手を取って、愛を囁いて
城へ戻ると、俺はさっそくユリウス殿下に本日の視察について報告した。姫が訪れた店や商人たちとのやり取り、そして帰り際に酔っ払いに絡まれた一件まで、ひと通り話して聞かせる。
国は違えど同じ王族として、姫の視点には関心があるのだろう。殿下は終始熱心に耳を傾けていた。
「――以上です。姫も大変喜ばれていました」
そう締めくくると、満足そうに頷いた。
これで報告は終わりだが、なぜか殿下は机の上で手を組んだまま、じっと俺の顔を見つめる。
「ふうん。報告はそれだけか?」
「はい。以上です」
「本当に?」
「は?」
つい先ほどまで、頼もしい王太子の顔で報告を聞いていたはずなのに。面食らう俺を見て、その顔が一転、悪戯を思いついた少年のものになる。口元がにんまりと弧を描いた。
「いやあ、アメリア姫と仲よく手をつないで帰ってきたって報告も受けてるんだけど?」
「なっ!? いや、それは……!」
(おい! 誰が報告したんだ、誰が!)
別に隠すつもりはなかったが、わざわざ報告するまでもないと判断したまでだ。まさか、護衛の騎士たちの中にお喋りなやつがいるとはな。
「なーんか驚きだなあ。まさか既婚者のお前が、他の女性と手をつなぐなんてさあ」
「ええ。私も兄として、レゼの気持ちを考えると、とても今夜は眠れそうにありません」
殿下の後ろでは、アルベルトが痛ましげな表情でそっと口元を押さえている。
「いや……っ! ち、違う! 怖がった姫に頼まれただけで! 馬車までのほんの数百メートルですよ!」
「……ぷっ」
アルベルトがたまらず俯き、肩を震わせ始めた。
「おい、アルベルト。お前笑うな……!」
それを見た殿下まで、堪えきれないとばかりに声を上げて笑い出す。
「悪い悪い! ちょっとからかっただけだ。どうせアメリア姫に押し切られたんだろ? お前が自分から手をつなぐわけないもんな」
「わかっているなら、からかわないでください!」
「ははっ、すまん!」
殿下はひとしきり笑うと、笑みを残したまま肩をすくめた。
「まあでも、姫のことはちょっと厄介だな。お前、ますます惚れさせてどうすんだよ」
「……俺にどうしろと?」
「いや、だからって助けないわけにもいかないしなあ……。まあ、まだ初日だ。そのうち姫がお前に愛想を尽かしてくれることを祈るしかないな」
「それなら簡単ですよ。いつも通りのヴォルフでいればいいだけですから」
アルベルトが、しれっと割り込んでくる。
(こいつら……他人事だと思いやがって)
「まあ、ともかく今日はご苦労だったな。レゼも待ってるだろうし、もう帰っていいぞ。あ、さっきの件は、わざわざレゼに話して心配させる必要もないからな」
「殿下、そのことなんですが……」
「ん?」
「テレーゼ嬢には、俺から話しておこうかと」
「……へ? 話すってお前、アメリア姫と手をつないだこともか?」
「はい。街中でのことですし、どこから話が伝わるかわかりませんから。変に他から耳に入って妙な誤解をされるよりは、先に説明しておいた方がいいでしょう」
部屋が水を打ったように静まり返る。
(……なんだ?)
別におかしなことを言ったつもりはない。テレーゼ嬢が余計な心配をせずに済むなら、それでいいと思っただけだ。なのにユリウス殿下もアルベルトも、まるで逆立ちする馬でも見たかのような顔で俺を見ているではないか。やがて殿下は、驚きを隠せない様子で口を押さえた。
「うっわ、アルベルト! 今の聞いたか?」
声を張り上げ、嬉々としてアルベルトを振り返る。
「ヴォルフはレゼに誤解されたくないんだってさ!」
「ええ、ええ。俺の知ってるヴォルフなら、『任務なんだからどう思われようと構わない』で済ませていたはずなんですけどねえ」
普段の澄ました顔はどこへやら、アルベルトも目を輝かせて何度も頷いている。
「いや〜、お前もレゼのことは嫌いじゃなさそうだとは思ってたけどさ! てっきりレゼの一方通行かと思ってたぞ? 何だよ、お前、本当はけっこうレゼのこと好きなんじゃないか!」
「ち、ちが……いや、違います。そんなんじゃ……!」
慌てて否定したものの、二人は生温い目を向けてくるばかりだ。
「照れるな照れるな。お兄さまはちょっと安心したぞ」
アルベルトが、大げさに胸を撫で下ろしてみせた。
(クソっ……こいつら)
「ま、そういうことなら、ちゃんとレゼに説明してやれ。ただし、姫の気持ちについては伏せとけよ。姫だって、今のところ何かするつもりがあるわけじゃなさそうだしな」
「わかっています」
俺は一礼すると、さっさと執務室をあとにしようとした。
「あっ、待て待て! ヴォルフ!」
「はい? まだ何か?」
こっちはこの面倒な二人の前から一刻も早く立ち去りたいというのに、殿下はわざわざ立ち上がってまで俺を引き止める。なにかよっぽどのことを言い忘れたのだろうか。
「いいか? レゼに説明するときはな、ただ事情を話すだけじゃダメだぞ? ここはひとつ、男らしくビシッと決めてやれ!」
「はあ?」
「まずはレゼの手を取る! そして、真っ直ぐ目を見つめてだな!」
殿下がアルベルトの前まで歩み寄ると、アルベルトもすぐさま立ち上がり、殿下に手を差し出す。演技なのかなにか知らんが、そのうっとりとした顔はいらないだろ。
「『俺が本当に握りたいのは君の手だ! 好きだよ、テレーゼ!』」
「『まあっ! ヴォルフ様! うれしい♡』」
「なっ……!?」
アルベルトもノリノリでテレーゼ嬢になりきっている。兄妹だけあって顔立ちがほんのり似ているのが、そこはかとなく忌々しい。
「どうだ!? これならレゼもイチコロだろ!?」
アルベルトの手を握ったまま、ユリウス殿下が得意満面でこちらを向いた。
「何を言ってるんですか! あの、もう帰っていいでしょうか?」
「いやいやいや! そこは照れてる場合じゃないって! なあ、アルベルト!」
「ええ、まったくです。せっかくですから、最後にぎゅっと抱きしめてやるのもいいんじゃないですか? あいつ、一度でいいから分厚い筋肉に包まれてみたいって言ってましたし」
「それだ!」
殿下はアルベルトの手をぱっと離すと、大きく手を打った。
「ヴォルフ! お前にはその立派な筋肉があるじゃないか! 手を握って、愛を囁いて、最後は熱い抱擁! 完璧だ!」
さすがにアルベルトに抱きつくのはやめたらしい。胸の前で両腕を交差させ、自分の身体をぎゅっと抱きしめるようにして悦に浸る。
(俺は……いったいさっきから何を聞かされてるんだ)
「というわけで、だ」
ひとしきり騒いで満足したらしい殿下が、くるりとこちらを向いた。腕をほどき、親指でくいっとアルベルトを示す。
「お前もアルベルトで練習しとくか?」
「失礼しますっ!」
即座に踵を返し、執務室をあとにした。




