誰か妹を貰ってくれ
「それで? 最近レゼはどうなんだ?」
ユリウスが思い出したようにこちらへ視線を向けた。磨き上げられたブルートパーズのような瞳が、レースのカーテン越しに差し込む柔らかな陽光を受け、ひときわ鮮やかに輝く。
(……こいつ、やっぱり綺麗だよな)
艶のある蜂蜜色の髪はどこまでも柔らかく、さらりと額に影を落とす。華奢な首筋から肩へと続く線はまるで絵画のようで、こうして見ていると、俺が同じ「男」に括られているのが、なんだか申し訳なくなってくる。
ユリウス・アレシオ・ディ・ヴァレント。この国の王太子にして、俺の主君だ。華やかな見目をしているくせに言動はどこか飄々としていて、それが妙に人を惹きつける。時折、こんなふうに妹の話題を振ってくるあたりは少々厄介だが、まあ、それだけレゼを可愛がってくれている証拠なんだろう。
「相変わらずですよ」
思わず見惚れていたのを誤魔化すように、俺は努めて冷静に答えた。
「……敬語」
ユリウスが不満げにぼそりと呟く。俺は聞こえないふりをして、ゆっくりと紅茶のカップを口に運んだ。だが、こいつにそんな小細工が通用するはずがない。
「ア・ル・ベ・ル・ト?」
わざとらしく首を傾げ、にっこり笑いながら俺の顔を覗き込んでくる。ほんと、いい性格してるよ。
「うるせぇな! 聞こえてるよ。てか、おまえは王太子で俺は側近なんだよ。敬語使うのは当たり前だろ?」
「うわ、アルベルトこっわ! また俺の側近が反抗期なんですけど〜」
(……くっ、こいつは)
まったく、昔から調子のいい男だ。
ユリウスとは王立学院での同期だった。王族と侯爵家という身分の違いはあれど、同じ学生として肩を並べていたあの頃。
当時からこいつは軽口ばかり叩いていたが、根は案外、面倒見がいい。それに、たぶん誰よりも人のことをよく見ている。まあ、今も昔も、「おまえ、王族って自覚あんのか?」と言いたくなるくらい自由奔放なのは変わらないけど。
「で? 相変わらずってことは、やっぱりレゼは夢中なのか?」
ユリウスがにやりと口の端を歪める。
「ああ。おかげで、もうすぐ二十歳になるというのに、貴族からの縁談はほぼ全滅だ」
そう答えながら、母がこれ見よがしに積み上げている釣書の山を思い出す。レゼが縁談を突っぱねるたびに増えていくそれらは、本人にろくに目を通されることもなく、そろそろ雪崩でも起こしそうな高さになっていた。両親にとっては頭痛の種。もちろん、俺にとっても。
「ほんっと、レゼは!」
ユリウスが呆れたように肩をすくめる。そう言うわりに、その顔はどうしようもなく楽しそうだ。まったく、他人の妹だっていうのに、こいつも大概レゼに甘い。
「レゼさえ良ければ、いつでも俺が貰ってやるのにね〜」
冗談めかしたその言葉に、俺はこれでもかというほど目を細め、ユリウスを睨んだ。
「お前が弟になるとか、何の罰ゲームだよ」
「ひでっ、お兄様〜」
「やめろ! 気色わるっ」
わかりやすく身震いしてやると、ユリウスがげらげらと笑った。そこへ、小気味良いノックの音が重なる。返事をするより先に扉が開き、見慣れた顔がひょこりとのぞいた。
「ごきげんよう! お茶菓子、追加で持ってきましたわよ〜」
絹糸のようなプラチナブロンドの髪を揺らして入ってきたのは、俺の妹、テレーゼだ。家族やユリウスは、「レゼ」と呼んでいる。
持ち手に薔薇の細工を施した優雅なティートレイを両手に抱え、軽やかな足取りでこちらへやってくる。トレイの上にちゃっかり三人分のアップルパイが並んでいるところを見ると、自分も混ざる気なんだろう。
「ふふ。ユリウス様もアルベルト兄様も、何をそんなに楽しそうに話してたんですの?」
明るく笑うレゼは、自分が話題の中心だったとは露ほども思っていないらしい。
(お前が嫁に行き遅れる心配をしてたんだ)
なんてこと、口に出せるはずもない。一方、ユリウスはまるで子猫でも愛でるような目でレゼを眺めていやがる。
(……余計なこと言うなよ)
そう念じたのも虚しく、この自由な王太子の口は、何の躊躇いもなく開かれた。
「レゼが俺のところに嫁に来ればいいのに〜って話してたんだよ? どう? 嫁にきちゃう? レゼなら大歓迎だよ?」
ユリウスが「ほら、飛び込んでおいで」とばかりに両手を広げる。だがレゼはそれを穏やかな笑みで受け流し、ちらりとその腕へ視線を落とした。
「まあ、ユリウス様ったら。冗談はその細っこい二の腕だけにしてくださいます? ユリウス様は間違いなく素敵なお方ですわ。華やかなお顔立ちに、気さくなお人柄。頭もよろしいし、話していて飽きませんもの」
ずいぶんと遠慮のない言葉が混ざっていた気もするが、その口調は、まさしく上品な侯爵令嬢そのもの。だが次の瞬間、レゼの瞳がすっと真剣なものに変わる。
「でも、でもですわっ!」
レゼは胸を張り、堂々と言い放った。
「ユリウス様に足りないのは圧倒的に! 筋肉ですっ!」
パイが皿から転げ落ちそうな勢いでトレイをテーブルに置いたかと思えば、両手を胸元で組み、天を仰ぐように語り出す。
「わたくしにとって男性の魅力とは筋肉がすべて! 隆起した胸筋、鋼のような上腕、広く厚い背中に、爆発力に満ちた太腿っ! そこに至るまでの鍛錬と努力が、全身から語りかけてくるのですもの!」
(始まった……)
俺は心の中でそっと顔を覆った。
この妹、美貌に恵まれ家柄も申し分なく、王宮の茶会では「王都の花」なんて呼ばれていたはずなのに、なんでこうなった。
レゼは一言で言えば、絵画から抜け出したような可憐な令嬢だ。雪のように滑らかな肌に、紫がかった青い瞳。長く濃いまつげに縁取られた目元は、笑うたびにやわらかな光をたたえる。すっと通った鼻筋。ふっくらとした唇。どこを取っても、「王都の花」の呼び名に恥じない容姿をしている。
そんな見た目をしておきながら、恍惚とした顔で筋肉を語っているんだから、ほんと救いようがない。
「だよね〜! レゼが俺を選ぶなんて、筋繊維の一本も通ってない幻想だったよね!」
言い終えるなり、ユリウスは腹を抱えて笑い出した。相当ツボに入ったらしい。目尻にはうっすら涙まで浮かんでいる。
「ふふっ。世の中がなんと言おうと、わたくしは筋肉を愛しておりますの!」
その言いっぷりたるや、まるで国是でも宣言しているかのようだ。
だが残念ながら、レゼの好みは世間一般のそれとは大きくかけ離れている。
この国では、「中性的な美しさ」が流行の最先端だ。線が細く、優美な顔立ちの男こそが理想の貴公子とされている。爵位の高い家柄ともなれば、なおさらだ。当然、侯爵令嬢であるレゼと釣り合うだけの家柄となると、そうした華奢な貴公子が候補に挙がってくる。
それなのに、レゼは頑として首を縦に振らない。細身は論外。鍛えていない身体に興味はない。筋肉があるなら家柄など問わず、むしろ庶民の方がいいとまで言ってのける始末だ。
それを聞いた母が気を失いかけたのは、さすがに気の毒だった。
もちろん、いくらレゼが望んだところで、家柄を無視した結婚など許されるはずもない。かといって、こちらが勧める縁談には見向きもしない。
本人はまるで気にしていないが、気を揉んでいるのは周囲の人間ばかりだ。俺とユリウスがこうして頭を悩ませる理由も、まさにそれだった。
「まったく」
ユリウスはまだ楽しそうにくつくつと笑いながら、ぼふりとソファの背に身体を預けた。
「どこにいんのかなぁ、レゼの筋肉愛を全力で受け止めてくれる猛者は」




