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勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした【改稿版】  作者: エス
第三章 団長、モテ期突入

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ラベンダーの誘惑

 夕陽を受けた黒鹿毛の背に、赤褐色の艶が浮かんでいる。こちらの気も知らず、愛馬はゆったりと首を揺らしながら、いつもと変わらぬ足取りで屋敷への道を進んでいた。


(……疲れた)


 首筋を軽く撫でてやると、ぴくりと耳を動かす。慣れ親しんだ毛並みの感触に、少しだけ心がほぐれる気がした。


 ――あのあと、アメリア姫は何事もなかったかのように俺たちを見回し、茶の誘いを丁重に断って自室へ戻っていった。


 そして、部屋に残された俺たちの空気といえば、それはもう最悪だった。


 扉が閉まるや否や、アルベルトが目を剥いて「レゼになんて言うんだよ!」と詰め寄ってきた。その隣でユリウス殿下はバツが悪そうに「ヴォルフ、なんか……ごめんね?」だと。だが、そもそも事の発端は十年以上も前の出来事だ。今さらどうこう言ってもしょうがない。


 結局、ユリウス殿下から「アメリア姫の件は、当面レゼには伏せておくこと」と命じられ、話はそこで打ち切られた。ただでさえ厄介な状況だ。これ以上話をこじらせたくないし、何よりテレーゼ嬢に余計な心配をかけたくない、ということらしい。


「まあでも……お前と数日一緒に過ごせば、その無骨さに百年の恋も冷めるかもしれないし? 希望はあるよ、うん」


 最後にはそんな冗談まで飛ばしていたが、当然、笑えるはずもない。俺とアルベルトが揃って睨みつけると、ユリウス殿下はようやく口をつぐんだ。


 とはいえ、殿下の言うこともあながち間違いではない。どうせ姫の中で思い出がずいぶん美化されているだけだろう。だが、ああも堂々と好意を告げられては、やりにくくてしょうがない。


(……はあ)


 明日から始まる姫の護衛任務を思うと、すでに胃のあたりがしくしく痛い。


 そんな俺の気持ちを察したのか、愛馬が小さく鼻を鳴らした。


 屋敷に到着し、愛馬を厩舎へ戻して玄関へ向かう。扉を開けると案の定、今日もテレーゼ嬢がにこにこと俺を出迎えていた。


「お帰りなさいませ! ヴォルフ様」


「……ただいま」


 この子は、俺が帰ってくるだけで、どうしてこうも嬉しそうなんだか。外套をハロルドに渡して、自室へ向かう。


「それで、そのいただいたお菓子がものすごく美味しかったんですの! ヴォルフ様の分もちゃんと残してありますわよ!」


 夕飯のときにでも話せばいいものを、俺の横をミツバチのようにちょこちょことついてきながら、今日の出来事を次から次へと話して聞かせるのも、すっかり見慣れた光景だ。


「……そうか」


 それが嫌なわけではない。むしろ、彼女があまりにも楽しそうに話すものだから、こちらもつい相槌を打ったり、質問をしたりしてしまう。


 ただ、今日に限っては、どうにも彼女の笑顔をまっすぐに見られなかった。



   ◇ 



 眠れなかった。


 仕方なく階下へ降り、人気のないキッチンで湯を沸かす。戸棚から適当な茶葉を取り出し、ポットに放り込んだ。


(……こういうのも、久しぶりだな)


 ふと、辺境での詰所暮らしを思い出す。ポットとカップをトレイに乗せ、足音を忍ばせて談話室へ向かった。


 ほのかな明かりだけが灯る談話室は、しんと静まり返っていた。ソファに腰を下ろし、カップから立ちのぼる湯気をぼんやりと眺めていると、何度目かわからないため息が漏れた。


「ヴォルフ様?」


 聞き慣れた声に振り向く。扉からテレーゼ嬢がひょっこりと顔を覗かせていた。


「眠れなくてお水を飲みに来ましたの。灯りがついていたので覗いてみたら……ふふっ、幸運でしたわ! ヴォルフ様がいらっしゃるなんて!」


 夜更けだからか声はひそめているものの、その表情には嬉しさが隠しきれていない。


「ご一緒してもよろしいですか?」


「あ、ああ……」


 テレーゼ嬢はそっと扉を開け、ぱたぱたと小さく室内履きを鳴らしてこちらへ駆け寄ってくる。少しだけ迷って、一人分ほど端へずれてやった。


 てっきり隣に座るものと思っていたが、なぜか彼女は俺の前でぴたりと足を止めた。


「ヴォルフ様? これ、いかがでしょう?」


「ん? 何が……なっ――!?」


 彼女の声に顔を上げたものの、弾かれたように上半身ごとそっぽを向き、ぎゅっと目を瞑る。理解が視覚に追いついたとたん、顔がかっと熱くなった。


「そっ、それは……っ! 何か羽織らなくていいのかっ!?」

 

「え? むしろヴォルフ様に見ていただきたいんですのよ?」


(なんでだよ!)


 ほんの一瞬しか見てないが、テレーゼ嬢が着ていたのは、薄紫色のやたらひらひらしたドレスだった。しかも、普段のドレスとは違って、ものすごく頼りないというかなんというか……。胸元もずいぶん……その……開いていたような……。


「このドレス、ヴォルフ様に買っていただいたものですの。すごく気に入ってますのよ! こんなに綺麗なラベンダー色、なかなかありませんもの!」


「俺が買った!?」


「ええ♡」


(ど、どういうことだ!?)


 混乱する頭で必死に記憶を辿る。

 

(……って、あの時か!)


 そういえば、王都のあの店で聞かれて、薄紫色の方を指差した覚えがある。いや、でもまさかこんな代物だったとは思わないだろう!?


「ふふっ。セシルが『ヴォルフ様って意外とこういうのがお好きなんですね』なんて驚いていましたけど、わたくしはとっても可愛いと思いますわ!」


(ち、違うっ! 俺が選んだが、そうじゃない!)


「ヴォルフ様は、どう思いますか?」


「ど、どうって……」


 顔を背けているというのに、なぜだ。俺の返事を待つテレーゼ嬢の期待が、ひしひしと伝わってくるではないか。


(……ままよ!)


 そろそろと顔を戻し、薄目を開けると、テレーゼ嬢は得意げにくるりと回ってみせた。


 繊細なレースをふんだんにあしらったそのドレスは、袖も裾もふんわりと広がっていて、確かに可愛らしい。テレーゼ嬢にもよく似合っていた。


(だが、やっぱり胸元が開きすぎじゃないか、それ!?)


「あ、ああ……その……よく、似合っている……と思う」


「まあっ! 本当ですの!? ありがとうございます!」


 満足したらしいテレーゼ嬢は、にこにこと俺の隣へ腰を下ろした。


 目の前から彼女がいなくなり、ひとまずほっとしたのも束の間。何気なく隣に目をやって、ぎょっとする。


 近くで見ると、思っていた以上に生地が薄い。袖なんて白い腕が透けて見えるし、何よりこの角度はまずい! 胸元が!


「ヴォルフ様? また腕を組んでもよろしいですか?」


「いっ……今!?」


「ええ。いけませんか?」


 無邪気な目で見上げられ、どっと汗が噴き出した。


(いけないわけじゃない! いけないわけじゃないが……今は状況が違うだろう!?)


 たまらず視線を横へ逃がすと、まさに天の助け。ソファの背もたれに掛かったブランケットが目に飛び込んでくる。


「さっ、寒くないか?」


 俺はすかさずそれを引っ掴み、テレーゼ嬢の肩に掛けた。だが、それでは俺が一番隠したいところが隠れないことに気づき、さらにぐるぐると巻きつける。


「ヴォルフ様? これでは腕が組めませんわ」


「ぐっ……」


 確かにその通りだった。そのうちもぞもぞとテレーゼ嬢の肩が動き出したので、慌ててブランケットの端を押さえ、観念して白状した。


「…………すまん……その……目のやり場に困って……」


 我ながら、なんと情けない。


 テレーゼ嬢はぱちくりと目を瞬かせていたが、やがてブランケットに包まったまま、ゆっくりと自分の胸元を見下ろす。


「……困るほどありませんわよ?」


「そういう問題じゃないっ!!」


(なんでそんなに無防備なんだ! 勘弁してくれ!)


 いっそこのまま、あと百回くらいぐるぐる巻きにしてやりたい。思わず深々とため息が漏れた。


 だが、そんな俺の気も知らず、テレーゼ嬢は何やら考えたのち、すぽすぽと両腕だけをブランケットから出して、俺の腕にくっついてきた。


「ふふっ。なら、これで解決ですわね?」


「…………そうだな」


 こてん、とテレーゼ嬢が俺の肩に頭を預けてくる。さっきまでの俺なら間違いなく動揺していたところだが、今はもう、そんな気力すら残っていなかった。もはや何が起きようと動じる気がしない。


「ヴォルフ様?」


「ん?」


「その……お姫様は……やっぱりお綺麗な方でしたか?」


(なっ!?)


 前言撤回。何が動じる気がしないだ。体はあっさりと俺を裏切り、心臓がバクバクと暴れ出す。なぜ今ここで、よりにもよってその話題を持ち出す? 誰かに何か聞いたのか!?


 いや、きっと彼女は深い意味があって聞いているわけではないはずだ。ちらりとテレーゼ嬢の顔を窺ったが、あいにく表情までは読み取れなかった。とりあえず当たり障りのない返事をしておくのが吉だろう。


「……ああ。まあ……綺麗な人だったな」


「そうなんですね……」


 テレーゼ嬢の声は、いつになくしゅんと萎んだように聞こえた。


「……ヴォルフ様?」


「……なんだ?」


「もし姫様が暴漢に襲われたとしたら……あまりカッコよくない感じで助けてくださいませ」


「は? 暴漢? いきなり何の話だ?」


「いえ、こちらの話ですわ」


 そう言って、彼女は俺の腕をきゅっと抱きしめた。


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