そのえくぼは反則です
店の扉を開けた途端、思わず感嘆の声が漏れた。
ユリウス様からは「マカロンがとにかく絶品!」としか聞いていなかったけれど、まさかお店までこんなに素敵だなんて。クリーム色と若草色を基調に、ところどころに金色の装飾をあしらった店内は、なんとも上品で可愛らしい。
なにより、大きな陳列台に幾列にもわたって並べられたマカロンの見事なこと!
その脇には、モスグリーンの模様が美しい陶器のプレートが置かれていた。どうやらこれにマカロンを乗せるらしい。こんなところまで洒落ているなんて、心が躍ってしょうがない。
「嬉しそうだな」
隣に立つヴォルフ様がぽつりと言った。
「ええ、とっても! ユリウス様が、ここのマカロンは腰を抜かすほど美味しいと仰っていらして、ずっと食べてみたかったんですの! ヴォルフ様は甘いものがお好きですか?」
「あまり食べないが、嫌いではないな」
「まあ! それならぜひ一緒に食べてみませんこと? ふたりで腰を抜かしてしまったら大変ですけど」
そう言いながらも、私は早くも目移りしてしまっていた。
マカロンといえば淡い色のイメージが強いけれど、この店には、可愛らしい色合いのものからドキリとするほど鮮やかなもの、なんと真っ黒のものまであるではないか。
「ヴォルフ様、ご覧になって! チョコレート味だけでもこんなにたくさん! チ、チーズ? どんな味なのかしら? まあっ、こちらの薔薇のジャムというのも美味しそうですわね!」
私はすっかり夢中になって、次々とプレートに乗せていく。
「そんなに買うのか?」
あっという間に山盛りになったプレートを見て、ヴォルフ様が驚いたように眉を上げた。けれど私からすれば、この量で驚くヴォルフ様に驚きである。こんなのきっと、三日もあれば食べきってしまうだろう。
「ええ。セシルもマカロンは大好きですし、ほかの皆さまも甘いものがお好きだと伺いましたの。ですから、あとこの倍は欲しいところですわ」
なぜかヴォルフ様が、信じられないものを見るような顔をしている。
「……何かおかしいですか?」
「いや……あいつらにも買うのかと思ってな。君にとっては、知り合ったばかりの使用人だろう?」
「あら、もちろんですわ! 皆さん、とても良くしてくださるんですもの。幸せな味は、皆で分かち合うと、もっと幸せになりますのよ!」
まるで何かの宣伝文句のようだが、これは私の持論だった。不思議なもので、どんな食べ物も大好きな人たちと一緒に食べると、いつもよりずっとおいしく感じるのだ。ヴォルフ様にもぜひ教えてあげたくて、得意げに顎を上げる。
別段おかしなことを言ったつもりはなかったのだが、ヴォルフ様はたっぷりと時間をかけて呆気に取られていた。やがてその口元がふわりと緩む。
「……ふっ。そうか。マチルダはナッツが好きだぞ」
(っ!?)
「そっ……そうですのねっ!」
なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、私は慌ててナッツのマカロンを探すべく、くるりと棚に向き直った。
幸い、目当てのマカロンはすぐに見つかった。なのに、心臓のドキドキはちっとも収まらない。
(えっ、ええっ!? ヴォルフ様の笑顔!? は、初めて見ましたわっ!)
いつもはきりっと鋭い目をしていらっしゃるのに、笑うとあんなにも優しい目になるなんて。
(それに、口元にできた小さなくぼみ! あれは反則では!? 可愛すぎませんこと!?)
「おい……いくらなんでもナッツのばかりそんなにいらないだろ」
はたと手元を見ると、山盛りのプレートに、さらにナッツのマカロンがいくつも積み重なっていた。
「あ、あの、私もナッツ大好きなのです! でっ、ではこちら買ってまいりますわね!」
誤魔化すようにくるりと身を翻す。
「待て。俺が払う」
ヴォルフ様が私の手からプレートを受け取ろうとしたけれど、この顔のほてりを収めるには、今すぐヴォルフ様から離れるしかないのだ。余計なことはしないでいただきたい。
「い、いえっ! わたくしからの贈り物ですので!」
慌ててプレートを抱え直し、逃げるように店の奥へ向かった。
「……お待たせしましたわ」
会計を済ませて戻ると、ヴォルフ様は私の両手いっぱいの袋に目を留めた。マカロンを箱に詰めてもらったら、思いのほか大荷物になってしまったのだ。何も言わずに私に歩み寄ると、ひょいひょいと袋を受け取ってしまう。
「あら、ありがとうございます」
ところが、そのまま歩き出すかと思いきや、なぜか動こうとしない。眉間に小さく皺を寄せ、何か考えている様子だ。やがて、両手に持っていた袋を片手にまとめると、ふいっと視線をそらした。
「……ん」
そう言って、空いたほうの腕をぎこちなく差し出してくる。
「……っ!」
思わず口元を手で押さえた。だって、そうでもしないと叫んでしまいそうだったのだ。
(さっき、調子に乗ってお願いしてしまいましたけれど……まさか、腕を組むのは一日有効だったのですか!?)
嬉しさと驚きでくらくらしながら、私はそっと、その逞しい腕に手を添える。
(今日は、このまま心臓がもたないかもしれませんわっ)
そのあとも、私たちは並んで王都の街を歩いた。雑貨屋を覗いたり、本屋で新刊の小説を眺めたり。ヴォルフ様は何も買わないけれど、私が何かを手に取るたび、「それは?」と興味を示してくださるのがとても楽しい。女性の買い物に付き合うのを面倒くさがる殿方だって五万といるだろうに、私の旦那さまはなんてお優しいのだろうか。
(それにしても、少しばかり疲れてきましたわね……)
そろそろどこかに入って休憩するのも良いかもしれない。
南通りの中ほどで、若い女性客で賑わう店の前に差しかかった。カフェかしら、と期待したのだけれど、どうやらアクセサリーを売るお店らしい。以前通ったときにはなかった気がするから、最近できたのだろう。
そのまま通り過ぎようとしたが、何やら隣のヴォルフ様の様子がおかしい。先ほどまでとは打って変わって、妙にそわそわしているのだ。心なしか、足の運びも遅い。
「……入らなくていいのか?」
「え? ええ。可愛らしいお店ですけれど、アクセサリーは特に必要ありませんもの」
「そ……そうか……」
ヴォルフ様はなぜか、ほんの少し眉尻を下げた。
「では、そろそろどこかでお茶でもして帰りましょうか。おすすめのカフェがあるんですの。ちょうど広場までの帰り道にありますし、そこでもよろしいですか?」
「ま、待ってくれ!」
ヴォルフ様が慌てて足を止める。つられて立ち止まった私を見下ろし、一瞬「しまった」という顔をしたものの、観念したように口を開いた。
「その前に……その……君はなにか欲しいものはないのか?」
「え? 欲しいものですか?」
「あ、ああ。実は、出かける前にマチルダから釘を刺されていてな。君に贈り物のひとつでもしてこいと」
「まあ!」
なるほど。それで先ほど、あんなに落ち着かない様子だったのか。黙って自分の手柄にしてしまえば良いものを、ここであっさりとネタバラシをしてしまうところが、いかにもヴォルフ様らしい。
「ふふっ。そうだったんですのね。でもあいにく、今は特に欲しいものも思いつきませんので、お気持ちだけありがたくいただきますわね」
私がそう言うと、ヴォルフ様は途端に絶望的な顔になった。
「それは困る!」
「えっ?」
「何も買わずに帰ったと知れたら、向こう一ヶ月はマチルダに小言を言われ続ける……! 頼む! なにか買わせてくれ!」
両手を合わせんばかりの勢いで懇願され、私は思わず目をぱちくりさせた。そんなにマチルダさんが恐ろしいのだろうか。
「そ、そうなんですのね……。ええと、なんでもよろしいんですの?」
「あ、ああ! さすがに高価すぎるものは無理だが、俺に買えるものならなんでもいい!」
そこまでおっしゃるのなら、何かお願いした方がよさそうだ。そう思って考えを巡らせたところで、ふと、あるものが頭に浮かんだ。
「では! ちょうど買わなければと思っていたものがありますの。そちらのお店へ行っても?」
「もちろんだ。助かる!」
そうと決まれば話は早い。私はヴォルフ様の腕を借りたまま、目当てのお店へと向かった。
◇
「ヴォルフ様は、こちらとこちら、どちらがお好きです?」
「どっ……!?」
フリルとレースとリボンが溢れかえる店内で、ヴォルフ様は私の手元をちらりと見るなり、慌てて視線を逸らしてしまった。
ちょうど新しいナイトドレスを買おうと思っていた私は、ヴォルフ様を馴染みのお店へお連れしたのだけれど……どうやら、少々刺激が強すぎたらしい。
店先のショーウィンドウを目にした瞬間から、それはもう大変なうろたえようだった。男性用のお品もあるし、ご夫婦でいらしているお客様だっている。そう説明してどうにか店内までお連れしたものの、ヴォルフ様はひたすら窓の外ばかり見ていらっしゃる。うっかり商品が視界に入ろうものなら、何も見ていませんとばかりに、ものすごい勢いで顔を背けてしまうのだ。
(まさか、ここまで恥ずかしがられるとは思いませんでしたわ……)
なんだか申し訳なくなってきた私は、早々に候補を二着に絞った。けれど、せっかくヴォルフ様からいただく贈り物なのだ。最後の一着くらいは、ご本人に選んでいただきたい。
右手には、身体のラインに沿うように仕立てられた、水色のシルクのナイトドレス。左手には、ラベンダー色のオーガンジーをふんだんにあしらった、ふんわりと裾の広がる一着。どちらも素敵で、私にはとても選べそうにない。
「こ、こここっちでいいんじゃないか!」
ヴォルフ様は顔を背けたまま、えいやとばかりに指を突き出した。その先にあったのは、ラベンダー色の一着だった。
「あら、こちらですのね?」
「ああ」
「まあ! わたくしも素敵だと思っておりましたの!」
「そ、そうか。ならそれにしよう! すぐに会計を!」
言うが早いか、ヴォルフ様は私の手からナイトドレスをさっと取り上げ、早足で店員のもとへと向かってしまった。
会計を済ませ、店を出たところで、ヴォルフ様は天を仰ぎ、盛大に息を吐いた。
「ふふっ。ありがとうございます。初めてのヴォルフ様からの贈り物ですもの。大切に着ますわね」
「ああ……。そうしてくれ……」
そう答えるヴォルフ様は、毎日の厳しい鍛錬を終えたあとよりも、よほどお疲れのご様子だった。




