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11 たったひとつ残された、僕の最後のたからもの




 ……新しい工作員か。ドーランを塗って顔や衣服に汚れを作り出し、避難してきたばかりの民間人に変装するとは、また随分と演技派だな。


「賽原基地の食料生産能力は大きく減少している。この前のキメラとの戦闘で、物資製造区画が壊滅したんだ! 設備を修復できる技術者も大勢死んだ! この基地には余裕がない!」


 ゆっくりと下火になりつつあった人々の騒めきが一斉に息を吹き返す。

 情報工作の次は扇動か。

 法務局と軍警察は、よほど搦め手がお好きと見える。


「黙っていれば追及されないとでも思ったか? 甘いな! たしかに貴様は、自分の部下を、軍人たちを養えるだけの物資は確保しているのかもしれない。だが、外部の人間である私たち民間人は、本当にその勘定に含まれているのか?」


 それにしても詰めが甘いですね、少尉。

 もっと言葉遣いには注意しないと、生来の育ちの良さが隠しきれていませんよ?


「十分な量を確保だと? 笑わせるな。今後も水や食料が安定的に供給され続けるという保証がどこにある!」


 僕は、この男性をよく知っている。

 他人の両手が、肌の上を無遠慮に這い回る感触を、簡単に忘れられるはずがないのだ。


 彼の名前は、真壁義信。

 横須賀基地の法務部に所属していた弁護士だ。

 横須賀基地付属の士官学校を首席で卒業したという本物のエリートでもある。


 五月二十六日、金曜日。

 将官級会議の開催が迫る過日。

 マコト宛の招待状を手に、賽原基地を訪れたあの日。


 お前に拘束される前に、僕が基地内の異変に気付くことができたなら、もしもキメラの浸透を事前に察知することができたなら、あの惨劇も回避することができただろうか。


「そして私は知っているんだ! 貴様の立派な隠れ家のことをな!」

「ほう」

 僕は両目を見開くと、息をひそめて彼を凝視した。


「たしか鶺鴒館、と言ったか。貴様の隠れ家は」

「――――」


 全身の毛が逆立つ。頬が持ち上がり、口元が緩やかな弧を描く。


 右手が震えて、柄を求めて彷徨い始めた。同時に、こちらの背後に立ち並ぶ歴戦の兵士たちが、表情を強張らせて固唾を飲んだ。


 けれど真壁少尉の様子に変化は見られない。


 おぼこか。

 どこまでも幸運な人だ。

 この死滅の時代にありながら、一度も死線を潜ってこなかったのか。


「鶺鴒館、なんとも御大層な名前じゃないか」


「なにが言いたいのですか?」


「そこにあるんだろ? 自分だけの物資が大量にな! しかも、ただ貯め込んでいるだけじゃない。肉! 魚! 野菜! 紛い物の配給食とは違う天然の食材が、いくらでもあるそうじゃないか! 嗜好品もだ! チョコレートに、紅茶に、ビンテージ物の高価な蒸留酒まで!」


 少尉の熱弁は続く。


「鶺鴒館の一階には大浴場があり、石材で造られた大きな浴槽は、常に湯で満たされている。毎日だ! 毎日三トンもの生活用水が、そんなことのために浪費されている! 私たち民間人は、その日の飲み水すら事欠く生活を強いられていたというのに、お前は王侯貴族にでもなったつもりなのか!」


 気に入らない相手を一方的に貶めるのは、きっと痛快なのだろう。黒ずんだ額に玉の汗を浮かべ、少尉は生き生きとした表情でまくし立てた。


 その糾弾に感化された一部の民衆が彼に同調し、同質の快感を得たいがために、聞くに堪えない罵声を発し始める。


 民衆の纏う空気の質が一段階変化していた。

 まさに一触即発の気配だ。対処を誤れば、大惨事に直結しかねない。


「つまり、あなたは不公平だと言いたいのですね? 軍の長である私が、民間人を差し置いて鶺鴒館という屋敷に住み、貴重な食糧や資源を独占しているのが許せないと」


「そのとおりだ!」

 より一段と大きな賛同の声が、喝采と共に少尉の背後から湧き上がった。


「では、どうすれば納得するのですか? 私にどうしてほしいのでしょうか?」

「食料を均等に分配しろ」


 賛同者の囃し立てる声が、熱狂する民衆の合間を伝播し、現場の騒然とした空気に拍車をかけていく。だが、その程度のことで態度を曲げるつもりはない。


 これは面子を賭けて鎬を削るチキンレースだ。

 最初に無様なイモ引きを披露したほうが負けるのである。

 ゆえに、譲歩は一切許されない。

 兵士たちの視線を背後から感じ取りつつも、僕はどこまでも平静な口調で言い放つ。


「拒否します。分配はしません」

「なぜだ!?」

 呼応して上がる激しいブーイングは、即座に叩いてすり潰す。


「鶺鴒館に蓄えられている食料だけでは、二万人の胃袋を満たせません。数量的にも、均等に分配することすら難しいでしょう。それは新たな不平不満の温床となり得ます」


「それをどうにかするのが、司令官である貴様の仕事だろう!」

 撃鉄が起こされた。


「なるほど」

 ぬるい風が吹いていた。

 静止した感情はそのままに、感覚が極限まで研ぎ澄まされていく。


「それがあなたの、私に対する要望であると理解してもよろしいですか?」

 心の水面が凪いでいく。

 雑音が遠ざかっていく。


「そうだ! 当然だろう! 当たり前のことだ! なぜいちいちそんなことを尋ねる、少しは自分の頭で考え――」

 静寂に包まれた世界で聞き取ったその一言が、最終的な引き金だった。


 瞳孔が開く。無秩序に採光された極彩色の世界を見上げると、果てしない晴天が、どこまでも青く輝いていた。


《展開中の全砲兵部隊へ通達。目標、神奈川県賽原市旧町三丁目七九〇一番地・鶺鴒館本館。自走砲及び多連装ロケット砲、全弾発射。繰り返す、全弾発射。目標を全力で破壊せよ》


《了解、目標を全力で破壊します。……大佐殿、本当によろしいのですね?》


《かまわない、やれ》


《――はっ》


 視線を下ろし、僕は瞬きもせずに眼前の民衆を見据えた。


「たしかに承りました」

 右手を持ち上げ、上体をひねり、賽原市の北西部にある小高い山の中腹を指し示す。


「どうぞあちらを、ご覧ください」

 その直後だった。賽原基地射撃訓練場のある南の方角から、大気を引き裂く爆音が連続して鳴り轟き、晴天に白線の轍が幾重にも刻まれていく。それらは列をなして一直線に飛翔すると事前に指定した目標へと垂直に降り注ぐ。


「これが私なりの誠意です。ご納得頂けましたか?」

 重複した閃光が瞬いた。


 白濁したオレンジ色の爆炎が、この地球上に残された僕の最後の宝物を、大切な心の墓所をぐちゃぐちゃに破壊する。


「真壁少尉。法務局長代理、ベル・ボーマン少佐に伝えなさい」


「……!」


「貴官らの一連の行動は、当方に対する宣戦の布告であると理解しました。私は逃げも隠れもしませんし、売られた喧嘩は喜んで買わせて頂きます。お互いに悔いの残らぬよう、全力で、堂々と戦いましょう。どうかご遠慮なさらず、――首を洗って、お出で下さいませ」


「ひっ、ひぃ……っ」

 少尉はよろめき、血相を変え、悲鳴を上げて逃げ出した。


 笑顔で接したつもりだったのだけど、自分は今、どんな表情をしているのだろうか。


 あれほど熱狂していた二千人の民衆すらも、連続した炸裂音に当てられて、身動き一つ取れずに北西の空を呆然と眺めていた。


 ミサイルを打ち尽くすと、今度は榴弾の豪雨が山腹を容赦なく掘り返す。


 鉄の雨はしばらく降り続き、活火山の噴煙を想起させる大量の土煙が、北部の晴天に土気色のみすぼらしい入道雲を描き上げた。


 数十発の地対地ミサイルと、数百発の榴弾が集中的に叩き込まれた雑木林は消滅し、地形の崩れた無残な山肌から白い煙が上がっている。


 その噴煙の根元には、クレーターだらけの荒れ地が広がり、鶺鴒館が存在した痕跡すらも、地面に散らばる瓦礫や折れ曲がった鉄骨を残してまるごと消し飛んでいた。


「――さて」

 静寂の中、一拍だけ手を叩く。その乾いた音によって、視線の矛先は再び正面に集まった。


「私の帰るべき家は、たった今なくなりました。これで皆さんと一緒です」

 皆、無言だった。


 丸く見開かれた二千対の瞳は、どれもこれもが熱狂の夢から覚めていた。


 世界最強の軍事組織を相手に、自分たちが素手で挑みかかっていたという事実に、ようやく気づき始めたのだ。あれほど威勢よく他人を罵っていたにも関わらず、今となっては皆一様に沈黙し、もはや罵声はおろか、悪態の一つすらも聞こえてはこなかった。


 誰もが自分の身に降りかかる処罰を恐れ、一人また一人と後ずさり、息を殺してその場から立ち去っていく。


「ほかに知りたいことはありますか?」

 周囲を見渡した。

 最後まで逃げずに残ったのは、生粋の無政府主義と底抜けの楽天家ばかりであった。


「なあ。軍は、これからも本当に、俺たちを守ってくれるんだよな?」

「もちろんです。文民の守護こそが、統合軍の存在意義ですから」


 しばらく、そんな人々との一問一答を繰り返す。

 賽の河原の石積みに思えてならない言葉の交流は、しかし、たしかに相互理解の一助にはなっていた。


「どうせ私たちは、内乱を起こした不穏分子として処分されるんでしょ?」

「いいえ、ありえません。私が絶対に許しません。部下たちにも徹底させます」


「うそつき」

「うそつきにならないよう、私も努力します」


「自伝、全部読んだけど、女装が趣味なんでしょ?」

「いいえ、違います」


「俺はまだ、お前を信用できない」

「それは当然のことだろうと思います。時間をかけて対話を積み重ね、同時に成果を積み上げる。それ以外に信頼を得られる方法はないだろうと、私は考えています」


「具体的にどうするの?」

「手始めに、賽原基地のウェブサイトに掲示板を開設しようと思います。質問や要望、不満点でもいいので、なんでも書き込んでください。必ず目を通します」


「バカらしい。どうせ口だけでしょ、そんなの」

「約束は絶対に守ります」


「おねーさん、カッコいいねー。どこの人ー?」

「ありがとうございます。日本人です。一応補足しておくと、私は男です」


 一つずつ対話を重ねていると、時間はあっと言う間に過ぎていく。太陽が東の空を元気よく駆け上ると、影法師は行き場を失くして窮屈そうに足元で丸くなった。


 手首に巻いておいた時計に目を移してから、再び手を叩く。


「さてと、そろそろお昼の時間ですね」

 人々の目の色が、その一言で明らかに変わった。誰もが原初的な生存本能に突き動かされていた。これこそが、この時代を生き抜くために最適かされた人類の姿だった。


「今日の献立は、甲型配給食三百グラム、代用コーヒー、水一リットル、それからサツマイモ百八十グラム。サツマイモは天然ものです。とろ火でじっくりと火を通したそうなので、甘くておいしいと思いますよ」


「サツマイモ? それって、あの紫色の?」


「品種によっては紫色になりますが、今回はハチミツ色です。紅はるか、という珍しい品種ですね。ゆっくり過熱すると、蜜が滴り落ちるくらい甘くなります」


「…………」

 賽原基地に唯一大量に備蓄されていた天然食材、サツマイモ。使い方次第では、法務局や軍警察に対する貴重な交渉カードの一つになり得たかもしれないが、ここで切らずに腐らせてしまうのはもったいない。


 だから思い切って放出してみたのだ。

 これが最適解であったと、今なら断言できる。

 それほどまでに効果は絶大だった。


「ただし、お芋は天然の食材ですので、サイズに多少のバラつきがあります。人数分は用意できていますが、サイズが大きいものは早い者勝ち――」


 そこで言葉を区切って、スッと口を閉ざす。

 聴衆が居ないのだから喋っていても仕方がない。

 お昼休憩である。


 重機械化歩兵の一団と、一歩も引かずに三時間近く睨み合っていた気骨ある無政府主義たちも、天然食品の誘惑には抗えなかったようだ。


 僕は頭からベレー帽を掴み取ると、それを胸の前で絞り上げた。


 正面の階段を軽やかな足取りで下り、ついさっきまでの熱気が嘘のように消え去った無人の舗道に降り立つと、戦闘の爪痕が残る穴だらけの道の真ん中でくるりと振り返る。


 この難局を見事に凌ぎ切った勇士たちの顔が、ここからはよく見えた。


「皆さん、お疲れ様でした」

 はたして今の僕は、うまく笑えているだろうか。


「お昼にしましょう」




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