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10 烏合




「雪風ッ! 出てこいっ!」

 二千人の民衆を殴殺するのは簡単だ。


「あの映像はなんだ、いったいどうなっているんだッ! きちんと説明しろ!」

 優秀な部下たちに命令を下すまでもない。


「詐欺師! 死ねッ! 責任取れ!」

 生身の人間が数千人集まろうと、所詮は烏合の衆だ。


「くたばりやがれッ! 温室で贅沢三昧のクソ野郎ッ!」

 仮に雑多な銃火器で武装していたとしても大差はないだろう。この身に宿る力が、不条理な暴力装置となって動作するはずだ。


 けれど、それは許されない。


 全人類の残りが二万人だからだ。暴徒だからと言って、全人類の一割をこの場で虐殺するつもりはないし、かりに二百人が死傷したとしても、それは全人類の百分の一が死傷したことを意味する。その流血を許容できるほど、我々に余裕はない。


 ようするに法務局と軍警察が仕掛けたクーデター計画の第一段階は、司令官たる雪風小春を封殺し、暴動への対処を強制させるという点において、じつに効果的だと評価できる。


 ひとたび対処を誤れば、彼らはそれを執拗に追求してくるはずだ。

 司法と警察が手を組み、罪状を捏造して権威を失墜させ、雪風小春を現在の指導的立場から蹴落とそうと躍起になるはずである。


 宣戦布告としては申し分ない、だが――。


「……手ぬるいな、こんなものか」

 特殊個体オメガ、来栖野有栖。彼女の半世紀にも及んだ特殊工作のひとつ。

 全世界の指導者をキメラ化させ、忠実なスパイに仕立て上げた苛烈な浸透工作と比べれば、まるでお遊びだ。


「…………」

 遠くで喧騒が聞こえる。


 後ろポケットにねじ込んでいた統合軍のベレー帽を頭にかぶせ、エントランスから屋外に出ると、途端に夏の香りがした。どうやら今日は、昨日よりも一段と気温が高くなるらしい。


 視界が白飛びするほどの晴天下、非武装の軍人たちは、その身を盾にして狂乱する民衆をせき止め、庁舎前の広場よりも、何段か低い位置にある舗道へと彼らを押し出していた。


 軍人と民衆、双方の怒声が、初夏の青空に絶え間なく木霊する。

 事態は急速に悪化し、軍民の双方に暴発の気配が色濃く漂い始めていた。


「通ります、道を開けなさい」

 重機械化歩兵の石垣を腕力で押し退ける。

 双方の矢面に立つと、鉄火場は水を打ったように静まり返った。


 湿気を多分に含んだ風が真横から吹き抜けて、青みがかった白銀の髪を波立たせた。


 庁舎を見上げ、舗道を埋め尽くす民衆すらも皆一様に息をのみ、その頭上で揺れ動く白銀の軌道を追いかける。


 誰かが〝隻眼の白鳥〟と呟いた。


「皆さん、落ち着いてください。話し合いの場を設けたいと思います。あなた方の代表、もしくはこの集会の主導者は居ますか?」


 こちらが対話を呼びかけると、民衆の間に騒めきが広がった。


「そちらの身の安全は、幾多の戦場を駆け抜けた戦友たちの御霊と、天地神明に賭けて保障します。どうか名乗り出てください。オープンな場で、じっくり話し合いましょう」


 人々が囁き始めて一分、そして二分が経過した。

 けれど民衆の代表は一向に現れない。要求は突きつけるが、対談は望んでいないらしい。


 この集団には主体性がなかった。

 なぜこの場に集まっているのか、なぜ見ず知らずの他人を口汚く罵っているのか。

 この二千人の暴徒は、本当はそれさえも理解できていないのだろう。


「わかりました。では手短に、結論から話します。北米に生存者はいませんでした」

 多数の悲鳴とうめき声が民衆から上がった。


「先ほどの映像の通りです。あれが現実です。統合軍総司令部を擁するフォート・プライマルは跡形もなく消滅していました。今現在も生存者は確認できていません」

 悲鳴の次は絶叫だった。不安と恐怖に駆られた幾人かの男女が、救いを求めて泣き叫ぶ。


「じゃあ、俺たちはこれからどうなっちまうんだ! このまま死んじまうのか!」

「大丈夫です、死にません」


「なら、敵は! 敵はどうなったんだ! 敵はどこから来るんだ!」

「世界はすでに平和です。アルバトロスも、キメラも絶滅しました。人類を脅かす存在はいません。安心してください」


「そもそもお前はいったい誰なんだよ、なんでいきなり出てきてボス面すんだよ!」

 次にこちらを指差し、声を荒げたのは、みすぼらしい格好の青年男性だった。


 目元は落ちくぼみ、頬は痩せこけて、血走った両目を爛々と輝かせている。


 おそらく彼は第二陣の避難民だ。女子供や怪我人の保護を優先したため、賽原基地の受け入れ態勢が整うまで、物資や食料配給の面でも、いろいろと不遇な扱いを受けたに違いない。


 きっと瓦礫だらけの陸路を夜通し歩かされて、ようやく賽原に辿り着いたのだろう。

 機械化もされていないのに、凄まじいタフネスである。


 出身は横須賀に違いない。その飢えた野犬のような有様を見ていると、なんだか無性に懐かしくて、胸の奥が温かくなる。


「申し遅れました。私は賽原基地司令官、雪風小春です。よろしければ、当基地のホームページにアクセスしてみてください。誠に勝手ながら、私の半生をつづった自伝を公開しました。来歴を口頭でお伝えするよりも、まずはそちらをご覧いただいたほうが、いくらか建設的かと思われます」


「そんな三文小説、読むわけねぇーだろボケッ!」


「自伝形式ではありますが、第七次討伐作戦から、オメガ作戦成功までの流れをおおよそ把握できる構成となっています。どうかご一読ください。作戦経過を詳細に書き表した五万ページに及ぶ公文書を一つひとつ読むよりは、時間効率に優れていると自負しております」


「…………」

 その男性が口を開くことはもうなかった。


 それ以降、民衆の関心はキメラや生存者の有無といった外的なものから、この賽原基地が、自分たちの衣食住を今後も保証してくれるのか、という内的なものに変化していった。


「住む場所がないっ!」

「仮設住居を建設中です。入居は、女性、子供、負傷者を優先しています。ご確認ください」


「俺たちはどこに住めばいいんだ!」

「繰り返しになりますが、仮設住居を建設中です。もちろん、さらなる増設にも柔軟に対応して参ります」


「ご飯は? ご飯はもう食べられなくなっちゃうの?」

「いいえ。食料と水は十分な供給量を確保しています。どうかご安心ください」


「みんな騙されるな! デタラメだ! こいつの言っていることは全部デタラメだ!」


 よく通る声であった。ボロボロのつなぎを着た、顔中煤まみれの二十代前半の青年が、声高に叫びながら民衆の最前列に踊り出ると、なんとも芝居がかった仕草で人差し指をこちらへと突き付けた。




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