侍女にはお見通し
夕食を終えてしばらくすると、たくさんの荷物とともにセシルが邸に到着した。
さっそく客間へ運び込まれた荷物を二人で片づけながら、私は今日の出来事を話して聞かせることにした。
「えっ? ではヴォルフ様はテレーゼ様と結婚するつもりはなかったのですか?」
持ってきたドレスをクローゼットに並べていたセシルが、ぴたりと手を止めてこちらを振り返る。
薄化粧の顔に、きっちりとまとめられた黒髪のシニヨン。せっかく綺麗な顔立ちをしているのに、どこまでも実用本位なこの侍女は、主人の嫁入りだからといって、特に着飾るつもりはないらしい。
「そうですの。ヴォルフ様が明日、ユリウス様に確認しに行くそうだわ。だから今夜はまだ、私とヴォルフ様は『夫婦(仮)』ってところね」
先ほど思いついた言い回しを、ここぞとばかりに使ってみる。笑ってくれるかと思ったのに、セシルは呆れたように首を振り、小さくため息までついた。
「テレーゼ様はそれでよろしいのですか?」
「よろしいとは?」
「だって、ヴォルフ様はもともと結婚するおつもりではなかったのでしょう? 今回のお話は政略結婚のようなものだとは思っていましたけれど、そもそも結婚する意思すらなかったとなると、話は別です。もしテレーゼ様が冷遇されるようなことにでもなったら……」
話しているうちに、セシルの顔がどんどん険しくなっていく。先ほど挨拶を交わしたときには「立派なお方ですね」と感心していたくせに、ずいぶんな変わりようだ。
「まあ、セシルったら。心配しすぎよ。ヴォルフ様はそんなお方ではないわ」
「そうでしょうか? では、ユリウス様に確認して、もしまだ届けが受理されていなかったらどうするのです?」
「そのときはそのときに考えるわ。でも、ずっと悩みの種だった私の縁談が、ようやくまとまったんですもの。ユリウス様のことだから、私の気が変わらないうちにと、大急ぎで手続きを済ませていそうな気がするのよね」
「まあ……それは否定できませんね」
セシルは苦笑すると、手にしたままだったドレスをクローゼットに掛けた。私の縁談に一番頭を悩ませていたのは、誰よりもこの侍女だ。ユリウス様が手続きを急ぎたくなる気持ちも、痛いほどわかるのだろう。
「それに、ヴォルフ様だって、今は結婚するおつもりがなくても、これから気が変わるかもしれないでしょう?」
これで少しは安心してくれるかと思ったのに、セシルは何も答えず、探るような目で私をじっと見てくる。
「……な、なに?」
なんだか居心地が悪くなってきたところで、セシルがようやく口を開いた。
「テレーゼ様は、もうすっかりその気じゃないですか。さては……すごかったんですね? ヴォルフ様の筋肉が」
さすが、長年私に仕えているだけのことはある。私の筋肉に対する愛も、日頃の創作活動も知っているセシルには、すっかりお見通しらしい。
「とっっっっても、すごかったんですのよ!」
私は勢いよく立ち上がると、机の上に重ねてあった絵の中からお気に入りの一枚を取り、セシルの前にぱんっと掲げる。
「セシル、ちょっとこちらをご覧になって! 午後に描いたばかりの、最高の一枚ですの!」
「描いたばかりって、嫁いできたその日にもう創作活動ですか!?」
「もうっ! 細かいことはいいから! とにかく見てちょうだい!」
「あ、はい。って、え、これ……ヴォルフ様ですか?」
セシルは絵をのぞき込み、しばらく無言で見入っていた。
「腕、太……。肩もすごいですね。服を着ているのに、こんなにはっきりわかるものなんですね……」
褒められているのはヴォルフ様なのに、私はすっかり自分のことのように得意になって、うんうんとうなずく。
「そうでしょう!? でも、実物はもっとすごかったんですのよ! あの腕も肩も、絵ではとても描ききれないくらいで! それに胸も――」
だんだんと興奮が蘇ってきたところで、セシルの顔がわずかに引きつった。
「あっ、テ、テレーゼ様! それよりこの絵、すごくよく描けていますね!」
まだまだこれからだったのに、急に話を変えられてしまった。でも、そう言われて悪い気はしない。
「まあ、本当!?」
「ええ。いつもの絵より、ずっと迫力があります。なんというか……本当にそこにいるみたいです」
「そう思う!? 今までは想像しながら描くしかありませんでしたけれど、やはり実際に見ながら描くと違いますのね。筋肉がどう動くのかも、力を入れたときにどんな形になるのかも、この目で見られるんですもの!」
「ええ、それはもう……よくわかります」
セシルはそう答えながら、改めて絵に視線を落とした。しばらく感心したように眺めていたが、なぜかその目がだんだん細まっていく。
「……で?」
くるりとこちらを振り向いたときには、すっかり疑わしげな目つきに変わっていた。
「これ。どこから描いたんです?」
「え? どこってそれはもちろん、中庭の植え込みの陰から――」
そこまで言って、はっと口をつぐむ。恐る恐るセシルを見ると、もはや呆れることすら諦めたような、悟りきった顔がそこにあった。
「……植え込みの陰、ですか」
「の、覗きではありませんわよ!? ヴォルフ様のことをより深く知るための、れっきとした現地取材ですわっ!」
これ以上何か言われる前に、セシルの前からさっと絵を取り上げると、くるくると丸めながら、ぷいと視線を逸らす。
「はいはい。なるほどなるほど。そういうことにしておきます」
どうやら、ここは見逃してくれるらしい。ありがたいことだ。




