正規兵と忍者
「救出?」
「そうだ。貴殿がブランゼール公爵家に連行されたとの報を受け、殿下は即座に動かれた」
「それは……ありがたい」
本当にありがたい。
正直、ここからどう逃げるか、まだ具体的には考えていなかった。
コッコに乗って塀を越える案はあったが、王都のど真ん中で巨大コカトリスに騎乗して疾走するオッサンという絵面は、あまりにも怪しすぎる。
いや、今さらかもしれないが。
「ただ、救出と言うなら、少し遅かったな」
俺は苦笑した。
「地下牢からは自力で出て来た」
「その様だな。先ほどの炎は?」
「威嚇だ。空に向けて撃った」
バルガスは一瞬だけ夜空を見上げた。
まだ赤い残光が雲に残っている。
王都中が、今の魔法を見た筈だ。
「……あれを威嚇で済ませるのか」
「地面に撃っていたら、威嚇では済まなかった」
「それはそうだろうな」
バルガスは、少しだけ口元を歪めた。
笑ったのだろうか。
すぐに真顔に戻ったので、よく分からない。
「状況を確認したい。ブランゼール公爵は?」
「地下牢にいる。動けない状態だ」
「殺したのか?」
「いや。コッコの石化で固めた。おそらく丸一日ぐらいは動けない」
「……コッコ?」
「この子だ」
「コケッ」
コッコが胸を張った。
バルガスは、ほんの一瞬だけ眉を上げた。
だが、それだけだった。
「了解した。公爵の身柄を確保する。案内を頼めるか」
「もちろんだ。ただ、その前に言っておく。地下で公爵は、私にバフォメットをけしかけた」
周囲の兵士たちの空気が、わずかに鋭くなる。
バルガスの目も細くなった。
「バフォメットだと?」
「ああ。ローブの男が召喚した。おそらく、野外演習で第三王子殿下や学院生たちを襲わせたものと同じ類だろう」
「証拠は?」
「召喚した男も、命じた公爵も地下で固まっている。バフォメットの魔石と角の欠片も回収した」
俺はインベントリから、黒い魔石と角の欠片を取り出して見せた。
バルガスは、それを慎重に受け取る。
「確かに、ただの魔物の残骸ではないな」
「ただし、公爵自身の口から、はっきりと『私がやった』とまでは聞いていない。余計な真似をした、とは言っていたが」
「十分に重い言葉だ」
「だが、私だけの証言では弱いだろう。相手は公爵だ」
「その心配はない」
不意に、背後から声がした。
俺は反射的に振り返った。
誰もいない。
いや、いた。
庭の植え込みの影。
そこから、すうっと一人の男が現れた。
黒い装束。
黒い布で口元を覆い、腰には短い刃物が何本も差してある。
背丈は高くない。
細身だ。
だが、立ち姿に隙がない。
忍者だ。
いや、この世界に忍者がいるのかどうかは知らない。
だが、俺の知識で表現するなら、完全に忍者である。
「うわ、出た」
思わず言ってしまった。
黒装束の男は、ほんの少しだけ目を細めた。
笑ったのかもしれない。
「驚かせたなら、失礼」
「いや、驚かせる気満々の出方だっただろう」
「職業柄」
「便利な言葉だな、職業柄」
バルガスが、俺たちの会話を遮る様に咳払いした。
「カゲロウ。報告を」
「はっ」
黒装束の男――カゲロウは、膝をつくでもなく、ただ静かに頭を下げた。
「第三王子殿下の命により、ブランゼール公爵邸を監視しておりました。ゴンベエ殿が地下牢へ入れられた後、地下通路の換気孔より内部を確認。公爵がゴンベエ殿を尋問し、ローブの男に命じてバフォメットを召喚させた事、その後ゴンベエ殿のコカトリスが公爵らを行動不能にし、バフォメットを撃破した事、すべて見聞きしております」
「換気孔……」
俺は地下牢の天井を思い出した。
あったか?
そんなもの。
全然気づかなかった。
いや、まあ、俺は鉄格子と公爵とバフォメットで手一杯だったからな。
「つまり、証人になってくれるのか?」
「必要ならば」
カゲロウは短く答えた。
「ただし、私は表に出る者ではありません。殿下への報告が主となります」
「十分だ」
バルガスが頷いた。
「殿下が動く根拠になる」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
良かった。
これで、ただ公爵邸で暴れた怪しいオッサンではなくなる。
いや、完全には無理か。
俺は公爵邸で地下牢を壊し、バフォメットを倒し、庭で極大魔法を夜空にぶっ放した怪しいオッサンである。
改めて考えると、なかなか酷い。
「ゴンベエ殿」
バルガスが言った。
「この後、貴殿には第三王子殿下の屋敷まで同行願いたい。殿下が直接話を聞きたいとの事だ」
「また屋敷か」
俺は思わず呟いた。
今日は屋敷から屋敷へ運ばれる日らしい。
できれば宿で寝たい。
すごく寝たい。
地下牢での緊張と、極大魔法スクロールを使った精神的な出費で、俺の心はもうくたくただ。
「捕まる訳ではないのだな?」
「もちろんだ。貴殿は救出対象であり、重要な証人でもある」
「扱いが良くなったな」
「少なくとも、地下牢には入れない」
「それは助かる」
俺はコッコを見る。
「コッコも一緒で良いか?」
バルガスの背後にいた兵士たちが、ほんの少しだけざわついた。
まあ、そりゃそうだ。
第三王子の屋敷に、巨大コカトリスを連れて行くのかという話である。
だが、バルガスは一秒だけ考えた後、頷いた。
「殿下より、可能な限りゴンベエ殿の意向に沿う様にと言われている。コッコ殿も同行していただいて構わない」
「殿?」
「貴殿の相棒なのだろう?」
おお。
この男、分かっている。
コッコをただの魔物扱いしなかった。
それだけで、俺の中の評価が少し上がった。
「コッコ、良かったな。殿付きだぞ」
「コケェ?」
コッコは分かっていなさそうだったが、嬉しそうに鳴いた。
その鳴き声で、近くの公爵家私兵がびくりと震えた。
気の毒に。
もう戦う気は完全に失せているらしい。
バルガスは部下たちに短く指示を出した。
その動きは速かった。
数名が地下牢へ向かい、数名が庭を制圧し、数名が屋敷の出入り口を押さえる。
公爵家の私兵たちは、抵抗らしい抵抗もしなかった。
中には「我々は命令されただけです」と、聞かれてもいないのに言い訳を始める者までいた。
うん。
分かる。
君たちはたぶん悪の手先というより、給料をもらって働いているだけの人たちだ。
ただ、雇い主が最悪だった。
それだけだ。
「では、行こう」
バルガスに促され、俺は歩き出した。
コッコも、どすどすと隣を歩く。
公爵邸の門を抜ける時、俺はふと振り返った。
屋敷の窓という窓に灯りが点いている。
先ほどのボルケーノで、使用人たちも叩き起こされたのだろう。
夜空にはまだ、赤い余韻が残っていた。
王都のあちこちから人々のざわめきが聞こえる。
あれだけ派手な魔法を撃ったのだ。
明日には、王都中の噂になっているに違いない。
いや、明日どころか、今この瞬間からだ。
「……やりすぎたかな」
俺は小さく呟いた。
「コケ?」
「いや、何でもない」
たぶん、やりすぎた。
だが、怪我人は出していない。
そこは誇って良い筈だ。
財布は死んだが。
俺の財布だけは、今夜、確実に重傷を負った。
「ゴンベエ殿」
横を歩くバルガスが言った。
「先ほどの魔法、あれは何発撃てる?」
「秘密だ」
「そうか」
バルガスはそれ以上聞かなかった。
ありがたい。
本当は一発撃つだけで、心が泣いているなどとは言えない。
言ったら、たぶん威嚇効果が半減する。
俺は狼仮面の下で、静かにため息を吐いた。
ブランゼール公爵との対面。
召喚封じの牢。
バフォメット。
コッコの大活躍。
極大魔法スクロール。
第三王子の兵士。
忍者っぽい諜報員。
情報量が多すぎる。
俺はただ、ギルドに迷惑をかけない様にしたかっただけなのに、気づけば王都の夜空を真っ赤に染めていた。
何をどう間違えたら、こうなるのか。
いや、たぶん最初から間違えていた。
だが、後戻りはできない。
前に進むしかない。
やがて、俺たちはブランゼール公爵邸を離れ、王都の大通りへ出た。
夜だというのに、通りには人影が多い。
皆、先ほどの火柱を見て飛び出して来たのだろう。
兵士たちに守られ、狼仮面の男と巨大なコカトリスが歩いている。
そんな光景を見れば、さらに騒ぎになるのは当然だった。
「何だ、あれ……」
「鳥か?」
「いや、魔物だろ」
「狼の仮面をつけた男が、隣を歩いている」
「乗るのか、あれに?」
ざわざわと声が広がる。
俺は聞こえないふりをした。
コッコは、ちょっと得意げに胸を張っていた。
見られて嬉しいらしい。
可愛い。
だが、あまり張り切らないで欲しい。
この子が勢いよく鳴くだけで、通行人が三人ぐらい腰を抜かしそうだ。
「第三王子殿下の屋敷までは、そう遠くない」
バルガスが言った。
「そこで殿下が待っておられる」
「王子殿下が、こんな夜中に?」
「殿下は、貴殿が連れて行かれた時点で休む気をなくされた」
「それは申し訳ない」
「謝る必要はない。殿下は、借りを返す機会を待っておられた」
借り。
野外演習で助けた事か。
俺としては、成り行きでやっただけだ。
だが、王子にとってはそうではないのだろう。
王族の命。
学院生たちの命。
そして、第二王子派の公爵が仕掛けた疑い。
思ったより、話は大きくなっている。
俺はただのレベル十八の魔法剣士、ゴンベエ。
……という設定の筈なのだが。
どう考えても、もう無理がある。
やがて、別の大きな屋敷が見えて来た。
ブランゼール公爵邸ほど威圧的ではない。
だが、警備は厳重で、門前に立つ兵士たちの目は鋭い。
バルガスが合図を送ると、門はすぐに開いた。
俺とコッコは、その中へ招き入れられる。
今度は地下ではない。
明るく灯りのともった玄関広間だ。
それだけで、俺は少し安心した。
ただし、安心しきるには早い。
この先には、第三王子がいる。
味方寄りとはいえ、王族だ。
うっかりした事を言えば、面倒になるかもしれない。
「コッコ、行儀良くな」
「コケッ」
「鳴くのも小さめで頼む」
「……コケ」
小さめに鳴いた。
偉い。
俺はその頭を軽く撫でた。
そして、バルガスに案内されるまま、屋敷の奥へ進む。
ブランゼール公爵の地下牢から、第三王子の屋敷へ。
敵地から、ひとまず味方の場所へ。
だが、俺の胸の中の緊張は、まだ完全には解けない。
むしろ、ここからが本番なのかもしれない。
俺は狼仮面の奥で、そっと息を吐いた。
さて、第三王子殿下。
できれば、話の分かる人であってくれ。
そう願いながら、俺は明るい廊下を進んで行った。
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