お茶係に就任しました
5:00
ヴォルフ様、日課の鍛錬を開始されます。本日も中庭にて、朝日を浴びながら黙々と剣を振るうお姿は、それはもう惚れ惚れするほどの美しさ♡ 剣を振るたびに躍動する筋肉も、素晴らしいのひと言です。
本当はまたこっそり近くで拝見したいのですが、セシルに「はしたない」と怒られますので、お部屋の窓から。でも、やっぱりちょっと物足りませんわ!
6:00
だいたい一時間で鍛錬は終了。汗で濡れたシャツが背中にぴたりと張りついて、逞しい背中の輪郭がくっきりと。はぁっ、なんてセクシー♡ あら、コホン。
この時間になると、マチルダさんが温かいお茶とふかふかのタオルを持って中庭へ向かわれます。おふたりが親しげに言葉を交わすのを見るたび、わたくしもその輪に入りたいと、何度思ったことでしょう。
6:30
食堂にて朝食。わたくしもご一緒しますが、ヴォルフ様は大抵、新聞や書類に目を通しながら黙々と召し上がります。話しかける隙がほとんどございません。タイミングさえつかめれば……と、毎朝スプーン片手に話しかけるチャンスをうかがっておりますのに!
意外にもヴォルフ様はトマトがお嫌いなご様子。いつもさりげなく端へ避けていらっしゃいます。うふ、かわいいですわ♡ でも、好き嫌いはいけませんことよ!
7:30
ご出勤。ヴォルフ様は毎朝、騎士団本部へ向かわれます。精悍な背中が扉の向こうへ消えていくまで、わたくしは今日もお見送りいたします。たまに目が合うような気がするのですけれど……いえ、きっと気のせいですわね。
それにしても、ヴォルフ様の騎士服姿は本当に素敵ですわ♡ 毎朝拝見するたび、朝から鼻血が出そうになりますの!
18:00
ご帰宅。食堂にて夕食を召し上がります。メニューはもちろん、ルーディさん特製の筋肉育成メニュー。ヴォルフ様が毎晩もりもり召し上がるのを見ると、わたくしまで嬉しくなってしまいますの。
食後は温かいお茶を一杯飲んで、そのまま自室へ。そのあとは、お風呂に入っていらっしゃるはず。きっと熱い湯船にじっくり浸かって、一日の疲れを癒やしておられるのでしょう。鍛え抜かれた筋肉も、今ごろゆっくりと湯船に……♡ いえ。ここから先は想像ですわね。ええ、きっと。
「テレーゼ様。またヴォルフ様の観察日記ですか?」
「ひゃっ!」
背後から飛んできたのは、セシルのため息混じりの声だった。夢中で走らせていたペンを止め、そろりと振り返る。いつからそこにいたのだろうか。
「お、おおお夫のスケジュール管理は、妻の大事な務めですわっ!」
両手でピシャリとノートを閉じ、無駄に背筋を伸ばす。これはあくまで、妻として夫の一日を把握しているだけ。観察日記などでは断じてない。
「それ、毎日つけてらっしゃいますよね。内容、まったく同じじゃありません? そろそろ冊子一冊分くらいになるんじゃ……」
「そ、それは愛ですわ!」
ツンと顎を上げ、きっぱりと言い返す。けれど、ときどき筆が進みすぎて、冊子一冊分どころか、すでに三冊分くらいになっていることは、黙っていようと思う。
セシルはそれでも何か言いたげに、目を糸のように細めてこちらをじいっと見ていたが、やがてふっと口元を緩めた。
そう。これは嫁いでからのここ数日間における、ヴォルフ様の観察日記――いえ、生活記録なのだ。
毎日、ほとんど時間を違えることなく日課をこなされるヴォルフ様。その真面目さと律義さには、心から敬意を払っている。
(でも……でも、ですわ!)
足りない。あまりにも。圧倒的に。
わたくしとヴォルフ様との会話が!
寝室は別、忙しいのでお出かけもなし、触れ合いもご遠慮くださいとのことで、ただでさえ接する時間が少ないというのに、会話までままならない。
(そ、そんなのって、あんまりですわ〜〜〜っ!!)
◇
「それなら、明日から朝の鍛錬後のお茶とタオルを、テレーゼ様がお持ちになりませんか?」
昼食後に食堂のテーブルに突っ伏して嘆いていた私を見かねて、マチルダさんがそう提案してきた。
「いいんですのっ!? ええ、それはもう、ぜひとも!」
私は水を得た魚のごとく身を起こし、目の前の救世主に熱い視線を送る。あの素晴らしいお仕事を、こんなにもあっさり私に譲ってくださるなんて!
(ああ、マチルダさんの後ろに光が差して見えますわ)
「ふふ。坊ちゃまも、新婚なのですから、たまにはかわいい奥様と朝のひとときを過ごして、少しは人間らしくなっていただかないと」
マチルダさんは私ににこりと笑いかけると、てきぱきとテーブルを拭き上げていく。
(ヴォルフ様との……朝の……ひととき……)
ピカピカに磨かれていくテーブルを横目に、私は思いがけず舞い込んだこの新たな「任務」に期待を膨らませた。
(これで! ヴォルフ様と仲良くなれるかもしれませんわ!)
◇
そして迎えた翌朝。
私はいつもならマチルダさんが持っていくはずだったお茶とタオルをお盆に載せ、そろりそろりと中庭へ歩を進めていた。
澄んだ空気に頬がきゅっと引き締まる。庭の奥では、ヴォルフ様が朝日を背に黙々と剣を振るっていらした。一振り、また一振り。凛とした剣音が、静かな中庭に響いていく。心がすうっと透き通っていくようで、目を閉じ、しばしその音に聞き入った。
(……はっ。いけませんわ!)
危ないところだった。今日の私は、いつものようにヴォルフ様を眺めに来たわけではないのだ。お盆をぎゅっと握り直し、本来のお役目に意識を戻す。
だが、ヴォルフ様の鍛錬はまだ終わりそうにない。集中を邪魔してはいけないと、声をかけるのは控え、少し離れた斜め後ろに立って、終わるのを待つことにした。
(それにしても……眼福ですわ)
後ろから眺めるヴォルフ様は、これまた格別だった。剣を振り下ろすたび、広い肩が大きく動き、それに連れて背中の筋肉がぐっと盛り上がる。踏み込むたびに力強く張る太ももまで、もうどこを見ればいいのかわからない。
(ああっ、目が! あと三つくらいあれば……!)
あっちもこっちもと忙しく視線を走らせているうちに、ヴォルフ様が最後の一振りを終え、大きく息を吐いた。
「マチルダ、今日はやけに静かだな?」
どうやら、私をマチルダさんだと思っているらしい。
ヴォルフ様はシャツの裾を引っ張り出し、そのまま無造作に持ち上げて顔の汗を拭う。前屈みになって何度か顔をこするたび、めくれたシャツの下から、引き締まった腹部がちらちらと覗いた。
(ヴォ、ヴォ、ヴォルフ様!?)
危うく、お盆を落っことすところだった。この位置からだと、脇腹のほんの一部しか見えないけれど、それでもくっきりと刻まれた筋肉のラインは十分すぎるほどわかる。なんという神々しさなのだろうか。
こ、これはいけない。これ以上は、お盆だけでなく理性まで落っことしてしまうかもしれない。お腹に吸い寄せられそうになる視線をどうにか引き剥がし、本来の目的を果たすべく口を開いた。
「おはようございます、ヴォルフ様」
「……っ!?」
ヴォルフ様が慌ててシャツを引き下ろし、勢いよくこちらを振り返った。
「テ、テレーゼ嬢っ!?」
そのままよろりと一歩後ずさると、気まずそうに目を逸らした。
「いや……あー……えっと、今日はマチルダは?」
そう尋ねる間も、ヴォルフ様はシャツの裾を掴み、ぐっと下に引っ張り続けている。
(失礼な!)
そんなに隠さなくても、いくら私とて、さすがにヴォルフ様のシャツをめくり上げて、お腹を覗いたりはしないのに。まるで目隠し布のようにこれでもかと伸ばされたシャツの裾に、つい恨みがましい視線を送る。
そんな私の様子をどう受け取ったのか、ヴォルフ様は慌ててシャツの裾をズボンに押し込み始めた。
「それで、どうして君がここにいるんだ?」
すっかりシャツをしまい込むと、ようやく落ち着いたらしい。ヴォルフ様は顔を上げ、改めてこちらを向いた。
「ふふ。実はわたくし、ヴォルフ様ともっとお話ししたくて、マチルダさんに代わっていただきましたの」
お盆からタオルを取ってヴォルフ様に差し出す。
「お、俺と?」
「ええ! それで、これからはわたくしがお茶とタオルをお持ちしてもよろしいですか?」
「は? あ、いや、それは……えっと……ま、毎朝……?」
ヴォルフ様は眉を寄せ、差し出したタオルと私を素早く見比べている。困らせてしまったのかとも思ったが、よくよく見ると耳がほんのり赤い。ならば、もう少し押してみようか。
「ええ。いけませんか?」
そう言って、タオルをさらにヴォルフ様の方へ、ぐいと突き出す。もはや押し付けである。
「いや、ダメでは……ない……が……」
ヴォルフ様はのけ反るように身を引き、すっかり面食らった様子だ。けれど、とうとう観念したらしい。おずおずとタオルへ手を伸ばした。
「……ありがとう」
その指先が、私の指にちょこんと触れる。あっと思ったときにはもう、ものすごい速さで私の手からタオルが引き抜かれていた。
「す、すまんっ!」
顔を真っ赤にしたヴォルフ様は、逃げるようにそっぽを向いてしまった。
(そんなに驚かなくても……)
笑いそうになるのをこらえながら、いつまでもタオルでゴシゴシと顔を拭っているヴォルフ様を眺める。もう汗なんてすっかり乾いているでしょうに。
(まったく。ほんの指先ですわよ……?)
でもそうしているうちに、なぜだか胸の奥がむずむずしてしょうがなくなってきた。ここは早々に退散することにしよう。早く部屋に戻って、さっきの出来事を日記に書き留めなければ!
とはいえ、言うべきことは言っておきたい。先ほどヴォルフ様は「ダメではない」とおっしゃっていた。ならば、了承していただけたと受け取ってもいいはずだ。
「では! 明日からはわたくしがお茶とタオルをお持ちいたしますわね」
張り切ってそう宣言したが、ヴォルフ様から返事はない。どうやらまだ顔を拭くのに忙しいらしい。
「お茶はこちらに置いておきますわね」
そう声をかけ、お盆を邪魔にならない場所に置くと、私は弾む足取りで邸へ戻った。
◇ ◇ ◇
あれから数日。テレーゼ嬢は、本当に毎朝、茶とタオルを届けに来るようになった。
以前はマチルダの小言を適当に聞き流し、差し出された物を黙って受け取るだけでよかった。ところが今はどうだ。毎朝、あの笑顔で「おはようございます♡」と迎えられるのだ。どうにも調子が狂う。
最近では、俺が茶を飲む間、少しずつ言葉を交わすようにもなった。今朝なんて、庭で見かけたリスがどうしたこうしたと、それはもう楽しそうに話していた。別に嫌なわけじゃない。じゃないんだが……なんとも落ち着かない。
かといって、話を遮るのも悪い気がして、とっくに空になったカップを口に運ぶ回数ばかりが増えていく。すっかり彼女のペースだ。
「……ん?」
ふと、テーブルの上に置かれた一冊のノートが目に留まる。薄桃色の布張りの表紙に、可愛らしい金色の飾り模様。誰かの忘れ物だろうか。何気なく手に取り、ぱらりとページをめくって……思わず二度見する。
(は!?)
そこには、なぜか俺の一日の行動が、丁寧な字でびっしりと書き込まれていた。
しかもそれだけじゃない。やれ剣を振る姿が美しいだの、筋肉の動きが素晴らしいだの、やたらと褒めちぎられているではないか。
次のページに目を走らせると、今度は汗で濡れたシャツがどうとか、背中がセクシーだとか。さらに、朝食でトマトを避けていることまで書かれていた。
「な……なんなんだこれ……!」
かっと顔が熱くなり、慌ててノートを閉じる。
「ああ、そちらにございましたか」
不意に声がして振り返ると、部屋の入口にセシル嬢が立っていた。俺の手元のノートに目を留め、こちらへ歩み寄ってくる。
(まずい。別に盗み見ようとしたわけじゃないんだが……)
俺は閉じたノートを両手で抱えたまま、どうすることもできずに突っ立っていた。すぐそばまで来た彼女は、何も言わずに俺の顔をじっと見上げる。やがて、ふっと口元だけで笑った。
「どうか、見たことはテレーゼ様にはご内密に」
「……っ!」
「私のご主人様、可愛いでしょう?」
そう言って、俺の手からノートをするりと抜き取ると、何事もなかったかのように踵を返した。残された俺は、ただ呆然と立ち尽くす。
頭の中には、先ほど目にした日記のあちこちに散りばめられたハートマークが、やけに鮮明に焼きついていた。
(ほんとになんなんだよ、あの子は!)




