恋の伏兵現る
「おや、姫は我が国の騎士団長とお知り合いでしたか?」
沈黙を破ったのは、ユリウス殿下だった。たとえ興味がなくとも、関心があるように振る舞う。貴族同士の会話ではよくあることだ。当然、アメリア姫も殿下の問いかけを単なる社交辞令だと思っていることだろう。
だが、さすがに姫はここまではわかっていまい。この王子が、本当は心の底から興味津々なのだということを!
なにしろ、あの目はどうだ。どう見ても「なに? なに? 二人はどんな関係?」と叫んでいるではないか。
(この浮かれ王太子が!)
ユリウス殿下の思惑など知る由もなく、アメリア姫はほんのり頬を染め、嬉しそうに頷く。
「ええ。もうずいぶん昔のことですけれど、わたくしがまだ七つか八つの頃でしたわ。この国を訪れた際、こっそり王都の市へ遊びに出かけたのです。ところが、途中で侍女とはぐれてしまって……一人ぼっちになってしまいましたの」
姫はふっと目を伏せ、懐かしむように言葉を続けた。
「そのとき、野犬に怯えていたわたくしを助けてくださったのが、こちらにいらっしゃるヴォルフ様でした。とてもお強くて、寡黙で……でも、お優しかった。腰に下げていらした短剣の紋章も、今でもはっきり覚えておりますわ」
顔を上げた姫は、俺を見て小さくはにかむ。
「助けていただいたあと、あなたはクリームパンをくださいましたわね。ふわふわでとても甘くて。それからわたくし、クリームパンが大好きになりましたのよ」
(十年以上前……野犬……クリームパン……)
頭の中でその三つを繰り返しているうちに、ふと、遠い昔の出来事が蘇ってきた。
(そういえば……そんなことがあったな)
野犬に怯えて泣いていた女の子を見かけ、犬を追い払ってやった。だが、その子がなかなか泣き止まなくて、困り果てた俺は、ちょうど手にしていたクリームパンを渡した記憶がある。今思えば、ずいぶん乱暴な慰め方だった気もするが……。
(まさか、あの子がアメリア姫だったのか!?)
目の前の姫と、記憶の中の少女はどうにも結びつかない。だが、十年以上も前のことだ。子どもの頃の面影など、成長すればいくらでも変わるだろう。
「あの時の……」
「ええ! やはり覚えていてくださったのですね、ヴォルフ様!」
頬を紅潮させた姫の瞳が、感激で潤んでいく。やがて姫は小さく息を吸うと、まっすぐに俺を見つめた。
「ヴォルフ様。あの時からわたくしは……ずっと、あなたをお慕いしておりました!」
その瞬間、部屋中の空気がピシリと固まったのがわかった。
(………………は?)
何を言われたのかわからない。いや、わかるけど、わからない。姫の言葉はたしかに耳に届いているのに、どうにも頭が理解を拒んでいた。
(おい誰か! 何か言ってくれ!)
ユリウス殿下とアルベルトに助けを求めようにも、視界の端に映る二人は、揃ってぽかんと立ち尽くしている。
そんな俺たちをよそに、アメリア姫だけがうっとりと俺を見つめていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ようやく我に返ったユリウス殿下が、慌てて声を上げる。だが、いつもの貴公子然とした態度を取り繕う余裕まではないらしい。その声はすっかり上ずっていた。
それでも、殿下が口を開いてくれたことに、俺はひとまず胸を撫で下ろす。少々頼りないが、ここは任せるしかない。
ところが、アメリア姫はさっと片手をかざし、殿下の言葉を遮った。
「わかっております! わたくしが王女である以上、立場も、国同士の関係もあります。けれど……それでもなお、どうしても! この想いをお伝えしたかったのです!」
「……あ…………そう……なんだ……」
あまりの熱弁に圧倒されたのか、殿下はあっさりと口をつぐんでしまう。
(つぐむな!)
俺だって言いたいことは山ほどある。だが、相手は他国の王女だ。下手なことを口走れば、それこそ外交問題に発展しかねない。
(こういうときこそ、あんたの出番だろうが!)
「それに!」
姫は一歩前に出ると、俺の腰にある短剣を指さした。
「ヴォルフ様のその短剣には、家紋が刻まれておりますわよね? つまり、ヴォルフ様も貴族なのでしょう? でしたら、わたくしたちが結ばれるのに、何の問題もございませんわ!」
(結ばれる!? いや、問題しかないだろ! 頼む! なんとかしてくれ!)
俺は、ありったけの念を込めてユリウス殿下を見た。いや、もはや睨みつけたと言ってもいいだろう。
その視線に気づいたのか、殿下はちらりと俺を見るとぎょっとしたように目を逸らし、それからすがるような目をアルベルトに向けた。だが、アルベルトは「早く言え」とばかりに顎をしゃくる。もはや逃げ場がないと悟ったのか、殿下はおずおずと片手を挙げた。
「……あー、アメリア姫。その……たいへん言いづらいのだけど……」
姫はきょとんと小首を傾げる。
「……こいつ、結婚してるんだよね。つい最近。ちょうど二ヶ月くらいかな? つまり……その……新婚ほやほやってやつ?」
アメリア姫は微笑みを浮かべたまま、しばらく黙っていた。やがて、ゆっくりとユリウス殿下に目を向け、それから俺を見る。
「……ご結婚?」
俺が頷くと、姫の口元が「まあ」と小さく動く。ほんの一瞬、微笑みが揺らいだものの、姫はすぐに表情を整え、静かに尋ねた。
「おふたりは、愛し合って結婚なさったのですか?」
「……っ、それは、その……」
思わず言葉に詰まる。そもそも、あの経緯をどう説明したものか。俺の煮え切らない返事に業を煮やしたのか、アメリア姫はくるりとユリウス殿下に向き直った。
「俺……っ!?」
有無を言わせぬ姫の迫力に、ユリウス殿下がたじろぐ。それでもなんとか踏ん張っていたが、やがてすーっと視線を真横に逸らした。
「いや……あー……その……まあ、若干……勘違いが重なった結果というか……?」
「勘違い?」
アメリア姫の眉がぴくりと動く。
「なるほど。つまり、愛はないのですね」
(……まずい。なんだか話がおかしな方向に進んでいるぞ)
すかさず、アルベルトがユリウス殿下の脇腹に肘鉄を食らわせた。
「……いって! あーっ! 勘違いというか、いや、あの、その、そうじゃなくて……!」
殿下が慌てて言い直すも、アメリア姫は聞いちゃいない。それどころか、俺に向かってにっこりと微笑んだ。
「勘違いでご結婚。しかも、結婚してわずか二ヶ月。でしたら――まだ間に合いますわね」
再び、部屋の空気が凍りつく。
(……いや、「間に合う」って、何がだ!?)




