旦那さまはエスコート初心者につき
「ヴォルフ様! 楽しみですわね! まずはどこに行きましょうか?」
石畳を走る馬車が、ゴトゴトと小気味よい音を立てる。窓の外では貴族街の邸宅が少しずつ減り、代わりに賑やかな商店が目立ち始めていた。
ヴォルフ様の邸から王都の中心街までは、馬車で二十分ほど。その短い時間さえもどかしくて、私はさっきから何度もヴォルフ様に話しかけてしまっている。
「ユリウス様に教えていただいたマカロンのお店には絶対に行きたいですし、新しくできたカフェも気になりますわ! あっ、本屋にも寄らなくては!」
指折り考える私を、ヴォルフ様は向かいの席から不思議そうに眺めた。
「別に王都なんて珍しくもないだろ?」
「いいえ! ヴォルフ様と一緒に行く王都は初めてですもの!」
きっぱりとそう答えると、ヴォルフ様は面食らったように私を見つめ、それから困惑気味に眉を寄せた。
「……そうか」
そう言ったきり、ふいと窓の外へ顔を向けてしまう。
(いけない。呆れられてしまったかしら?)
でも、今日ばかりは許してほしい。なにしろ、ヴォルフ様との初デートなのだから!
昨日、突然「明日、休みをとったからどこか出かけないか」と誘われたときには、飛び上がりそうになった。よくよく話を聞けば、どうやらユリウス様の入れ知恵らしいのだが、それでも嬉しいものは嬉しい。
(ユリウス様に感謝ですわ〜!)
そんなことを思い返しているうちに、馬車が小さく揺れ、石畳の広場の前で止まった。ここはこぢんまりとしているが、あちこちの店へ行くのに便利な場所で、馬車の乗り降りによく利用されているのだ。
ヴォルフ様は自分で扉を開けてさっさと降りると、ぐるりと広場を見渡す。いつもより少しだけ表情が和らいで見えるのは、どこからか聞こえてくる陽気な音楽のせいだろうか。
それにしても、ヴォルフ様はただ立っているだけなのにどうしてこうも絵になるのだろう。眩しさに顔をしかめる姿さえ素敵に見えてしまう。今日お召しになっている濃紺のジャケットも、あの広い肩によく似合っていらっしゃる。
(……って、あら?)
すっかりヴォルフ様に見惚れてしまっていたけれど、そういえば、私はまだ馬車のステップの上だ。ヴォルフ様はというと、こちらに手を貸す気配もなく、相変わらず広場を眺めたままではないか。
「ヴォルフ様?」
声をかけると、ヴォルフ様がこちらを振り返った。そこで初めて、私がまだ馬車にいることに気づいたらしい。
「す、すまん!」
慌てて馬車のそばに戻り、手を差し出してくれた。その手を借りて地面に降り立つと、私は小さく首をかしげる。
「ヴォルフ様は、あまり女性をエスコートなさらないのですか?」
「あ、いや……まあ……そうだな」
(まあ……!)
これは意外だった。ヴォルフ様は伯爵家の次男だ。長く辺境にいらしたとはいえ、女性をエスコートする機会くらい、これまでいくらでもあっただろうに。
「でも、舞踏会などには出席なさったことがあるのでしょう?」
「出席したことはあるが……」
「女性とダンスを踊ったことは?」
「ないな」
「では、女性と二人でお出かけになったことは?」
「ない」
(まあまあまあ……!)
聞けば聞くほど、嬉しいことばかりではないか。いけない。こんなことで喜ぶなんて。少々はしたないと思いつつも、頬が緩んでしまう。
「では、私が初めてのデートのお相手ですのね? 光栄ですわっ!」
「あ、ああ……そうなる……のか?」
ヴォルフ様は私の矢継ぎ早な質問にも律儀に答えてくださるけれど、なぜか質問を重ねるたびに、少しずつ顔が横を向いていく。
「ふふっ。ではさっそく、参りましょうか」
「ま、待て! その前に、この手は! いつ離せばいいんだ?」
「手?」
視線を落とすと、私の手はまだヴォルフ様の大きな手の上に乗ったままだ。
(あらっ!?)
質問に夢中で、すっかり忘れていた。もしかして、さっきから妙によそを向いていたのは、このせいだったのだろうか。急いで手を引っ込めると、ヴォルフ様はまるで一世一代の大仕事を終えたかのように、深々と息を吐いた。
(そんなに緊張なさっていたのね……)
では、こんなことを言ったら、またヴォルフ様を気疲れさせてしまうかしら。けれど、せっかくの初デートなのだ。もうひとつだけお願いしてみてもいいだろうか。
「ヴォルフ様、腕を組んでもよろしいですか?」
「う、腕!?」
「ええ! 父と母は、お出かけするときにはいつも仲良く腕を組んでいましたわ。私もいつか、旦那さまとあんなふうに腕を組んで歩くのが憧れでしたの!」
ついつい言葉に力が入ってしまう。父は世間のご多分に漏れず華奢な体つきで、私の好みとは程遠い。けれど、母にさりげなく腕を差し出す姿だけは、なぜだかとても男らしく見えた。私は昔から、そんな父の姿が大好きだったのだ。
私の熱意に圧倒されたのか、ヴォルフ様は困ったように口をつぐんだ。やがて、ためらいがちに腕を差し出してくれる。
「……ほら」
「いいんですの!? 嬉しいですわ! ありがとうございます! では、失礼して……」
私はその逞しい腕に、そっと手を添えた。途端に、ヴォルフ様の腕がぴしりと強張る。
(もうっ! 私の旦那さまが可愛すぎて、どうしましょう♡)
「さあ、参りましょう! まずは行ってみたいお店があるのですけれど、よろしいですか?」
「あ、ああ」
ヴォルフ様は少しぎこちない足取りで、それでも私の歩幅に合わせながら、ゆっくりと歩き出した。
目指すは、ユリウス様に教えていただいたマカロンの美味しいお店だ。たしか、西通りの奥にあるとおっしゃっていたはず。道すがら、店先に並ぶ品々をあれこれ眺めていたのだけれど……なんだろう。先ほどから、ヴォルフ様がやけにちらちらとこちらを見てくるのだ。
「ヴォルフ様、どうかなさいまして?」
「あ、いや……その……」
ヴォルフ様はしばし迷った末、おずおずと尋ねてきた。
「君は……その、それだけ綺麗なんだから、これまで他の男性と腕を組む機会なんて、いくらでもあったんじゃないのか?」
(き、綺麗……!?)
思いがけない言葉に、どんな顔をすればよいのかわからなくなってしまった。ヴォルフ様ったら、腕を組むだけであんなに照れていらっしゃったのに、こういうことはさらっとおっしゃるなんて。
「ええと……お誘いをいただいたことは、何度かありますけれど……」
答えながらも、落ち着かなくて仕方がない。とはいえ、ここは誤解のないように、きちんと伝えておかなければ。
「でも、皆さま、どうにも筋肉が足りませんでしたので、お誘いを受ける気にならなかったんですの!」
「……筋……肉……?」
正直に答えたつもりだったのに、ヴォルフ様はなぜか絶句してしまった。それでも、尋ねた手前、何か返さなければと思ったのだろう。たっぷりと間を置いてから、ぼそりと呟いた。
「……そうか」
「ええ」
それきり会話が途切れ、しばらく二人で街を歩く。
ちょうど西通りに差しかかったとき、母親に手を引かれた小さな男の子とすれ違った。すれ違いざま、持っていた木彫りのお馬をこちらに見せつけてくるのが可愛くて、思わず微笑んだ。そのまま目で追っていると、不意にヴォルフ様が口を開いた。
「なんというか……君はちょっと変わっているよな」
男の子に微笑みかけたことをおっしゃっているのかと思ったけれど、ヴォルフ様は前を向いたまま、何やら考え込んでいるご様子だ。どうやら先ほどの話の続きらしい。
「そうですか? 普通ですわよ?」
強がっているわけではなく、本当にそう思ったのだ。確かに、皆さまと男性の好みはほんの少し違うかもしれない。けれど、好みなんて人それぞれではないか。
それなのにヴォルフ様はまるで納得していないご様子で、珍しい生き物でも見るような目で私を見てくる。
「ところで……それは、褒めてくださってますの?」
「……まあ、悪い意味では……ない」
「ふふっ、それならよかったです。ありがとうございます」
思いがけず、今日はヴォルフ様にたくさん褒めていただいている気がする。ご本人にはそんなつもりはないのかもしれないけれど、嬉しいことに変わりはない。
(いつもより会話も弾んでいますし、なんだか私たち、とっても夫婦らしくありませんこと……?)
「おい、さりげなく俺の腕を揉むな」
「きっ、気のせいですわ!」
何食わぬ顔で前を向くと、ちょうどお目当ての店の看板が見えてきたので、これ幸いと店へ向かった。




