ラムゼール攻防
結論から言うと、正面からラムゼールに入るのは無理だった。
門は閉じられ、城壁の上には兵士が並び、街道には逆茂木の様なものまで置かれている。
いくら俺が「ただいまー」と手を振って近づいたところで、門番が「おかえりー」と開けてくれる雰囲気ではない。
むしろ、矢が飛んで来る。
いや、さすがに問答無用で撃たれはしないかもしれないが、今の俺は不審者同然である。
下手に調べられれば、説明が面倒な事になる。
「……野宿か」
俺は林の中で、ひとり呟いた。
普通に野宿するだけなら、まだ良い。
だが、近くにはナーガがいた。
しかも、街が厳戒態勢になるほどの数だ。
焚き火をして寝袋で眠るなど、自殺行為である。
俺は仕方なく、ショップを開いた。
こういう時こそ課金アイテムである。
ただし、安い物に限る。
ボルケーノで財布が一度死に、変わり身の果実で蘇生したとはいえ、だからと言って無駄遣いして良い訳ではない。
「隠れられるやつ……隠れられるやつ……」
ラインナップを流し見していると、目に止まる物があった。
ステルス・テント。
設置すると、外部の人間やモンスターから認識されにくくなる野営用テント。
完全な結界ではないが、気配、匂い、音、光をまとめて誤魔化してくれるらしい。
お値段は。
「……高い」
思わず声が出た。
だが、命には代えられない。
ナーガに囲まれて寝込みを襲われるよりは、マシである。
俺は歯を食いしばって購入した。
出て来たのは、一見すると普通の小さなテントだった。
地味な灰色。
派手さはない。
むしろ、見ようによっては安物に見える。
だが、設置して中に入った瞬間、空気が少し変わった。
外の音が遠くなる。
森の匂いも薄くなる。
まるで、自分だけ薄い膜の向こう側に入った様な感じだ。
「おお……これはこれで凄いな」
俺はテントの中で膝を抱えた。
狭い。
でも安全。
狭いけど安全。
安全なら狭さぐらい我慢する。
コッコはインベントリの中だ。
出してやりたい気持ちもあるが、このテントに体高二メートル近いコカトリスは入らない。
入ったとしても、俺が潰れる。
「明日の朝になれば、少しは落ち着いてるだろう」
俺はそう自分に言い聞かせた。
街の厳戒態勢も、夜のうちは解除されない。
明るくなれば、状況も見える。
ナーガがいなければ、門番に適当な理由を言って入れるかもしれない。
そう思って、俺は目を閉じた。
だが、眠りは浅かった。
夜半。
テントの外で、何かが動いた。
ずるり。
ずるり。
草を押し分ける音。
人間の足音ではない。
獣の足音でもない。
何か長いものが、地面を這っている音だ。
俺は息を止めた。
ナーガ。
たぶん、ナーガだ。
テントの効果なのか、外の気配は俺に気づいた様子がない。
だが、一体ではない。
ずるり。
ずるり。
別の方向からも音がする。
さらに遠くからも。
俺は、全身に嫌な汗をかいた。
まだ全滅していない。
いや、昨日倒した群れは、全体の一部に過ぎなかったのかもしれない。
あれだけ倒したのに、まだいるのか。
勘弁して欲しい。
ナーガたちは、テントの近くを何度も通り過ぎた。
時折、湿った息遣いの様な音がする。
言葉はない。
笑い声もない。
ただ、無表情な上半身と、蛇の下半身が、夜の森を進んでいる姿が頭に浮かぶ。
不気味すぎる。
ホラーである。
異世界ファンタジーではなく、深夜の怪談である。
俺はテントの中で、できるだけ小さくなった。
そのまま朝まで、ほとんど眠れなかった。
そして、朝。
空が白み始めた頃、俺はそっとテントの隙間から外を覗いた。
森の中には、もうナーガの姿はない。
だが、嫌な予感は消えなかった。
俺はステルス・テントを収納し、慎重に街が見える場所まで移動した。
そこで、言葉を失った。
ラムゼールの街の前。
城壁の外。
そこに、ナーガの群れがいた。
昨日の比ではない。
数十。
いや、百に近いかもしれない。
蛇身をうねらせ、槍や弓、曲刀を手にしたナーガたちが、街の前に広がっている。
陣形を組んでいる。
正面に盾持ち。
後方に弓持ち。
左右には回り込み用らしき軽装の個体。
さらに奥には、妙に装飾の多い武器を持った大柄なナーガもいる。
街の城壁の上では、兵士たちが固唾を呑んでいた。
門は閉じられている。
だが、あの数にいつまでも籠もっていられるかは分からない。
「……帰りたい」
俺は本音を漏らした。
いや、帰りたい場所は目の前の街なのだが。
その街の前にナーガの大群がいるから帰れない。
どういう事だ。
俺はただ、普通に街へ戻りたいだけなのに。
しかし、このまま隠れて見ている訳にもいかない。
ナーガが街に攻めかかれば、被害が出る。
そして何より、コッコがいる。
昨日の戦いを見る限り、コッコはナーガ相手にかなり有利だ。
ならば、やるしかない。
「……また狼仮面か」
俺はインベントリからブラッディウルフ装備を取り出した。
革鎧を身に着ける。
狼仮面を被る。
リョウマではなく、狼仮面の剣士。
もしくはゴンベエ。
もう自分でも、どれがどれだか分からなくなって来た。
だが、顔を隠せれば何でも良い。
「コッコ、出番だ」
俺はインベントリからコッコを取り出した。
ズゥン、と地面が揺れる。
「コケッ!」
コッコは元気よく鳴いた。
朝から元気で何よりである。
「見ろ。ナーガがいっぱいだ」
「コケェ……」
コッコの目が、すっと細くなった。
昨日の相手を覚えているのだろう。
「奇襲する。最初に思い切り暴れて、陣形を崩すぞ」
「コケッ!」
頼もしい返事だった。
俺はコッコの背中に手を置き、深く息を吸う。
狙うのは、ナーガの側面。
弓持ちのいる辺りだ。
あそこを潰せば、城壁の兵士たちも動きやすくなる。
「行くぞ!」
「コォケコッコォォォォッ!!」
コッコが、朝の空気を裂く様に雄叫びを上げた。
同時に、俺たちは林から飛び出した。
ナーガたちが、こちらを向く。
無表情。
だが、明らかに反応が遅れた。
そりゃそうだ。
背後の林から突然、狼仮面の男と巨大コカトリスが突っ込んで来るなど、普通は想定しない。
「アイスボルト!」
俺は走りながら氷の矢を放つ。
弓持ちのナーガの腕に突き刺さり、弓が落ちた。
その横を、コッコが突き抜ける。
体当たり。
踏みつけ。
嘴の一撃。
ナーガの後列が、一気に崩れた。
悲鳴はない。
ナーガたちは声を上げない。
ただ、陣形だけが乱れる。
その無言の混乱が、逆に不気味だった。
「アイスウォール!」
俺はナーガたちの退路を塞ぐ様に氷の壁を出した。
完全に止める必要はない。
一瞬でも動きを乱せれば良い。
そこへコッコが突っ込む。
「コケェェェッ!」
羽を広げ、巨大な脚でナーガを蹴散らす。
昨日より動きが良い。
たぶん、相手が分かっているからだ。
俺はその後ろからブレイドを展開し、迫って来るナーガの槍を弾いた。
重い。
やはりナーガは強い。
だが、今は一人ではない。
いや、一人と一羽だ。
それだけで全然違う。
そして、こちらの奇襲は、街の側にも届いた。
城壁の上で、兵士たちが叫んでいる。
鐘の音が鳴る。
門の内側で、大きな音がした。
次の瞬間、閉じられていた門が開いた。
「打って出るぞ!」
遠くから、力強い声が響いた。
ラムゼール側の兵士たちが、門から飛び出して来る。
ただの兵士だけではない。
冒険者もいる。
魔法学院の生徒らしき者たちもいる。
彼らは、ナーガの正面へと押し寄せた。
もともと、ナーガは街に攻める為に陣形を組んでいた。
そこへ、俺とコッコが後ろから食い破った。
さらに正面からラムゼール勢が打って出た。
挟撃である。
ナーガの陣形は、完全に崩れた。
「すげぇ、あのコカトリス!」
「狼仮面だ! 狼仮面の剣士がいるぞ!」
「今だ、押し込め!」
聞き覚えのある様なない様な声が飛び交う。
俺は聞こえないふりをした。
目立っている。
ものすごく目立っている。
だが、今さら引っ込めない。
「コッコ、正面は任せる! 俺は横を抑える!」
「コケッ!」
コッコは了解した様に鳴くと、ナーガの塊へ突っ込んだ。
俺は横から回り込もうとするナーガを、アイスウォールで止める。
そこへラムゼール側の魔法が飛んだ。
炎。
雷。
風の刃。
複数の魔法が、ナーガの群れを叩く。
やはり街側の戦力は大きい。
正面から戦えば被害が出ただろうが、陣形を崩した今なら、十分に押せる。
やがて、ナーガたちは次々と倒れていった。
光の粒になって消えるもの。
ドロップを残すもの。
逃げようとして、冒険者に斬られるもの。
無表情のまま戦い続ける姿は最後まで不気味だったが、数は確実に減っていく。
そして、最後の一団が崩れた時、戦場に歓声が上がった。
「勝ったぞ!」
「ナーガを押し返した!」
「門の外を確保しろ!」
俺は荒い息を吐きながら、剣を下ろした。
コッコはまだ元気そうだ。
嘴の先でナーガの槍をつついている。
食べ物ではないぞ。
たぶん。
「ゴンベエ殿!」
その声に、俺は固まった。
聞き覚えがある。
ありすぎる。
振り返ると、そこに第三王子ヴィクトルがいた。
鎧を身に着け、剣を手にし、数人の仲間を従えている。
その姿は、昨日までの王子というより、一人の戦士だった。
そして、そのすぐ後ろに――――
セルティがいた。
俺の心臓が、変な音を立てた。
銀色の髪。
凛とした顔立ち。
手にした武器。
戦いの熱が残る姿。
間違いなく、セルティだ。
会いたかった。
ずっと会いたかった。
だが、今の俺は狼仮面を被っている。
ゴンベエであり、狼仮面の剣士であり、リョウマではない。
いや、リョウマなのだが、名乗れない。
名乗ったら終わる。
たぶん色々終わる。
「あ、ああ、殿下」
俺は声を作って答えた。
狼仮面の下で、顔面が忙しい事になっている。
嬉しい。
驚いた。
焦った。
逃げたい。
話したい。
名乗りたい。
名乗れない。
感情がぐちゃぐちゃである。
たぶん仮面がなかったら、百面相どころでは済まなかった。
顔だけで変わり身の果実を超えていたかもしれない。
「見事だった」
ヴィクトルは満面の笑みで言った。
「貴殿とコッコ殿の奇襲がなければ、こちらの被害は大きくなっていた」
「いえ、成り行きで……」
「また成り行きか」
ヴィクトルが楽しそうに笑う。
セルティの視線が、こちらへ向いた。
俺は内心で悲鳴を上げた。
見るな。
いや、見て欲しい。
でも見るな。
どっちだ俺。
「その方が、狼仮面の剣士……」
セルティが呟いた。
声を聞いただけで、胸が締めつけられる。
俺は仮面の下で、さらに表情を変えた。
たぶん、泣きそうな顔と笑いそうな顔と挙動不審な顔が、同時に来ていた。
「コケ?」
コッコが不思議そうに俺を見た。
やめろ。
今は見るな。
俺の動揺を察するな。
「ゴンベエ殿」
ヴィクトルは、何もかも分かっていそうな顔で言った。
いや、実際かなり分かっているのだろう。
この王子、鑑定持ちだし、妙に勘も良い。
「実は、まだ終わっていない」
「……と、言いますと?」
「斥候の報告によれば、このナーガの群れには上位個体がいる。おそらくナーガクイーンだ」
嫌な名前が出た。
クイーン。
群れの女王。
普通に考えて、強い。
絶対に強い。
そして面倒くさい。
「現在、別働隊が足跡を追っている。だが、相手が相手だ。半端な戦力では返り討ちに遭う」
「それで?」
聞きたくない。
聞きたくないが、流れで聞いてしまった。
ヴィクトルは、実に爽やかな笑顔を浮かべた。
「一緒にナーガクイーンを討伐しよう、ゴンベエ殿」
来た。
やっぱり来た。
俺は空を見上げた。
朝の空は青かった。
実に爽やかだった。
だが、俺の心は全然爽やかではない。
目の前にはセルティ。
横には上機嫌の第三王子。
足元にはナーガのドロップ品。
そして次の目的地は、ナーガクイーン討伐。
俺はただ、街に戻りたかっただけなのに。
「……承知しました」
結局、そう答えるしかなかった。
ヴィクトルは嬉しそうに頷いた。
セルティは、静かに俺を見ている。
俺は狼仮面の下で、また一つ変な顔をした。
頼む。
誰か。
俺に平穏な一日をくれ。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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