第三王子との面会
通された部屋は、いかにも王族の応接室だった。
広い。
天井が高い。
椅子がふかふかそう。
置かれている調度品も、たぶん一つ一つが俺の人生より高い。
いや、俺の人生を金額換算するのもどうかと思うが、少なくとも今の俺が気軽に買える物ではない。
そんな場所に、狼仮面を被った怪しいオッサンと、体高二メートル近いコカトリスが通されたのだから、部屋の空気も妙なものになっていた。
兵士たちは平静を装っている。
使用人たちも、できるだけ表情を変えない様にしている。
だが、目だけは正直だった。
コッコを見ている。
めちゃくちゃ見ている。
「コケ?」
コッコが首を傾げると、近くの侍女が小さく肩を跳ねさせた。
うん。
怖いよね。
でも可愛いんだ。
分かって欲しい。
「殿下がお見えになります」
バルガスがそう言って、姿勢を正した。
俺も慌てて背筋を伸ばす。
次の瞬間、奥の扉が開いた。
現れたのは、野外演習で見た第三王子ヴィクトルだった。
年齢は俺と同じぐらい。いや、今のゴンベエの姿から見れば、かなり下になるのだろう。
だが、纏っている空気は軽くない。
若いのに、妙な落ち着きがある。
ただし、その目はどこか楽しそうだった。
「よく来てくれた、ゴンベエ殿」
ヴィクトルは、最初からにこやかだった。
「まずは礼を言わせて欲しい。野外演習の折、私は貴殿に命を救われた。私だけではない。多くの学院生も、冒険者もだ」
「いえ、成り行きでございます」
「その成り行きで命を救われた者としては、感謝せずにはいられない」
王子は、素直に頭を下げた。
周囲の側近たちが、わずかにざわつく。
王子が得体の知れない男に頭を下げるなど、普通ではないのだろう。
俺も困る。
偉い人に頭を下げられると、どう反応して良いか分からない。
「殿下、頭をお上げ下さい。私の方こそ、今夜は助けていただきました」
「それは当然だ。救われた命の借りを、少し返しただけだからな」
ヴィクトルは顔を上げると、視線を俺からコッコへ移した。
その目が、明らかに輝いた。
「ところで、ゴンベエ殿」
「はい」
「その子に触っても良いだろうか」
「殿下!」
側近らしき老臣が、即座に声を上げた。
「危険でございます! コカトリスですぞ!」
「分かっている」
「分かっておられるなら、なおさらです!」
「だが、彼の相棒なのだろう? それなら、むやみに人を襲う事はあるまい」
ヴィクトルは、子供の様にわくわくした顔で言った。
いや、王子。
その信頼は嬉しいが、コッコは一応、バフォメットを踏み潰した直後です。
「コッコ、触らせても良いか?」
「コケ?」
俺が尋ねると、コッコはヴィクトルをじっと見た。
ヴィクトルは正面から見返す。
怖がらない。
退かない。
その態度が気に入ったのか、コッコは少しだけ頭を下げた。
「コケ」
「良いそうです」
「本当か!」
ヴィクトルは一歩踏み出した。
側近たちが一斉に止めようとする。
だが、王子は軽やかにその隙間を抜け、コッコの前に立った。
そして、そっと首元の羽毛に手を伸ばす。
「……おお」
ヴィクトルの顔が、ぱっと明るくなった。
「温かい。羽も硬いかと思ったが、意外に柔らかいな」
「首の辺りは特に手触りが良いです」
「なるほど」
ヴィクトルは真剣な顔で頷くと、両手でコッコの首元を撫でた。
「コケェ……」
コッコが気持ち良さそうに目を細める。
側近たちは真っ青だ。
バルガスでさえ、少しだけ目を見開いている。
だが、ヴィクトルは完全に楽しんでいた。
「可愛いな」
「分かりますか」
「分かるとも。凛々しく、愛嬌もある。良い相棒だな、リョウマ殿」
「ええ、本当に――――」
そこで、俺は固まった。
今、何と言った?
リョウマ殿。
確かに、そう聞こえた。
俺は狼仮面の下で、全身から冷や汗を噴き出した。
いやいやいや。
待て。
今の俺はゴンベエだ。
変わり身の果実で姿を変えている。
ただ顔が変わるだけではない。鑑定結果まで欺ける筈だ。名前も能力も、今はゴンベエになっている筈なのだ。
なのに。
「殿下」
俺は慎重に口を開いた。
「今、何と?」
「リョウマ殿、と」
ヴィクトルはコッコに抱きついたまま、実にあっさりと言った。
「……なぜ、その名を?」
「野外演習の時に鑑定したからだ」
答えは簡単だった。
あまりにも簡単すぎて、俺は逆に膝から崩れそうになった。
そうか。
そうだった。
野外演習の時、俺は身代わりの果実を使っていない。
ブラッディウルフ装備を着込み、狼仮面で顔を隠していただけだ。
顔は見えない。
だが、鑑定には関係ない。
つまり、鑑定持ちが見れば、普通に名前が出る。
リョウマと。
「……やってしまった」
俺は小さく呟いた。
「何か事情があるのだろう?」
ヴィクトルは、ようやくコッコから離れた。
少し名残惜しそうだった。
コッコも名残惜しそうだった。
何だろう。
この二人、仲良くなるの早くないか。
「今の貴殿は、鑑定上もゴンベエになっている。姿も違う。だが、あの時の狼仮面の剣士がリョウマ殿である事は、私がこの目で確認している」
「殿下は鑑定をお持ちでしたか」
「ああ。便利だが、見たくないものまで見える事がある」
少しだけ、ヴィクトルの声が重くなった。
だが、すぐにまた好奇心の色が戻る。
「それで、どうやったのだ? 姿だけなら魔道具もある。だが、鑑定結果まで変えるとなると、ただ事ではない」
隠し通すべきか。
一瞬だけ迷った。
だが、もう正体は割れている。
ここで下手に嘘を重ねても、良い事はなさそうだ。
俺はインベントリから、変わり身の果実を一つ取り出した。
見た目は、やや奇妙な色をした果物である。
赤とも紫とも言い切れない皮に、うっすらと金色の筋が入っている。
「これです。変わり身の果実。食べると姿が変わります。鑑定結果も変わる様です」
ヴィクトルの目が、また輝いた。
さっきコッコを見た時と同じか、それ以上である。
「試しても良いか?」
「えっ」
「無論、私ではない」
ヴィクトルは振り返った。
「セドリック」
「はっ」
側近の一人、四十前後の生真面目そうな男が前に出た。
「食べろ」
「……殿下?」
「安心しろ。危険ならリョウマ殿が出さない」
いや、そこまで信頼されるのも困る。
俺自身、ショップの説明を信じて使っているだけなのだ。
だが、今さら止める隙もなく、セドリックは覚悟を決めた顔で果実を受け取った。
「失礼」
そう言って、一口齧る。
次の瞬間、部屋の中に薄い光が広がった。
セドリックの身体が揺らぎ、輪郭が変わっていく。
背が少し低くなり、肩幅が狭くなる。
髪が伸び、顔つきが変わり、声を上げる間もなく――――
そこには、若い女性が立っていた。
部屋が静まり返る。
「……セドリック?」
ヴィクトルが尋ねる。
「は、はい、殿下」
返事は、完全に若い女性の声だった。
側近たちが絶句する。
バルガスが咳き込む。
俺も、実物を見るのは自分以外では初めてなので、ちょっと驚いた。
変わり身の果実、容赦ないな。
「鑑定結果は……」
ヴィクトルが目を細めた。
「……白い」
「白い?」
「名も、職も、能力も、ほぼ空欄だ。設定前の仮面を見ている様だな。なるほど。自由に名乗れるという事か」
ヴィクトルは楽しそうに頷いた。
セドリックは、自分の手や髪を見て硬直している。
「戻りたいと思えば、戻れます」
俺は慌てて説明した。
「自分が本来の姿に戻ろうとすれば、戻れる筈です」
「セドリック、戻れ」
「は、はい!」
セドリックがぎゅっと目を閉じる。
すると再び光が揺れ、すぐに元の生真面目そうな男へ戻った。
彼は自分の身体を確認し、大きく息を吐いた。
「……心臓に悪いです、殿下」
「貴重な経験だったな」
「二度とご免です」
「そうか」
ヴィクトルは、まったく悪びれていなかった。
この王子、友好的ではある。
友好的ではあるのだが、相手を振り回す事にためらいがない。
「リョウマ殿」
「はい」
「その果実は、もうないのか?」
来た。
聞かれると思った。
俺は少し迷った。
ショップで買えるとは言え、秘密にしておきたいアイテムではある。
だが、ここで一つもないと言うのも不自然だ。
俺は、もう一つだけ取り出した。
「これが最後です」
嘘ではない。
少なくとも、今ここで出す分としては最後だ。
「譲って欲しい」
ヴィクトルは即答した。
「これは、暗殺や誘拐、敵地脱出の際に使える。王族の緊急用として、価値がある」
「まあ、それはそうでしょうが」
「代価は払う」
ヴィクトルが合図すると、側近が小箱を持って来た。
開かれた中には、金色に輝く大きな硬貨が十枚。
普通の金貨より、さらに重そうな輝きがある。
「大金貨十枚だ」
「……はい?」
「少ないか?」
「多いです」
即答した。
大金貨一枚が、だいたい百万円相当の筈だ。
つまり十枚で一千万円。
果実一個で一千万円。
いや、課金アイテムだから安い訳はないが、それにしても現実味がない。
「受け取ってくれ」
「いや、しかし」
「これは取引だ。貴殿への借りとは別にする」
そう言われると、断りにくい。
というより、ヴィクトルはもう果実を自分のアイテムポシェットに仕舞っていた。
早い。
判断も行動も早い。
そして、俺の前には大金貨の小箱だけが残された。
「……ありがたく頂戴します」
俺は小箱をインベントリに入れた。
手が少し震えた。
財布は先ほどボルケーノで重傷を負ったが、今ので一気に蘇生した。
むしろ強化された。
「さて、リョウマ殿」
ヴィクトルは上機嫌だった。
「改めて、褒賞を考えたい。何か望みはあるか?」
「いえ、今、大金貨をいただいたばかりですし……」
「あれは果実の代価だ。褒賞ではない」
「そう言われましても」
欲しい物。
そう考えた時、一瞬だけセルティの顔が浮かんだ。
彼女に会いたい。
彼女を助けたい。
いや、そもそも俺はその為に動いている。
だが、それをここで口に出す訳にはいかない。
王子に「セルティさんとの縁を取り持って下さい」などと言える訳がない。
そんな事を言ったら、俺はもう狼仮面ではなく、ただの不審者である。
「特には、ありません」
「無欲だな」
「欲がない訳ではありませんが、今すぐ口に出せるものはありません」
「ふむ」
ヴィクトルは少し考えた。
そして、ぽんと手を打った。
「では、屋敷を用意しよう」
「はい?」
「王都に滞在する拠点が必要だろう。貴殿の様な者を宿に置いておくのは惜しい。小さめの屋敷を一つ用意する」
「お待ち下さい」
俺は慌てた。
「屋敷は困ります」
「なぜだ?」
「管理できません。使用人もいません。そもそも私は流浪の修行者という設定で……」
「設定?」
「いえ、何でもありません」
危ない。
口が滑った。
ヴィクトルはにこにこしている。
聞こえていた気もするが、追及するつもりはないらしい。
「使用人はこちらで手配する」
「そういう問題ではなく」
「コッコ殿が入れる厩舎も必要だな。いや、厩舎では失礼か。専用の小屋を作らせるか」
「コケッ!」
コッコが嬉しそうに鳴いた。
こら。
乗るな。
王子の提案に乗るな。
「ほら、コッコ殿も気に入った様だ」
「殿下、今のはたぶん意味を分かっていません」
「なら、分かればもっと喜ぶな」
駄目だ。
この王子、押しが強い。
好意的なのは分かる。
むしろ、好意的すぎる。
その好意が、ものすごい勢いで俺を巻き込んでいく。
「屋敷については、ひとまず保留でお願いします」
「保留か」
「はい。せめて、もう少し状況が落ち着いてからで」
「分かった。では、候補だけ見繕わせておこう」
保留とは。
俺の知っている保留と違う。
だが、これ以上言っても無駄そうだった。
ヴィクトルは終始上機嫌だった。
コッコを撫でられた事。
変わり身の果実という貴重な品を手に入れた事。
そして、ブランゼール公爵を追い詰める材料が揃った事。
理由はいくつもあるのだろう。
その全部が、俺を中心に回っている様な気がして、正直落ち着かない。
「今夜は疲れただろう。客室を用意させる」
「ありがとうございます」
「明日以降、改めて話をしよう。リョウマ殿」
「……はい」
もう隠す気も失せてきた。
とはいえ、他の者に顔を見られる訳にはいかない。
俺はゴンベエの姿のまま、狼仮面を被り直した。
ヴィクトルはそれを見て、また楽しそうに笑った。
「貴殿は面白いな」
「私は、平穏に生きたいだけなのですが」
「平穏を望む者ほど、騒動の中心にいるものだ」
「嫌な真理を言わないで下さい」
ヴィクトルは声を上げて笑った。
その笑い声を聞きながら、俺は思った。
この王子は敵ではない。
少なくとも、今のところは味方だ。
だが、味方だからといって、安心できるとは限らない。
ブランゼール公爵は悪意で俺を振り回した。
そして第三王子ヴィクトルは、善意と好奇心で俺を振り回す。
どちらが厄介かは、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは――――
今夜も、俺はまともに眠れそうにないという事だった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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