ラムゼール
翌朝。
俺は、第三王子ヴィクトル殿下と同じ馬車に乗せられていた。
王族の馬車である。
広い。
揺れが少ない。
椅子がふかふか。
窓には上等そうな布がかかっており、外から中は見えにくい。内側には小さなテーブルまである。
正直、落ち着かない。
昨日までブランゼール公爵の地下牢に入れられていた男が、今日は第三王子の馬車で移動しているのだ。
人生の振れ幅が大きすぎる。
「そう硬くなるな、リョウマ殿」
向かいに座るヴィクトルが、楽しそうに言った。
「いえ、硬くもなりますよ」
「なぜだ?」
「王子殿下と同じ馬車に乗っているからです」
「命の恩人なのだから、当然だろう」
「その当然が、一般庶民には重いのです」
俺がそう言うと、ヴィクトルは面白そうに笑った。
この王子、やはり悪い人ではない。
悪い人ではないのだが、こちらの胃に負担をかけてくる。
馬車の中にいるのは、俺とヴィクトル、それから護衛兼側近のバルガス、そして黒装束ではない普通の旅装に着替えたカゲロウだけだった。
コッコは、馬車の外だ。
最初は馬車の後ろを歩かせるつもりだったのだが、馬たちが全力で嫌がった為、今は少し離れた後方を、とことこついて来ている。
コッコ本人は、王子の護衛兵たちに見られながら歩くのが楽しいらしく、妙に胸を張っていた。
可愛い。
ただし、馬には申し訳ない。
「それで、殿下」
「ヴィクトルで良い」
「無理です」
「では、二人の時だけでも」
「二人きりになる予定を作らないで下さい」
「ははは」
笑い事ではない。
「殿下は、これから魔法学院へ戻られるのですか?」
「ああ。ラムゼールにな」
「ラムゼール?」
俺は首を傾げた。
「魔法学院のある街は、そんな名前だったのですか?」
「知らなかったのか?」
「はい。街の名前まで気にしていませんでした」
正直、俺の中ではずっと『自分が活動している街』だった。
我ながら雑である。
いや、急にこの世界に来て、生活するだけで精一杯だったのだ。街の正式名称を聞き流していても仕方ない。
「ラムゼールは、王国でも有数の大都市だ。魔法学院がある事で有名だな」
「ゼールというのは、街の名前によく付くのですか?」
「大きな街や古い拠点につく事が多い。古語で、城塞都市、あるいは栄えた地を意味する。ブランゼール公爵家の名も、元は同じだ」
「なるほど」
ブランゼール。
ラムゼール。
確かに似ている。
俺は今さらながら、この世界の地名について何も知らない事に気づいた。
レベル上げだの、コッコだの、セルティだので頭がいっぱいだったからな。
仕方ない。
仕方ないが、もう少し勉強した方が良いのかもしれない。
「それはそれとして、リョウマ殿」
ヴィクトルが、にこやかに言った。
「そろそろ素顔を見せてくれないか」
「……来ましたか」
「来たとも」
王子は楽しそうだった。
俺はため息をつきたくなった。
現在の俺は、まだゴンベエの姿である。
昨日からずっと、見た目は見知らぬオッサンだ。変わり身の果実の効果で、鑑定結果もゴンベエになっている筈である。
だが、今の馬車の中にいる人数は少ない。
ヴィクトルは俺の正体を知っている。
バルガスも、ある程度は聞かされているだろう。
カゲロウに至っては、どこまで知っているのか分からない。こういう人間に隠し事が通じる気がしない。
俺は小さく息を吐いた。
「分かりました。ただし、他言無用でお願いします」
「無論だ」
「殿下の無論は、少し軽く聞こえます」
「信用がないな」
「昨日からの付き合いですので」
「それもそうか」
ヴィクトルは笑った。
俺は、元の姿に戻る事を意識する。
すると、身体の輪郭がふっと揺らいだ。
視界の高さが少し変わる。
手の形も、腕の太さも変わる。
ゴンベエという見知らぬオッサンの姿がほどけ、元のリョウマの姿に戻っていく。
変な感覚だ。
自分が自分に戻るだけなのに、どこか服を脱ぐ様な恥ずかしさがある。
「……これが、本来の姿です」
俺は狼仮面も外した。
馬車の中が、一瞬だけ静かになる。
ヴィクトルは、俺の顔をじっと見た。
そして、深く頷く。
「やはり、あの時に召喚された人間だったのだな」
「……あの時?」
「最初の召喚だ。戦闘の最中の」
俺の背筋に、嫌な汗が流れた。
そうか。
第三王子は、あの場にもいた。
そして、この王子は鑑定持ちだ。
「殿下、あの時も鑑定を?」
「ああ」
ヴィクトルはあっさり頷いた。
「召喚された人間など、滅多に見られるものではないからな。興味があった」
「興味本位で鑑定されていたのですか」
「悪いとは思っている」
「思っている顔ではありませんね」
「少しは思っている」
少しなのか。
「ただ、あの時の君は、レベル一でスキルなしだった」
ヴィクトルは、真面目な声になった。
「名前はリョウマ。だが、それ以外は拍子抜けするほど何もなかった。だから、野外演習で狼仮面の剣士を鑑定した時は、驚いた」
「……でしょうね」
「名前は同じリョウマ。だが、レベルも能力もまるで違う。最初は、同じ名前の別人かとも思った」
そりゃそうだ。
レベル一、スキルなし。
それが短期間で、コッコを連れ、魔法剣を使い、バフォメットと戦っていたのだ。
怪しいにも程がある。
俺が逆の立場でも疑う。
「だが、昨夜の変わり身の果実を見て、確信した。君には、我々の知らない手段がある」
「……まあ、少しは」
「少し、か」
ヴィクトルは、実に楽しそうに笑った。
「少しで、バフォメットを倒し、公爵邸の地下牢を破り、夜空に極大魔法を放つのか」
「言い方に悪意があります」
「事実だ」
「事実なのが困るんです」
俺は頭を抱えたくなった。
隠していたつもりの秘密が、気づけば王子に次々知られている。
しかも、相手は敵ではない。
味方寄りで、好意的で、楽しそうで、だからこそ厄介だ。
「リョウマ殿」
「はい」
「聞かせてもらう事が、また増えたな」
ヴィクトルは、なぜか嬉しそうに言った。
普通、秘密が増えれば面倒そうにするものではないのか。
この王子は違う。
謎が増えるほど、目が輝く。
学者肌なのか、冒険者気質なのか、それとも王族特有の好奇心なのか。
どれでもいいが、俺としては非常に困る。
「できれば、あまり根掘り葉掘り聞かないでいただけると助かります」
「善処しよう」
「その言い方は、聞く気がある人の言い方です」
「鋭いな」
「鋭くなくても分かります」
バルガスが、こらえきれない様に小さく咳払いした。
たぶん笑いを誤魔化したのだろう。
カゲロウは無表情だ。
いや、目元だけ少し笑っている気がする。
この馬車、俺の味方がいない。
外のコッコだけだ。
コッコだけが癒やしである。
馬車は順調に進んだ。
王都を離れ、街道を走る。
護衛の兵たちはきびきびと動き、無駄話も少ない。
ブランゼール公爵の私兵たちとは、やはり雰囲気が違った。
俺は窓の外を眺めながら、これからの事を考えた。
ブランゼール公爵は、おそらく失脚する。
少なくとも、今まで通りにはいかないだろう。
だが、これで終わりとは思えない。
第二王子派。
魔法学院。
セルティ。
そして、俺の正体を知った第三王子。
ややこしい糸が、どんどん絡まっていく。
俺はただ、目立たずにレベルを上げて、セルティを助けられるぐらい強くなりたかっただけなのに。
なぜ、王族と一緒に馬車に乗っているのだろう。
人生、不思議である。
「そろそろラムゼールが近い」
しばらくして、バルガスが言った。
ヴィクトルは俺を見る。
「街の中まで送っても良いが?」
「やめて下さい」
俺は即答した。
「王子殿下の馬車から私が降りたら、ものすごく目立ちます」
「もう十分目立っていると思うが」
「これ以上は困ります」
「そうか。では、人目の少ない場所で降ろそう」
珍しく、あっさり聞いてくれた。
いや、珍しくと言うのは失礼か。
だが、これまでの振り回されっぷりを考えると、そう思ってしまう。
馬車は街道から少し外れた。
林に囲まれた、人けのない場所で止まる。
俺はそこで降りた。
コッコも、とことこと近づいて来る。
何となく誇らしげだ。
長旅をやり遂げた気分なのかもしれない。
「ここで一度別れよう」
ヴィクトルも馬車から顔を出した。
「私は学院へ戻る。リョウマ殿は?」
「少し狩りをしてから、いつもの冒険者の体で街へ戻ります」
「なるほど。身分の使い分けか」
「言い方が悪いです」
「では、慎重な行動と言っておこう」
「その方がまだ良いです」
ヴィクトルは笑った。
「近いうちに、また会う事になるだろう」
「できれば、穏やかな用件でお願いします」
「努力しよう」
「殿下の努力は信用して良いのか迷います」
「そこは信用してくれ」
俺は曖昧に頭を下げた。
馬車が動き出す。
護衛の兵たちも続いていく。
カゲロウはいつの間にか馬車の影に紛れていて、最後まで気配が薄かった。
あれは本当に人間なのだろうか。
忍者っぽい何かなのではないか。
やがて、第三王子の一行は街道の向こうへ消えていった。
俺は林の中に残される。
ようやく一人――いや、一人と一羽になった。
「コッコ」
「コケ?」
「……ややこしい事になったなぁ」
「コケェ」
コッコは、よく分かっていない顔で鳴いた。
だが、その声はどこか慰めてくれている様にも聞こえた。
俺は苦笑し、コッコの首元を撫でる。
「少し狩りをして、気分を切り替えるか」
「コケッ!」
コッコは嬉しそうに胸を張った。
やっぱり戦うの好きだな、この子。
俺はブラッディウルフ装備を確認し、狼仮面を被り直す。
リョウマとして街へ戻る前に、適当な魔物を狩っておく。
そうすれば、外で活動していた理由にもなるし、少しはレベル上げにもなる。
我ながら、姑息な帳尻合わせである。
だが、今の俺にはそういう細かい誤魔化しが必要だった。
王子に正体を知られた。
公爵に喧嘩を売った。
王都の夜空に極大魔法を撃った。
そして、またラムゼールに戻って来た。
普通の冒険者として、いつもの顔で。
「……本当に、普通って何だろうな」
俺はそう呟きながら、コッコと共に林の奥へ歩き出した。
せめて今日ぐらいは、平穏に街へ帰れますように。
そう願った。
だが、自分でも分かっていた。
俺のそういう願いは、大体叶わないのだ。
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