わたくしを覚えていますか
王宮の謁見の間には、張りつめた静寂が流れていた。赤い絨毯の上を、使節団が列をなして進む。その中央にいるのがアメリア王女だ。
「リュクスハルト王国より参りました。アメリア・ルシア・フォン・リュクスハルト、本日は貴国のご厚意に心より感謝申し上げます」
玉座の前で優雅に一礼するアメリア姫は、以前お目にかかった時とはずいぶん印象が違う。記憶に残るあどけなさはすっかり消え、今や立派な淑女だ。白いドレスに身を包み、ゆるやかに編み込まれた金髪を背に流すその姿は、なるほど、確かに美しい。騎士団の連中がやたらと俺を羨ましがっていたのも頷ける。
そのうえ、堂々とした立ち居振る舞いには、若いながらも王女としての気品と威厳が感じられた。
(それにしても……同じ年頃だというのに、ずいぶん違うものだな)
国王陛下と言葉を交わすアメリア姫を眺めながら、ついそんなことを考えてしまったのが間違いだったらしい。
プラチナブロンドの髪を揺らし、庭のリスにこそこそと餌を運ぶもう一人の令嬢の姿がぽんっと頭に浮かび、俺は慌てて自分の太ももをつねるはめになった。まったく、あの天真爛漫さには困ったものだ。
(……いや、ここは謁見の間だ。しっかりしろ)
俺は姿勢を正し、視線を玉座へ戻す。やがて使節団の挨拶も滞りなく終わり、謁見は無事に終わった。
◇
「いや〜、アメリア姫は相変わらず綺麗だったねぇ」
ユリウス殿下がのんびりと口を開いた。ソファと揃いの分厚いクッションを腹に抱え、深々と身を沈めている。つい先ほどまで、国王陛下の傍らで非の打ちどころのない貴公子を演じていた人物とは思えないくつろぎようだ。
淡い金色を基調とした、大きな窓のあるこの部屋は、王城に数ある応接室の中でも、ユリウス殿下のお気に入りだ。なんでも、ここのソファが一番、殿下の尻に馴染むらしい。どんな理由だ。
俺はいつものように壁際に立ち、目立たぬように控えていた。
「でも、あの隙のない感じはちょっと苦手かな。喋ってて緊張するんだよね、あの姫」
「殿下……あなたの辞書に緊張なんて文字は存在しないでしょう?」
隣に座るアルベルトが、半目でため息をついた。
「いやいや、さすがに今日は緊張したよ? ちゃんと大人しく王太子してただろ? なあ、ヴォルフ?」
「……まあ、いつもよりは」
そう答えると、ユリウス殿下は勝ち誇ったようにアルベルトを見た。いや、そもそも王太子なんだから当たり前ではないか。かと思えば、今度は俺を見て気の毒そうに眉を下げる。
「あの姫とヴォルフかぁ……うん、どう考えても相性がよさそうには思えないね」
「なら護衛は俺じゃなくても良かったでしょう」
「まあまあ、そう言うなって。護衛としての腕は文句なしなんだけどさ、お前みたいな不器用の化身じゃ、ああいうお姫様のご機嫌を取るのは難しいだろ? 姫にすぐ交代を頼まれちゃうかもね〜。ま、その方がレゼも余計な心配をしなくて済むか」
「……くだらない冗談は、お控えください」
「そういやお前、レゼとはどうなんだ? 少しは夫婦らしくなってきたのか?」
殿下がクッションを抱えたまま、がばりと身を起こす。また面倒な話になってきた。そう思った矢先、扉が静かに開いた。
「アメリア・ルシア・フォン・リュクスハルト殿下、お見えです」
使用人がそう告げた時にはもう、殿下はすっかり王太子の顔で、完璧な微笑みを貼り付けて立っていた。先ほどまで腹に抱えていたはずのクッションにも、体を沈めていたソファにも、一切の乱れがない。思わず二度見する。この王子は。魔法でも使ったのだろうか。
ほどなくして、アメリア姫が室内へ入ってきた。
「お待たせしました。ご案内いただき、ありがとうございます」
落ち着いた声でそう言い、軽く頭を下げる。身にまとっているのは、先ほどの白とは打って変わって鮮やかな橙色のドレスだ。 ゆるやかに下ろされた金髪が、その動きに合わせてさらりと揺れる。
「ようこそ、アメリア姫。長旅でお疲れでしょう。まずはお茶でもいかがですか?」
ユリウス殿下も、言葉遣いから物腰まで、まるで隙がない。こうして二人が向かい合っていると、物語の挿絵でも眺めているようだ。
(いったいどの口が「緊張する」なんて抜かしてたんだ)
「それと、今回のご滞在中、姫の護衛を務めるのが、我が騎士団の団長――ヴォルフ・グランツです」
「グランツ卿。滞在中はお世話になります。どうぞよろしくお願いいた――」
丁寧に挨拶を述べていたアメリア姫の声が、ぷつりと途切れた。その視線は、なぜか俺の腰元にじっと注がれている。
(……なんだ?)
腰帯に下げているのは、黒革の鞘に収めたいつもの短剣だ。別に珍しいものでもない。現に、姫の後ろに控えるリュクスハルトの騎士たちだって、似たような短剣を下げているじゃないか。
姫は小さく息を呑んだかと思うと、ゆっくりと顔を上げた。先ほどまでの大人びた表情は消え、こちらを見つめる瞳がみるみる潤んでいく。そして、何かを見つけた子供のように、ぱっと顔を輝かせた。
「あの……ヴォルフ様! わたくしを……わたくしのことを、覚えていらっしゃいますか?」
(……は?)
突然の問いかけに、思わず言葉を失った。周囲の視線が一斉に俺へ集まる。
確かに、姫とはこれまで何度か顔を合わせている。だが、覚えているかとわざわざ尋ねられるほど、親しく言葉を交わした記憶はない。
「あ、いや……その……」
返答に窮する俺を、アメリア姫は何かを待ち望むような目で見つめている。
(待て。いったい、何を期待されているんだ?)




