうな喜びようだ。
「王太子殿下が紹介してくださるって?」
「ああ。信頼できる子らしい」
「まあまあまあ、ありがたいことですね。これで腰も少しは休まります」
そう言って、マチルダは自分の腰をポンと叩く。その勢いを見るかぎり、もうすっかり治っているんじゃないかと思うのだが。
「どの部屋を使わせるか、決めておかないとな」
「そうですわね。西棟の使用人部屋は窓の鍵が壊れておりますので、空いている来客用のお部屋にでも」
「客間を使わせるのか? 使用人なのに?」
「だって、紹介してくださるのが殿下でしょう? 最初の印象が大事ですから。きちんとした部屋でお迎えしませんと」
なるほど、さすがマチルダだ。俺だけじゃきっとそこまで気が回らなかった。この乳母がそれだけ気合を入れているのなら、任せておいて問題ないだろう。
「どんな子なんですかねえ。明るい子だといいですけど」
「さあな。殿下もアルベルトも細かいことは仰っていなかった。名前はたしか……レゼと言ったか」
「レゼ? あら、可愛らしい響き。楽しみですわ!」
マチルダは早くも、客間のシーツを替えるだの、花を飾るだのと指折り数え始めた。そのまま、いそいそと部屋を出ていく。
これだけ喜んでいるなら、頼んだ甲斐もあったというものだ。これでしばらくは、俺への小言もひとつ減るだろう。




