お忍び視察で火に油
「では、参りましょうか。ヴォルフ様」
麗らかな午後の日差しの中、俺とアメリア姫は、古い街並みの残るひっそりとした裏通りで馬車を降りた。
アメリア姫の装いは、朝の煌びやかなドレスとは打って変わって、落ち着いた生成り色のワンピースに羽織を重ねたものだ。長い髪はその美しさを隠すかのように低い位置でまとめられ、麦わら帽子を目深にかぶっている。どこからどう見ても、街へ買い物に出かける町娘――と言いたいところだが。
(やはり、育ちのよさというものは隠せないんだな……)
立ち居振る舞いににじむ気品ばかりは、どうしようもないらしい。
そして俺も、いつもの騎士服ではなく、麻のシャツに濃い灰色のズボン、軽装の上着という出で立ちだった。腰には剣を下げているが、鞘は目立たない黒いものに替えてある。歩き出した姫の斜め後ろにつくと、ほどなくして姫が振り返った。
「ヴォルフ様、それでは護衛だと丸わかりですわ」
「……失礼しました」
「ふふっ。今日はわたくしたち、買い物に来た町娘とその連れなのですから。そうですわね……幼い頃からの知り合いで、久しぶりに一緒に街へ出かけた、ということにいたしましょう」
(なんだその細かい設定は……)
とはいえ、文句など言えるはずもない。俺は無言で姫の隣に並び直した。
視察は、おおむね順調に進んだ。裏通りを抜けて商業区に入ってから、すでに一時間。その間に俺たちは十軒ほどの店を訪れていた。
姫はどの店でも店主の話に熱心に耳を傾け、商品の仕入れ先や売れ行き、商売をするうえでの苦労など、さまざまなことを尋ねていた。特に気にかけていたのは、物価の変動が市民の暮らしに与える影響だ。何気ない世間話を装いながら、商人たちの本音を引き出すのがうまい。
そして店を出たあとは、商人への支援制度や税の仕組みなど、この国の施策について俺に質問を重ねた。自国との違いにも関心があるらしく、ときには俺の意見まで求めてきた。もっとも、専門外の俺はたじたじだったが。
(なるほど。王女としての務めを、よく心得ているらしい)
民の暮らしを知って、それで終わりではない。そこで聞いた声を、今後の国政にどう活かしていくか。その先まで考えているのだろう。
(なかなか立派な姫君じゃないか)
アメリア姫が俺を見て首をかしげる。
「どうかされましたか?」
「……いえ」
口にしていいものか少し迷ったが、素直に感心したことくらいは伝えてもいいだろう。
「姫のような方がいらっしゃるなら、リュクスハルトは安泰だなと」
「まあ! ヴォルフ様に褒めていただけるなんて、光栄ですわ!」
姫はぱっと顔をほころばせた。
「ふふっ。今日、こちらへ来て本当によかったですわ」
その頬がほんのり赤く染まっているのを見て、俺は少しばかり返答に困った。
(……余計なことを言ったか?)
その後も何軒か店を回り、予定していた視察を終えた俺たちは、馬車を待たせてある裏通りへと向かっていた。姫はよほど満足したのか、帰り道も上機嫌だ。
通りの先から、男が酒瓶を手にふらつきながら近づいてくるのが見えた。昼間からずいぶん飲んでいるようだ。真っ赤な顔で、何やら喚き散らかしている。
(酔っ払いか)
さりげなく姫と場所を入れ替え、男の動きに注意を向ける。だが、どうやらそれが癇に障ったらしい。
「なんだぁ? 俺には近づくなってか?」
男は不機嫌そうに顔をしかめたが、俺の隣にいる姫に気づくと、品定めするようにじろじろと眺め始めた。やがて、にやりと口元を歪める。
「姉ちゃん、なかなかの別嬪じゃねえか。なあ、俺と一杯付き合ってくれよ」
男が姫に近づこうとしたところで、俺は一歩前に出て姫を背にかばった。お忍びの視察で騒ぎを起こすわけにもいかない。面倒だが、ここは穏便に済ませたいところだ。
「悪いが、連れがいるんでな。他を当たってくれ」
「ああ? なんだ、てめえは。邪魔すんじゃねえよ!」
途端に標的が俺へと変わる。この体格差で敵うはずもないだろうに、こちらを睨みつけながら俺の胸ぐらを掴んできた。
(やれやれ、だ)
俺はひょいとその手を引き離し、そのまま手首をぐっと握り込む。男の目をまっすぐ見据え、低く告げた。
「やめておけ」
「は、離せよ、この野郎!」
男は腕を振りほどこうと暴れたが、俺が手を緩めないとわかると顔を引きつらせ、次第に勢いをなくしていく。すっかり大人しくなったところで、手を離してやった。
「……ちっ、なんだよ。もういいよ!」
最後に捨て台詞をはき、男はふらふらと去っていった。
(まったく、人騒がせな奴だ)
「お怪我はありませんか?」
「え、ええ……」
アメリア姫は俺の袖をきゅっと掴み、浅く呼吸を繰り返している。薄い肩も、心なしか小刻みに震えていた。酒で気が大きくなっただけの大した男でもなかったが、市井に出ることの少ない姫にとっては、それでも一大事だったのだろう。
「怖い思いをさせてしまいました。俺がいながら申し訳ありません。どこかで座って休まれますか?」
「ヴォルフ様……」
「はい」
「ああっ! ヴォルフ様! 素敵でしたわ!」
「はい!?」
アメリア姫は両手でがしっと俺の腕を掴むと、顔いっぱいに笑みを広げて俺を見上げてきた。
「あの時と同じですわね! 野犬から助けてくださった時と! またこうして、ヴォルフ様がわたくしを守ってくださるなんて……!」
「ひ、姫?」
「まるで夢のよう! いえ、これはもはや運命ですわ!」
頬を紅潮させ、きらきらと目を輝かせる姫を見て、ようやく合点がいった。
(怖くて震えていたわけじゃなかったのかよ!)
「と、とにかく、お怪我がなくて何よりです。そろそろ馬車へ戻りましょう」
姫があの思い出を妙に大切に思っていることを知っているだけに、この流れはあまりよろしくない。殿下は「数日過ごせば百年の恋も冷める」などと笑っていたが、これ、逆に火がついてないか?
(いかん。さっさと帰ろう)
俺は姫を促すように、馬車の待つ方へ体を向けた。ところが、なぜか姫が俺の腕にしがみついたまま、動こうとしないのだ。
「ヴォルフ様。あの……わたくし、なんだか今になって急に怖くなってきてしまいましたの。馬車まで、手をつないでいただけませんか?」
「は? 手を、ですか?」
「ええ……」
姫が心細そうに眉を下げる。
(いやいや、さっきまで、運命だとか言って喜んでいたじゃないか!)
とはいえ、怖い思いをしたこと自体は事実だ。本人がそう言う以上、頭から疑うわけにもいかない。おまけに城を出る前には、俺の振る舞いひとつで国際問題にもなりかねないと、ユリウス殿下やアルベルトから散々釘を刺されている。
(まったく、こういうときは騎士団長という肩書きが恨めしい……)
通りの先に小さく見える馬車へ目を向ける。あとせいぜい数百メートルというところか。
「……わかりました。馬車までですよ」
「ええ! ありがとうございます!」
姫はたちまち顔を輝かせ、嬉しそうに俺の手を取る。
「ふふ。ヴォルフ様の手、大きくて頼もしいですわあ」
(やっぱり怖がってないだろ、これ……)
即座に後悔したが、時遅しだ。
姫を連れて歩き出すと、遠巻きに見守っていた騎士たちが一斉にぎょっとした顔を向けてきた。よく見れば、姫が一方的に俺の手を握っているだけだとわかるはずだが、なんとも居心地が悪い。
(はぁ……。城に戻ったら、まさかこのことも報告しなきゃならんのか?)
目測を誤ったのだろうか。馬車までの道のりがやたらと遠い。いっそ姫を担いで走って、今すぐ乗り込みたいくらいだ。
「本当に、先ほどのヴォルフ様はカッコよかったですわ〜」
「…………はあ、どうも」
(ん?)
ふと、アメリア姫の言葉が引っかかる。昨夜俺は、これとは真逆のことを頼まれた気がするからだ。
(…………)
隣を見れば、姫は相変わらず上機嫌で、俺の手を握って歩いている。
(あ……これはもしや……)
俺の肩に乗っていた、妙にしょんぼりした小さな頭の重みが蘇った。
(なかなかマズかったのでは……?)




