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9 鬼を正す刃




 僕はチープな黒い腕時計を制服のポケットから取り出すと、少々わざとらしい仕草で液晶の文字盤を覗き込む。


「二〇二三年、六月五日。時刻は、午前七時二十一分」

 なにごとかと怪訝そうな視線を向ける周囲の将校たちに対して、僕はこの基地の司令官として、上官として尋ねた。


「軍警察と法務局の人間が、この場に一人も居ないのはなぜですか? 旧北米に多数の生存者がいるからと、調査部隊を派遣しろと要請してきたのは、この二つの部局ではなかったのですか? 詳しい事情を聴いている者はいますか?」


 目が合った。

「……ひっ」


 小さな悲鳴が漏れ聞こえたが、僕はそれをあえて無視する。

 空気の変化を機敏に察知した将校たちは、険しい表情で互いに顔を見合わせていた。


「これより、賽原基地司令官たる雪風小春大佐として、貴官らに命令する」


「――!」


「砲兵部隊、第一種戦闘配置。自走砲と多連装ロケット砲を射撃訓練場に緊急展開。ただちに砲撃準備を開始してください」


「了解っ!」


「戦車部隊と航空部隊は、警戒態勢を維持。稼働状態にある装備から燃料と弾薬を抜き取り、厳重に保管してください。今後七十二時間、どのような理由があろうとも、車両と航空機の使用を全面的に禁止します」


「了解」


 なにがなんだか理解できないという顔をしながらも、誰もが私情を捨て去り、上官の命令に従って迅速に動き出す。


 命令を受けた三名の指揮官たちは、駆け足で司令室から出て行った。


 優秀だ。じつに優秀だ。

 腹立たしいまでに優秀な軍人たちである。

 戦時下における軍人とはかくあるべし。それを見事に体現している。

 彼らは常に、与えられた命令の範囲内での最善を尽くすのだ。


「重機械化歩兵部隊に命じます」


「はっ!」


「これからしばらく基地内が騒がしくなります。ですが、それを武力で押さえつけようとすると無用の血が流れます。人類は残り二万人、もはや一滴たりとも血を流すわけにはいかないのです。いかなる事態が発生しようとも、流血は絶対に許されない。わかりますね?」


「はい」


「中佐、あなたの当面の仕事は、部下たちの暴発を未然に防ぐことです。血の気が多くて大変でしょうが、どうか頑張ってもらいたい」

 中佐は、この奇怪な命令を即座に承服し、瞬きもせずに敬礼した。


「了解しました。いかなる事態が発生しようとも、我ら重機械化歩兵は、人々を守る絶対の盾となりましょう」

 自分が答礼すると、中佐はこちらを凝視しながら小さく頷いた。彼はその場で踵を返すと、わき目もふらずに司令室から飛び出ていった。


 ドアが自動的に閉じられると、途端に室内が静まり返った。

 周囲の不安げな視線が、とある女性オペレーターへと注がれている。


 卓型コンソールを軽快に操り、北米調査部隊のハイドラ・ワンと真っ先に交信していた彼女は、死期を悟った死刑囚さながらの顔色で、肩を震わせて泣いていた。


 しかしそれでも、無様に取り乱すことだけは決してしない。


「……っ! 大佐、私は!」

 恐怖のあまり呂律が回らずとも、その黒い双眸は、この紺碧の独眼をまっすぐとらえて離さない。彼女もまた、この死滅の時代を生き抜いた軍人であった。 


「不問とします」

 涙に濡れた黒い瞳を見つめ、上官として宣告する。

 ひどく困惑した表情で、彼女はこちらを静かに見上げていた。


「同時に緘口令を敷きます。今回の一件は他言無用です。今から、関係者以外への吹聴を固く禁じます。もし権力を振りかざして自白を強要する手合いが現れたなら、私の名前を出しなさい。全責任は私が負います」

 こちらがひと通り言い終えると、他のオペレーターたちは続々と自分の席を離れ、同僚の側に駆け寄った。


 彼女は、心配する同僚たちに対して謝罪と感謝の言葉を交互に述べると、両手を握りしめ、口を横一文字に噤んで、勇気を奮い立たせるようにして立ち上がった。


 渾身の勇気に打ち震える彼女の暗い灰色の瞳が、僕をまっすぐ射抜く。


「大佐、答えてください。あなたは、いったい何者ですか?」

「…………」


「雪風小春は人間ではない、来栖野博士が造り上げた高性能なロボットなのだと、法務局長代理のベル・ボーマン少佐から直々に説明されました。それは、本当のことですか?」

「はい」


「大佐は、ご自身が一体どれだけの罪を犯しているのか、自覚されていますか? 身分詐称。不正昇進。指揮権濫用。過失致死。人工知能の不正な軍事利用。どれ一つとっても、統合軍の軍法に照らし合わせれば重罪、弁解の余地なく、銃殺刑です」


 恐怖の涙に揺らぐ暗い灰色の眼光が、鬼を正す刃となって、苛烈な断罪を迫った。


「大佐、あなたは自分の罪を認めますか?」

「はい、認めます」


 ――それからおよそ二時間後、法務局と軍警察の仕掛けた情報工作は、劇的な成功を収めつつあった。


 賽原基地の内部で暴動が発生したのである。


 北米調査部隊の空撮した映像が、両組織に懐柔されたオペレーターによって、司令室内からリアルタイムでリークされていたのだ。


 通信内容は暗号化されることもなくライブ中継され、賽原基地内のありとあらゆる情報端末が、司令室と調査部隊とのやり取りを無秩序に喧伝した。


 そしてそれが、世界最大の軍事要塞フォート・プライマルの惨状を、あの巨大なクレーターを、この地球上に残された全人類が目撃する結果へと繋がる。


 かつてアメリカ合衆国と呼ばれていた超大国は、どれほど落ちぶれて死に体になろうとも、やはりこの国の民衆にとって、欠かすことのできない希望の星だった。


 太平洋の反対側、遠い外国の地には、自分たちよりもずっと優秀で勇敢な百万人のアメリカ人がいて、彼らがこの危機的状況を、どこまでもヒロイックに覆してくれるかもしれないと、民衆は夢想していたのだ。


 けれど現実は非常だ。

 他力本願な希望は完膚なきまでに打ち砕かれた。

 自分たちこそが最後の生き残りであり、彼らの助けは望めない。


 その純然たる事実を強制的に理解させられたのだ。

 民衆が感じた衝撃と恐怖、その烈度はいかほどであっただろうか。


 はじめに、精神的に追い詰められていた年配の女性が悲鳴を上げた。

 次に、負傷していた二人の男性が意見の相違から激しい口論を始める。


 それが火種だった。

 当初は民間人同士の小規模な言い争いでしかなかったが、不安は際限なく恐怖を煽り、統合軍への根強い不信感を燃料として、その小さな火種は爆発的に燃え広がった。


 言い争いは小競り合いとなり、瞬く間に大規模な暴動へと発展する。


 我を忘れて狂乱する二千人余りの民衆が、拡張の進む仮設住居区画で続々と合流し、一つの大きなうねりとなって、司令部庁舎へと押し寄せてきていた。 




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