白銀の剣士
光が、俺の身体を包んだ。
熱いわけではない。
痛いわけでもない。
けれど、身体の奥から何かを引き抜かれるような、妙な感覚があった。
「う、うおっ……!?」
狼仮面の下で、俺は情けない声を上げた。
足元の魔法陣が輝きを増していく。
その光は、俺の身体から抜け出した何かを吸い上げるように、くるくると回転しながら天へ伸びた。
いや、天ではない。
俺とアビスヒュドラの間。
そこに、新しい魔法陣が展開した。
空洞の床に刻まれるのではなく、空中に浮かぶ巨大な魔法陣。
その中心が、まばゆく輝く。
アビスヒュドラが、九つの首を一斉にこちらへ向けた。
セルティも、ヴィクトルも、ミラたちも、誰もが呆然とその光景を見つめている。
もちろん、俺もだ。
何が起こっているのか、さっぱり分からない。
分からないまま、魔法陣の中から一人の男が現れた。
白銀の鎧。
光を受けて眩しく輝くそれは、俺がショップの画面で何度も眺めて、値段を見て、そっと画面を閉じたレベル百装備だった。
無駄のない全身鎧。
肩から流れる白いマント。
腰には、同じく白銀の剣。
どう見ても、物語の終盤に出てくる勇者である。
ヒーローである。
ちょっと腹が立つくらい、格好いい。
その男が、ゆっくりと顔を上げた。
俺は固まった。
「お……俺!?」
そう。
現れたのは、俺だった。
ただし、明らかに俺ではない。
顔は俺だ。
たぶん、間違いなく俺だ。
けれど、目が違う。
姿勢が違う。
雰囲気が違う。
今の俺が、必死に背伸びをして狼仮面をかぶっている中途半端な冒険者だとするなら、あいつはもう最初から英雄として完成している。
ずるい。
俺なのに。
俺のはずなのに。
なぜ俺より俺が格好いいのか。
そんな、どうでもいいようで、かなり深刻な疑問が頭をよぎった。
その間にも、アビスヒュドラは動いていた。
九つの首が、一斉に口を開く。
毒、麻痺、呪い、睡眠、混乱、冷気、熱風、暗黒、腐食。
見るだけで嫌になるようなブレスが、今度こそ全てを飲み込む勢いで放たれる。
「危ない!」
セルティが叫ぶ。
だが、白銀の俺は動じなかった。
ほんの少しだけ片手を上げる。
「シールドⅢ」
低く、落ち着いた声だった。
俺がさっき叫ぶように使ったシールドとは、何もかも違う。
空間そのものが光に染まり、巨大な半透明の壁が展開した。
壁、というより城壁だった。
九つのブレスが同時にぶつかる。
空洞全体が震えた。
毒霧が渦を巻き、炎が弾け、氷が砕け、黒い呪いの光がうねる。
それでも、シールドは揺るがない。
一歩も。
一寸も。
まるで、そんな攻撃は最初から通るはずがないと言わんばかりに、全てを受け止めていた。
「……同じ魔法、だよな?」
俺は自分の手を見た。
さっきの俺のシールドは、薄い板だった。
必死に支えないと割れそうな、頼りない板だった。
あっちは城壁である。
同じ料理名で、出て来た物が水とステーキくらい違う。
ひどい。
あんまりだ。
アビスヒュドラが苛立ったように首をもたげる。
白銀の俺は、ちらりとこちらを見た。
いや、俺ではない。
俺の後ろで倒れているコッコを見た。
その目が、少しだけ柔らかくなる。
「コッコ」
白銀の俺が呼んだ。
その前方に、巨大な影が立ち上がる。
それは、一羽の勇猛そうな鳥だった。
いや、鳥と呼んでいいのか分からない。
体高三メートル近い巨体。
石のように硬そうな鱗混じりの羽毛。
鋭い嘴。
太い脚。
そして、尾には蛇。
その姿を見た瞬間、俺は理解した。
コッコだ。
レベル百のコッコだ。
「コ、コケ……?」
壁際で倒れていた俺のコッコが、かすかに顔を上げた。
自分の未来の姿を見て、困惑している。
そりゃそうだろう。
俺だって、自分の未来の姿を見て困惑している。
レベル百コッコは、堂々と胸を張った。
そして、アビスヒュドラに向かって、嘴を開く。
「コケェェェェェッ!」
放たれたのは、炎だった。
鳥の嘴から出ていい量ではない。
太い火柱が一直線に伸び、ヒュドラの首の一本を包み込む。
黒い鱗が焼け、肉が焦げ、ヒュドラが初めて本気の悲鳴を上げた。
さらに、尾の蛇が鎌首をもたげる。
蛇の口から、濃い紫の毒ブレスが放たれた。
ヒュドラの毒とは違う。
もっと鋭く、もっと濃く、もっと禍々しい。
それを浴びたヒュドラの胴体が、どす黒く変色していく。
九つの首が暴れた。
だが、レベル百コッコは怯まない。
金色の瞳が、ヒュドラを見据える。
その眼光が、ぴたりとヒュドラの動きを止めた。
石化。
そうとしか思えなかった。
ヒュドラの巨大な身体が、黒い石へ変わっていく。
完全に石になったわけではない。
だが、動きは鈍った。
首の動きが止まり、胴体が軋み、足元の水面まで固まる。
「よくやった!」
白銀の俺が走り出した。
速い。
一歩で岩場を蹴り、二歩目にはもうヒュドラの懐に入っている。
白銀の剣が抜かれた。
その瞬間、空洞が昼になった。
剣から、爆発的な光が噴き上がる。
ただの剣ではない。
剣の形をした極大魔法だ。
いや、極大魔法を剣で振るっているのかもしれない。
どちらにしても、今の俺には理解不能だった。
白銀の俺が、剣を振った。
一刀。
たった一刀だった。
光の刃が、アビスヒュドラの九つの首をまとめて斬り飛ばした。
切断された首が宙を舞う。
だが、地面に落ちる前に、それらは白い炎に包まれた。
燃える。
焼ける。
消えていく。
再生する暇などない。
黒い胴体も、遅れて燃え上がった。
アビスヒュドラは、最後の咆哮すら上げられなかった。
ただ巨大な黒い影が、白い炎の中で崩れ、灰になっていく。
空洞に、静寂が戻った。
「コケコッコ〜!!」
その静寂を破ったのは、レベル百コッコの勝利の雄叫びだった。
高らかで、堂々としていて、やたらと格好いい。
俺のコッコも、壁際で小さく鳴いた。
「こ、こけ……」
多分、感動している。
もしかしたら、憧れているのかもしれない。
俺もだ。
俺も、あの白銀の俺に憧れてしまいそうだった。
自分なのに。
それがまた、悔しい。
白銀の俺は、剣を収めると、ゆっくりと振り返った。
その視線の先にいたのは、セルティだった。
セルティは涙を浮かべていた。
恐怖と安堵と、何か別の感情が混ざったような顔で、白銀の俺を見つめている。
白銀の俺は、迷いなくセルティの前へ歩いた。
そして、そっと手を伸ばす。
セルティの頭を、優しく撫でた。
「よく、頑張ったな」
俺の声だった。
だが、俺が言ったらたぶん噛む。
今の白銀の俺は、噛まない。
格好よく、自然に、当たり前のようにそんなことを言った。
セルティの瞳から、涙がこぼれた。
「リョウマ様……」
様。
今、様って言った。
俺は思わず一歩前に出そうになった。
だが、身体が動かなかった。
いや、動かしてはいけないような気がした。
白銀の俺は、セルティの頬に手を添えた。
二人の距離が近づく。
近づく。
近づく。
そして、熱い口づけを交わした。
空洞の中で、誰も声を出さなかった。
ミラも、ヴィクトルも、第三王子も、冒険者たちも、全員が呆然としている。
俺も呆然としていた。
いや、呆然というより、魂が半分くらい抜けていた。
俺だ。
あれは俺だ。
だから、俺がセルティと口づけした。
理屈ではそうだ。
でも、実際にここにいる俺は、ただ見ているだけだった。
なんだこれ。
俺は一体、何を見せられているんだ。
白銀の俺とセルティは、ゆっくりと唇を離した。
そして、しばらく見つめ合う。
まるで、そこだけ別の物語みたいだった。
俺の出番はない。
レベル二十五の俺の出番など、最初からなかったのかもしれない。
白銀の俺の身体が、光に包まれ始めた。
レベル百コッコも同じように、光の粒になっていく。
召喚時間の終わり。
そう理解した。
白銀の俺は、最後にセルティへ微笑んだ。
セルティは、両手を胸の前で握りしめる。
「リョウマ様」
その声は、震えていた。
けれど、はっきりとしていた。
「また、あなたを喚びます!」
白銀の俺は、何も言わなかった。
ただ静かに頷いた。
そして、光となって消えた。
レベル百コッコも、最後にもう一度だけ高く鳴く。
「コケコッコ〜!」
その声を残して、消えていった。
あとに残ったのは、焼け焦げた岩場と、灰になったアビスヒュドラと、戦いを生き延びた者たち。
そして、狼仮面をかぶったまま立ち尽くす、レベル二十五の俺だった。
セルティは、まだ白銀の俺が消えた場所を見つめている。
「リョウマ様……」
俺は、そっと自分を指差した。
ここにいる。
一応、ここにいる。
同一人物ではある。
たぶん。
だが、声は出なかった。
出せるわけがなかった。
何を言えばいいのか分からない。
俺です。
今のも俺です。
でも、今の俺はあんなに強くないです。
それどころか、さっきまでアイスボルトが効かなくて泣きそうでした。
そんなことを言える雰囲気では、まったくなかった。
俺はただ、ぼろぼろのコッコのもとへ歩いた。
コッコが、力なく俺を見上げる。
「……お前も、いつかああなるのかな」
「コケ……」
かすかな返事だった。
俺はその首元を撫でた。
周囲では、ようやく冒険者たちが歓声を上げ始めている。
アビスヒュドラを倒した。
生き残った。
これ以上ない勝利だ。
それなのに、俺の胸には、何とも言えない敗北感が残っていた。
俺なのに。
俺が勝ったはずなのに。
なぜか、俺だけが負けた気分だった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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