ナーガクイーン
ナーガの群れは、思っていたよりもずっと多かった。
斥候の報告では二十体ぐらいと言っていたはずだが、巣穴の奥から這い出して来たそれは、どう数えても四十体ほどはいる。
半人半蛇。
上半身は人に近いが、下半身は巨大な蛇。手には曲刀や槍を持ち、口元からはチロチロと舌が出ている。
正直、見ていて気持ちのいい相手ではない。
「行くぞ!」
第三王子の号令と同時に、俺たちは突撃を開始した。
先頭を駆けるのは、コッコとフェンリル。
「コケェェェェェ!」
コッコが翼を広げ、地面を蹴る。
体高二メートル近い巨体が、まるで暴走する馬車みたいな勢いでナーガに突っ込んだ。
最初の一体は、もうそれだけで終わった。
胸元に爪を叩き込まれ、吹っ飛んだナーガが壁に激突する。そこへ冒険者の槍が突き刺さり、あっけなく動かなくなった。
その横では、セルティのフェンリルが白い影となって駆け回っている。
ナーガが曲刀を振り上げた瞬間、フェンリルはその懐に潜り込み、喉元へ食らいついた。
速い。
強い。
そして、格好いい。
俺は思わず見惚れそうになり、慌てて自分の前に迫っていたナーガへアイスボルトを撃ち込んだ。
「うおっ、危なっ!」
ナーガの動きが一瞬鈍る。
そこへ俺は魔剣技――ブレイドを発動し、剣に薄い魔力の刃をまとわせて斬りつけた。
硬い。
鱗が思った以上に硬い。
けれど、まったく通らないわけではない。
「こいつ、地味に強いな!」
「地味じゃない! 普通に強い!」
隣の冒険者が叫ぶ。
そりゃそうだ。
こっちは命がけである。
ただ、こちらにはコッコとフェンリルがいる。さらに第三王子のパーティー、ミラのパーティー、他の冒険者たちもいる。
一体一体を確実に潰していけば、戦線は少しずつ押し上がっていった。
ナーガたちは劣勢を悟ったのか、じりじりと奥へ退いていく。
その中には、明らかに普通のナーガとは違う個体も混ざっていた。
体が一回り大きく、鱗の色も濃い。手にしている武器も立派で、目つきがいやに冷たい。
あれが上位体か。
そして、そのさらに奥。
そこに、ひときわ巨大なナーガがいた。
頭には冠のような角。
人間で言えば美女に見えなくもない顔立ちだが、目は完全に爬虫類のそれだ。
ナーガクイーン。
今回の討伐対象である。
「押し込め!」
第三王子が叫ぶ。
俺たちはナーガたちを追い詰めるように、巣穴の奥へと進んだ。
やがて、広い空洞に出る。
中央には暗い池があった。
水面は黒く、底が見えない。どこか腐ったような匂いが漂っている。
その池を背にして、ナーガクイーンと上位体たちが構えた。
逃げ場はない。
だが、そのせいで向こうも死に物狂いになった。
「シャアアアアアアッ!」
上位体の一体が口を開く。
次の瞬間、紫色の霧が吐き出された。
「毒霧だ! 下がれ!」
誰かが叫んだ。
前衛の冒険者たちが慌てて距離を取る。だが、反応の遅れた者が数人、霧を吸い込んで膝をついた。
「うぐっ……!」
「回復班!」
空気が一気に悪くなる。
毒霧が広がれば、前衛はまともに戦えない。コッコもフェンリルも、いくら強くても毒を吸わされ続ければ危ない。
俺は焦ってコッコを呼び戻そうとした。
しかし、その前に第三王子が前へ出る。
「聖なる雨よ、邪なるものを祓え!」
王子の杖が掲げられた。
詠唱に合わせて、空洞の天井付近に白い光が集まっていく。
前にも見た魔法だ。
ホーリーレイン。
「降り注げ!」
光の雨が落ちた。
それはただの雨ではなかった。
一本一本が細い光の槍のように、ナーガたちへ突き刺さっていく。
毒霧が焼けるように消えた。
上位体たちが悲鳴を上げる。
鱗が焼け、肉が裂け、武器を取り落としてのたうち回る。
第三王子の魔法は、やはりとんでもない威力だった。
さっきまで手強かった上位体たちが、次々に崩れ落ちていく。
「すげえ……」
思わず声が漏れた。
だが、まだ終わっていなかった。
光の雨が止んだ時、ナーガクイーンだけが立っていた。
いや、立っているというより、かろうじて身体を起こしているだけだ。
全身は焼けただれ、片腕はだらりと垂れている。冠のような角も一本折れていた。
それでも、その目だけは死んでいない。
憎悪に濁った目が、俺たちを睨みつける。
「シャアアアアアアアアアアッ!」
ナーガクイーンが口を大きく開いた。
まずい。
本能的にそう思った。
あれはただの毒霧じゃない。
もっと濃く、もっと強い何かだ。
第三王子はホーリーレインを撃った直後で、すぐには動けない。前衛も毒霧を警戒して距離を取っている。
そして、コッコとフェンリルは、ナーガクイーンの真正面にいた。
「コッコ!」
俺は叫んだ。
その瞬間、ナーガクイーンの口から、緑黒いブレスが放たれた。
一直線に、コッコとフェンリルへ向かう。
セルティの悲鳴が聞こえた。
俺は走っていた。
考えるより先に、身体が動いていた。
ブレスを防げるはずがない。
普通なら。
けれど、俺にはあった。
さっき、ナーガを倒した直後にレベルが二十五へ上がった。
そして、その時に覚えた魔法。
まだ一度も使っていない。
本当に使えるのかも分からない。
でも、今使わなければ意味がない。
「シールド!」
俺は右手を突き出した。
魔力が一気に抜ける。
視界の前に、半透明の壁が展開した。
思ったよりも薄い。
思ったよりも小さい。
こんなので防げるのか、と一瞬思った。
直後、ブレスがぶつかった。
「ぐっ……!」
重い。
まるで巨大な鉄板を真正面から押しつけられているようだった。
シールドの表面で、緑黒い毒の奔流が弾ける。
ジュウジュウと嫌な音がした。
魔力の壁が削られていく。
腕が震える。
足が後ろへ滑る。
無理だ。
これ、無理だ。
いや、無理じゃない。
後ろにはコッコがいる。
フェンリルがいる。
そして、セルティがいる。
ここで俺が押し負けたら、全部終わる。
「うおおおおおおおっ!」
俺は叫んだ。
格好いい叫びではなかったと思う。
情けないし、必死だし、声も裏返っていた気がする。
それでも、魔力を絞り出した。
シールドが軋む。
割れそうになる。
でも、割れない。
あと少し。
あと少しだけ耐えろ。
「ゴンベエさん!」
セルティの声が聞こえた。
その声で、なぜか力が湧いた。
単純である。
俺はとても単純な男だった。
「耐えろおおおおおっ!」
最後の毒の奔流が、シールドにぶつかって砕け散った。
ブレスが止む。
同時に、俺のシールドもガラスのように砕けた。
膝が崩れそうになる。
だが、その横を二つの影が駆け抜けた。
「コケェェェェェ!」
コッコが跳んだ。
巨大な爪が、ナーガクイーンの胸を抉る。
反対側から、フェンリルが喉元へ食らいつく。
ナーガクイーンが最後の悲鳴を上げた。
そして、その巨体がゆっくりと倒れる。
地面が揺れた。
しばらく、誰も動かなかった。
やがて、誰かが剣を掲げる。
「勝った……!」
その一言を皮切りに、歓声が爆発した。
冒険者たちが叫び、肩を叩き合い、膝をついて笑った。
第三王子も息を切らしながら、満足そうに頷いている。
セルティはフェンリルに駆け寄り、その首筋を抱きしめていた。
そして、俺の方を見た。
「今の、防御魔法……すごかったです」
「あ、いや、その、たまたま使ってみたら……」
俺は顔が熱くなるのを感じた。
狼仮面で本当に良かった。
今の顔を見られたら、たぶん一生立ち直れない。
コッコも俺のそばへ戻って来ると、誇らしげに胸を張った。
「コケッ!」
「お前もよくやった。最高だったぞ」
俺が首元を撫でると、コッコは嬉しそうに目を細めた。
勝った。
ナーガクイーンを倒した。
俺たちは疲れ果てていたが、それ以上に勝利の高揚に包まれていた。
このまま帰れば、大手柄だ。
第三王子の名声も上がるだろうし、セルティたちも評価される。俺も、狼仮面として少しくらいは役に立ったことになる。
そう思った時だった。
ずるり。
嫌な音がした。
最初は、倒れたナーガの身体が崩れただけかと思った。
だが違った。
池だ。
黒い池の水面が、不自然に盛り上がっている。
倒したナーガたちの骸が、ゆっくりと池へ引きずり込まれていた。
「おい……なんだ、あれ」
冒険者の一人が呟く。
ナーガクイーンの巨体までもが、黒い水に飲まれていく。
水面に波紋が広がる。
それは、まるで池そのものが巨大な口であるかのようだった。
俺の背筋に、冷たいものが走る。
勝利の熱が、一瞬で冷めた。
コッコが低く鳴いた。
フェンリルも唸っている。
黒い池の中央が、ぼこり、と泡立った。
そして水面の下から、何か巨大な影がゆっくりと浮かび上がって来た。
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